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その⑦『たけしの挑戦状』

40年近く前のこと、ビートたけしさんのことがあまり好きではなかった。いま思えば、たけしさん自身が嫌だったのではない。バブル景気に浮かれていた日本全体や、それに便乗していた某テレビ局のノリが気に食わなかったのである。何しろそのころ筆者自身は、学校不適応で憂鬱だったからだ。

そんな折ーー筆者が小学6年生のころーーファミコンソフト『たけしの挑戦状』は発売された。買えるソフトも中身の事前情報も限られていたので、おもちゃ屋店頭で2本のソフトを凝視したのをよく覚えている。どちらかしか買えない……。その2本とは『シャーロック・ホームズ 伯爵令嬢誘拐事件』と、この『たけしの挑戦状』であった(この両方がクソゲー史上に残る逸品?であったため、ある意味で地獄の二択だったと言える)。

筆者はホームズ原作小説のファンで、小学校の図書館でもよく読んでいた。普通であれば、前者を購入していただろう。ところが選んだのは『たけしの挑戦状』であった。なぜか? たけしさんへの反発心があったため、本当に「挑戦を受けてみよう」と決意したのである。ただ難易度が鬼のように高くて、すぐに挫折することになるのだが……。

ただこのゲーム、たけしさんはわりと真面目なメッセージを込めようとしたらしい。「子どもたち、あくせく生きても仕方がないよ」、みたいなことだったと思う(タイトー社が、それをうまくゲームに落とし込めたかはわからないけれど)。不条理なゲーム性はとても個性的で、今となっては本当にいい思い出である。2コンのマイクを使ったカラオケの場面では工夫して、ドライヤーで風を感知させてクリアしていたっけ。そんなゲーム開発に携わったたけしさんが映画監督・北野武として大活躍されるのは、ずっと後のこと。でもそうした独創性の片鱗だけは、このゲームからも十分感じられた。

「ビートたけし」という芸名の「ビート」には、「反抗」という意味がある(「ビートルズ」の「ビート」も本当はここから来ているらしい)。たけしさんが、ありきたりなゲームをプロデュースするはずがないのだ。当時の筆者はそんなこと、まったく知る由もなかったのだけれど。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。