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最善の選択ではなく、選択を最善にする

僕はこのnoteでは「人生に選択肢をもたせる」ことが大切だと述べていますが、選択肢がたくさんあればあるで悩んでしまってそれが時間の無駄にもなるということも書いています。
そこで考え方として大切なことは「即断即決」ということ。「やる」にしても「やらない」にしても考えるより先に足が出るという感じで決めてしまうことです。人生やったもん勝ちと言われたりするけども僕はやらなくても勝ちだと思います。

実際、やらないで勝ち取ったことは僕にとっては妻との結婚でした。まだ友達だった頃に僕は妻に「カンボジアで僕は暮らしていきたい」と相談したことがありました。その時は僕は「うん。行ってらっしゃい。応援してる!」と言ってくれるものだと思ってました。そうしたら妻は「行かなくて良いと思う。行くことで貴重な経験ができることもあるけど、行かないことでこちらでできる経験もあると思う。今のそーちゃんにはこちらでできる経験のほうが大事な気がする」と言ってくれました。
僕はこの「行かなくても経験できる」という考えが衝撃でした。当時の僕には「カンボジアで暮らす=自分の人生を楽しむ」という図式だったので、「え?この人は何を言ってるんだ?!」と思ったのです。
結局僕は行かない選択肢を取りました。でも、この行かなかった選択肢を取ったことで妻と付き合うことになったし結婚して幸せな家庭を築いていくことができました。

それから思ったのです。「最善の選択ってないんだ」って。僕にとって当時最善の選択というのはカンボジアで暮らすことでした。でも、行かなかったことで別の幸せな生き方ができていたのも事実です。もちろんあの時カンボジアに行って暮らしていたら今の人生とは全く違う人生を歩んでいたと思います。でも今はあの時に「行かない」という選択をしたことが最善だったと感じています。

「最善の選択はない。選択を最善にする。」

僕は今いろんな勉強をしています。保育士の勉強、療育(発達障害児)の勉強、筆文字を使っての画像加工の勉強、動画編集の勉強、ビジネスの勉強など…それぞれどんな勉強をするにも「誰にいつ教わるか」というだけでもいろんな選択肢がある中で、僕が大切だと思うのは誰にでもいつでも教わっていいと思うのです。最終的にはそれらの学びを自分の人生でどのように活かしていくか、それが一番大切なのです。人生に正解はないので自分で選んだモノ・コトを自分の人生に活かせないのが一番もったいないことです。
これは、例えば「学ぶのに遅すぎるということはない」というように、年齢も関係ありません。もちろん年齢を重ねると覚えも悪くなるし頭も固くなってきます。むしろ、年齢を重ねているのに学ぶ大人の姿ってかっこよくないですか?

話がずれてきましたが、人生は選んでからが勝負、やるやらないはどちらでもいいがそれに付随した行動はしていく、というのが大切です。

そして先程僕はついに「MacBookPro」を購入しました!!動画編集をしていくために買いました。この選択が良かったかはわかりません。でも、勉強しているしそれには一番適していると思われるモノで勉強していけば自分のモノになる日も近いなと思うので買いました!この選択を最善とできるよう行動していきます!

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