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高校野球神奈川県大会決勝の一件に関する覚書

なんと野球の難しい事か。

先日に行われた高校野球神奈川県大会決勝。
そうでなくても野球好きの多い神奈川。日本野球がナショナルパスタイムと成長していくきっかけの一つである横浜であり、プロ野球のみならずナイターなど日本の野球に多くの灯をつけてきた横浜スタジアム。そこで事件は起こっている。

3-5の横浜リードで迎えた九回表無死、ランナー一塁の場面。慶応高校、丸田の打球がセカンドに転がった。それをセカンドの峯がゲッツーのためにセカンドベースのカバーに入った緒方に送球。
それをキャッチした緒方はセカンドベースからファースト小泉に送球。
しかし二塁審湯本はセーフを宣告。一塁審井上もセーフを宣告したため走者一、二塁と変わる。
そして安部のバントで一死二、三塁。三番の渡邊が逆転のスリーランホームラン。
それが決定打となり劇的な幕切れで慶応高校の甲子園出場が叶った。

それはもう誰が見ても喜びそうな結末である。
しかしそれに待ったをかける人がいた。
前述のシーンに横浜、村田浩明監督がこう表明した。

「信じられない。こっちから見ても余裕のアウト。審判さんは『離れた』の一点張り。本当はずっと抗議したかった。生きるか死ぬかの試合で、あれをセーフと言われたら、一生懸命やっている高校生はどうなのか。負けたというより後味が悪い」

横浜が世紀の誤審疑惑で慶応に大逆転負け…甲子園と地方決勝だけでも高校野球「リプレー検証」を

ネットなどを中心に

どちらが正しいのか議論の的となっている。
この審判は誤審ではないのか。そう見えないものなのか。
それに関して私見を述べようと思う。

1,審判という過酷な環境の中で

私も試合などで現地に足を運ぶ事も多いが、こういう審判の是非、というのは常々疑問というものがある。というのもほとんどが悪意を持って審判をする人は現在少なくなっているのだ。
全くいないとは言わない。人間である以上感情があり、そのベクトルに引っ張られるようなことがないとは言わない。
しかし旧制一高(現在の東大)野球部における早慶が試合を申し込んだ際の主審、青井鉞夫が「我々(旧制一高野球部)が諸兄らに野球を教えている」という言葉と共に旧制一高に有利な判定をした、通称青井ジャッジのような事を行う審判はいない。
時代が違うとはいえ未だに「俺がルールブックだ」と口にする審判はいないのだ。
その責務ゆえに闘争心をむき出しにしてしまい敵を作ってしまう審判がいないとは言わないが、それでもプロアマ問わず多くの審判が試合を公正にジャッジする事に研磨を惜しんでいない。

そのような中で起きたジャッジである事は承知しておかなければならない。

そうでなくても彼ら審判もまたあの炎天下の中ジャッジを行っているわけである。
どうしても選手ばかりクローズアップされがちだが、彼らもキャップ一つだけであの炎天下の中立ち、常に冷静さを心掛けながらジャッジをしている。
なんならその選手たちは攻撃のタイミングでは打席に立つ以外では日陰にたたずむ時間を許す。
しかし彼ら審判はそれすら許さないのだ。
試合が終わるまでの、それも近年段々伸びてきた試合時間の中、汗を拭いながら、日の中でジャッジをしている。
選手とは苦しみの質は違うかもしれないが、あの炎天下の熱気の中で二塁審がどう考えていたかは知らないが、自分の職責を全うした結果のジャッジであることを野球好きであればこそ忘れてはならない。

野球のみならず、スポーツは審判のたゆまぬ努力によって試合が健全に進むのだ。

2,相手もまた真剣に戦う高校球児

もう一人忘れてはならない人がいる。
それは一塁ベースに立ち、二塁に駆け抜けていった2年の足立然選手だ。
彼は代走の代走であのグラウンドに立った。
一球速報を頼りにすると彼がこの大会でグラウンドに立ったのはあの場面だけである。それ以外には試合に出ていない。
背番号19。将来を期待されてのベンチ入りだろう。

その彼の成績には多くの0が並ぶ。それはそうだ。試合に出ていないのだからつけようがない。
その中で二つだけ1の数字が着いた。

試合出場数の1。そして得点1。
この二つの1は彼がこの県大会でつけられた唯一の数字である。
疑惑の誤審、とやらの片隅で蒲公英のような小さくも美しい花が咲いている。

では、彼の走塁は一生懸命頑張っていなかったのか。
誤審ばかり取りざたされ、アウトになる可能性のあった選手の話は何一つされない。彼のつけた得点1は誤審によってつけられた汚い1とでもいうのだろうか。

正解はノーだ。
彼は二塁審のジャッジに従い、きちんとした手順でホームベースを踏んだのだ。アウトにするのが審判ならセーフにするのも審判だ。それに選手は従ったからこそこの結果が出たのだ。
だからこそ彼に得点1という記録が残った。

多くの人が緒方選手を擁護し「正々堂々頑張っている選手を」と口にするが、ではその渦中に飛び込む形になった選手は正々堂々頑張っていなかったのか。

審判にとっては足立選手も緒方選手も「正々堂々頑張って戦っている選手」であろう。
その二人の今後が決まるタイミングにどうしていい加減なジャッジが出来ようか。
考えてみてほしい。正確な判断すら難しくなっていく炎天下に二時間以上立ち尽くし、その二人の今後を決めかねないジャッジを一々やる事の重さを。それを考えるとどうして二塁審のジャッジを誤審と言えようか。
そしてよしんば仮に自分がそのジャッジをする場面にいた時、自分の考える「正確な判断」とやらが出来るのか。本当に自分がやれば正確にジャッジ出来るというのか。

その難しさを心得ているからこそ、高校野球の審判という難しい事に参加してもらっているのではないのか。

選手やチーム、そして応援している人達は「自分たちの努力だけ」を見てもらいたいと思いすぎではないか。勿論努力しているだろう。一方で対戦している相手も練磨を重ねてきているのだ。
そうでなくても野球に関しては目の肥えている神奈川県。どういうジャッジをしても非難にさらされる彼らがいい加減なジャッジをするだろうか。誰が見ても誤審と言えるほどのひどいジャッジだったのか。
そうでないから我々観客席側の人間は野次馬根性を隠しもせずにやけ顔で「誤審だ」「リプレーをつけろ」と言っているのではないか。

あまりにも審判に対して礼儀を欠いているように思うのだ。

3,なんだか横浜高校が弱くなってしまったようで……

ここから先は個人的な意見になる。
なんというか。横浜高校が弱くなっているように思えて仕方ないのだ。

横浜高校と言えば日本の高校野球でも随一を誇る高校だろう。
特に我々は小学生のころに松坂大輔のいた横浜高校を知っている。だから圧倒的な強さを以て日本の強豪校を相手に戦っていた、という印象があった。

しかし、今回の件を目の当たりにして、なんというか。その。横浜高校弱くなったな、って思ったのだ。

それほどの高校ならば甲子園に行く意味も違うだろう。監督などはいく事を求められていると言われても仕方ない。就去が求められることに対して口を出したくなることも分かる。
しかし現実はこれである。過去の横浜高校なら
「そのようなジャッジをされるプレーをした方が悪い」
と言えたのではないか、と思うのだ。

動画を観たが確かに微妙なプレーだった。
審判が十人いたら全員が同じジャッジをするか判断に困る。(私はセーフと見たが)
それを「自分たちの指導不足」と、少なくとも対面上は言えるような強さを持っていた印象があった。というよりは東日本が誇る名門高校野球部であるならばこそそのような態度を持っていてほしかったという願望もある。

最終的には自分たちの指導力が足りなかったことを反省出来るほどの余裕がどこかにある。
それを微塵も見せていないところに何かもの悲しさを感じさせるのだ。
監督が、公の場面で、審判を否定するようなことを言う。
まるで自分たちが「あれがなければ勝てた」と言わんばかりに。
そこに横浜高校野球部の脆さを見てしまったようで、正直、その。

結構辛い。

それが、松坂世代の横浜高校を見ていた「圧倒的強者としての横浜高校」をどこか心の奥底で信じていた私には、この現状は少し辛い。

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