背景、コーン畑から
ジェームズ・アール・ジョーンズが亡くなられた。
多くの人が知るダース・ベイダーの声に次いで、特に野球関係の映画で思い出されるのは映画field of dreamsに出てくる小説家、テレンス・マンだろう。J.D.サリンジャーが逝去してから14年。彼を模倣した人物もまたこの世を去ってしまった。
field of dreamsというのは不思議な映画である。
野球を題材にしながら描きたいことは野球からどんどんと離れていく。最初に登場するレイ・リオッタ演じるシューレス・ジョー・ジャクソンは本来の物語に対する呼び水でしかない。
ただ彼と同じように過去の行いから生まれた心の傷を持つ人々がアイオワのトウモロコシ畑を潰して建造された球場に集まり、野球からその傷を癒していく不思議な物語なのだ。アイオワに球場を作った時にジョー・ジャクソンは傷が癒され、そしてテレンス・マン、メジャーの打席に一度も立つことが出来なかったアーチー・ムーンライト・グラハム、そしてレイ・キンセラ。彼らの心に持つ、過去についてしまったがゆえにどうしても治すことができない傷を癒す物語であった。
あのトウモロコシ畑はこの世とあの世を結ぶもの、と捉えられがちだが実際はニュアンスが異なる。トウモロコシ畑を通る事で自分の原点たる過去の場所に戻る事が出来るのだ。失ってしまった場所へ戻る事の出来る場所である。
原作シューレス・ジョーの後に書かれたキンセラの著作「マイ・フィールド・オブ・ドリームス」ではあのトウモロコシ畑からイチローと野茂がやってくる。死んでいるどころか二人ともバリバリの現役メジャーリーガーだったころに、である。オーナーのレイが「招待したい」と思えば来てくれる場所であるし、行きたいと思えば実はどこにでも行けてしまう、そんな言ってしまえば都合のいいものがトウモロコシ畑なのである。
実際テレンス・マンはトウモロコシ畑を通じて古きエベッツフィールドに、ジャッキー・ロビンソンに会いに行くためにトウモロコシ畑に入っていく。そのシーンをみた視聴者からよくテレンス・マンはすでに死んでいた、と言われるがそうではなく、彼は彼の知るフィールド・オブ・ドリームスにトウモロコシ畑を通じて行っただけなのである。だからこそ戻ってきた際に彼は小説を書く、といったのだ。あれほど書くことをためらっていた小説を。
だから主人公レイ・キンセラも思い描くフィールド・オブ・ドリームスがあればその地に向かう事が出来る。しかし彼はアイオワのあの球場こそがフィールド・オブ・ドリームスであるために招待されなかった。アイオワのトウモロコシ畑に作られた球場はレイ・キンセラにとってのフィールド・オブ・ドリームスなのだから。だからオーナーとして残る必要があった。
そんな解釈が出来る場所である。
こんな解釈が出来る背景にはこの映画が決して野球を題材にしていないところにある。野球を扱ってはいるのだがその本心はもっと別のところにあり、野球やアイオワの球場がそれを媒介とするものなのである。
そんな野球映画というには少し憚られる「field of dreams」なのだが、その作品全体に流れる野球のテーマをきちんと語る瞬間がある。それを口にするのがジェームズ・アール・ジョーンズの演じたテレンス・マンの台詞なのである。
家とトウモロコシ畑が差し押さえられるかどうか、という所を伝えに来たマークに対して娘カリンが「みんなやってくるよ」という言葉を受けてテレンス・マンが優しく語り掛けるシーンだ。
日本ではあまり印象に残っている人は少ない。どちらかといえばこの後のシーンにおけるバート・ランカスター演じるアーチー・グラハムがカリンを助けるシーンや最後のシーンの方が印象的という人の方が多いかもしれない。(最近ではグラハムを見てから選手たちが見えるようになったマークが一転して「絶対に売ったらだめだ。絶対に売るなよ」というシーンも愛らしくて好きになっている)
だがアメリカではこのテレンス・マンの語り掛けがが強く愛されている。
メジャーリーグに関わる人がこの言葉を口にしている。
例えば長年ドジャースのブロードキャスターだったビン・スカリーもこれを吹き込んでいる。
メジャーリーガー達もその言葉を紡いだ。
今なおメジャーリーグを愛する人々には野球を語るときに、彼のスピーチを使う。
ここに全文を載せておこう。
テレンス・マンの語り掛けに野球に流れているアメリカの善性を語り掛けるのだ。
スクラップド・アンド・ビルドを繰り返し、心に安らぎを求める暇すら与えられないままを生きるアメリカにとって心を癒してくれる時がない。むしろそれがアメリカだとさえ言わんばかりに変化していく。
だが野球だけはずっと時を刻み続け、そのスチームローラーに潰されたアメリカ人の中にある善性の源流を残している。だから人々はレイに20ドルを気持ちよく払い、あこがれのヒーローを見ながらその源流にそっと触れる事で傷を癒し、幸せを取り戻していく。
これがアイオワのトウモロコシ畑、フィールド・オブ・ドリームスの正体なのだ。
邸宅を売ることを催促にきたマークでさえもその善性に触れ「売ってはならない。絶対に売るな」というのだ。それを売ってまたトウモロコシ畑に戻してしまう事はスチームローラーに潰されたアメリカの再現になってしまう。
アメリカの中に流れる良心を売ってはいけない。
だから慌ててレイを止めるのだ。
「アメリカの良心を金ごときのために売ってはいけない」
悪役と捉えられがちなマークだが、彼もまたアメリカや妹やその夫を愛する一人のアメリカ人であることをこれ以上なく描いているのだ。
野球にはアメリカ人の善性を思い出せる魔法がかかっている。
あれほど皮肉ばかりでつっけんどんな言葉ばかりを話していたテレンス・マンが傷を癒して賢者に戻った瞬間であり、だからこそ未だにこの言葉は野球を愛するアメリカの人々にとって響くのだ。
私はこのスピーチを聞くと未だに涙を流してしまう。
いつも思ってしまうのだ。私はここまで野球を信じることが出来るだろうか、と。
野球を愛すると口にするのは簡単だ。しかし野球に日本人の善性が流れていると言い切れるほど野球を信じているのだろうか、という疑問がかなり立つのだ。
テレンス・マンは穏やかな声で、確信を持って語る。
野球にはアメリカの良心が流れている、と。
私はそこまで野球を愛しているだろうか……?
思えば野球の多くの姿を見てきた。それはいつも素晴らしく気持ちのよかったものではない。不快に思う事も、辛く感じる事も多々あった。
「野球なんか知るんじゃなかった」
こう思ったことも多々あった。時に人にばかにされ、時に人をばかにした。それが傷となったこともある。
だから、その言葉が大きいのだ。
テレンス・マンは野球を信じろ、という。野球に流れる良心に触れると傷が癒えるという。
そこまで私は野球を観れているのだろうか。
いつも自問自答を繰り返し、そしてその言葉の持つ優しさに泣いてしまうのだ。
きっと私もテレンス・マンの言葉に癒されているのだろう。
最後に映画の主演であったケビン・コスナーがfacebookで彼への言葉を送っている。
野球とアイオワのトウモロコシ畑を描いた映画に、あの魔法をもたらすことができたのは彼だけです。彼があの魔法を起こすのを目撃できたことを嬉しく思います。
ケビン・コスナーもまた、ジェームズ・アール・ジョーンズの語り掛けを魔法の言葉と思ったのだろう。
Rest in peace, Sage.
Rest in peace,Terence Mann.
Rest in peace, James earl Jones.
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