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犠牲と賭けの勝利 ~佐々木朗希完全試合を受けて~

1,昨日一日受け入れられなかった完全試合

 佐々木朗希の完全試合。
 それは多くの新記録と共に迎え入れられた。

 しかし、私はなぜかそれを気持ちよく迎え入れられなかった。
 誰もがまるで「何もかも正しい」というように舞い上がっている。だが、何か私はそれに「違う」と思って受け入れられなかった。

 何故そう思ったのか。
 まるで彼が育つことが予定調和の上で、世界でもトップクラスの選手になる事が当たり前。この完全試合はその過程と扱っている。
 そんな風潮を目の当たりにして、それは何かが違うと感じたのだ。

 それは最初、NPBが弱いと思われているのではないか、と感じた。
 まるでMLBへの手土産のように扱われ、NPBはAAAのように誰もが扱うような。そうではないのか、という嫌悪感を覚えた。

 しかし、それでは彼の完全試合そのものへの違和感ではない。
 それをワイワイ騒いでいる外野に嫌悪しているだけで、彼自身への違和感に至らない。
 そう思いながら、悶々と昨日を過ごしていた。

 そんな中、あるブログの記事を見つけた。
 それは高校時代の彼への扱い方が正しかった、そしてこれはどんどんそうするべきだ、というような内容だった。

 その時に気付いた。
 私が佐々木投手の完全試合に対して違和感を覚えていたのは。

 世間はまるでなんの犠牲もなしに今回の事をありがたがっているが、そんなことはない。
 今回の完全試合の背景には多くの犠牲があったうえで成り立っている、と。
 そんなことを忘れて結果だけを喜んでいる事に嫌悪しているのだ、と。

2,罪な男、佐々木朗希

 考えてみれば佐々木朗希という男は罪なやつである。
 彼が高三の時、夏の岩手県大会決勝。どういう事があったか。

 佐々木朗希という絶対的エースを受けての花巻東戦。誰もが佐々木が出ればそのまま甲子園出場はかなったであろう。

 しかし大船渡高校監督國保陽平は彼の登板を回避した。
 佐々木朗希という投手の未来を優先し、彼なしでの決勝戦を迎えたのだ。
 その時私は「本当につらかったのは監督でも佐々木投手でもなく『彼成しでも大船渡高校野球部は強い』事を証明できなかったナインだ」と評している。(拙作:大船渡ナインにしか分からない世界 より)

 言い換えてしまえば、佐々木投手がその試合に出ていれば勝てた可能性の方が高い試合だった。
 勝利、という点だけで考えれば國保監督の選んだ行為は敗退行為でもあったし、佐々木投手含む大船渡ナインでも「ここまで来たなら何が何でも甲子園に行きたい」という夢をどこか諦めた節もあっただろう。
 事実、当時はその批判も多くあった。

 考えてみれば彼はそんな何人もの同級生の夢を食いつぶす形で、あの試合は行われたのだし、だからこそ彼らナインや監督も彼無しでの勝利を望んだはずだ。
 佐々木朗希を出せば勝てる可能性が引きあがる、というカードを彼らナインやその親たちの前で破り捨てたのだ。

 そんな、名前すら霞んだ高校生の夢を食いつぶしたのだ。

 去年のCSだってそうだ。
 もし井口監督が彼をフルで起用すれば日本シリーズ出場、それどころか日本一だって十分あり得たはずだ。
 だが、彼の才能のためにそれをしなかった。

 1stシーズンで一試合。6イニングだけしか投げていない。
 ファイナルシーズンで投げる機会はあったろうし、中継ぎで使っても全然問題ない。

 それすらしなかった。

「佐々木朗希の才能」
という一言のために多くの犠牲を強いてきた。
 それが私にとっての佐々木朗希への見識だ。

3,彼らの犠牲 ~賭けと夢のペイバック~

 しかし、それらは批判する事ではない。
 聞こえは悪いかもしれないが、これは彼らが選択したことなのだ。

 佐々木朗希は多くの犠牲を強いてきた。
 何故か。
 それは佐々木朗希に多くの夢を見た人間が、自分たちを捨てて「彼の才能」という賭けにベッドしたからだ。

 確かに多くの犠牲を費やしてきた。
 だが、その結果として帰ってきたのは「20歳での一試合19三振、13者連続三振、そして完全試合」という賭けの見返りなのではないか。

 佐々木朗希に関わり、そして時には苦渋の選択を強いた彼らにとって、一番の見返りは「佐々木朗希という大輪が咲くことであり、しかもこの完全試合すらその途中という、さらなるペイバックを得られることに可能性を賭けたからこそ、今回の偉業がなせたのではないか。

 佐々木朗希に夢を託す。
 口で言うだけなら簡単だが、それを実行するのには勇気がいる。そして結果何度かの敗北を強いてきた。大船渡ナインは甲子園出場という夢を。千葉ロッテマリーンズは日本シリーズ出場及び制覇という夢を。
 多くの夢を放棄したのだ。
 当然批判も起きた。

 佐々木朗希という才能の下に多くの屍がいる。
 
その屍たちは後悔もあろう。
 もしあの時やってくれれば。もしかしたら。 

 だが、やっと。
 やっと今になってその骸になった彼らの夢が報われる時が来た。

「俺の、俺達の夢をベットした賭けに勝つことが出来た」

 やっと彼らの勝利に繋がったのだ。
 佐々木朗希の完全試合という一つの到達点において。
 彼への犠牲が、自分たちの夢の達成という、ベットにスイッチした。

 そしてそれはまだ終わりではない。
 始まりだ。

 佐々木朗希が勝っていく事は、多くを捨て、それを決断した彼らの勝利に切り替わっていった。
 彼らが捨ててベットした夢は今から多くの夢と共にペイバックされていく。
 彼らの賭けた夢は、今から花開いていくのだ。

 忘れないでほしい。
 佐々木朗希の完全試合には多くの敗れた夢があった事を。
 彼の才能に賭けたゆえに、捨て去った多くの夢があった事を。

 そして、それは彼らの賭けであって、ここで初めて大きな勝ちになったという事を。
 そしてそれは、さらに大きくなっていく、という事を。

 だからこそ、今だから言える。

 おめでとう。

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