5、フォームにおける安易なメジャー礼賛についての見解

技術はまずメジャーから?

フォロワーの関係上、プレイヤーの技術論を中心に見る事というのが多いのだが、どうも引っかかる事がある。バッティング理論やピッチング理論を中心に話されているものなのだが、その大半がバリー・ボンズやマイク・トラウトといった、いわゆるアメリカでもアンタッチャブルレコーダーを所持する、もしくは期待できる選手のものであった。

確かにメジャーでは先発投手の平均球速が150km/hを超え、それゆえに中継ぎが決して球速のみではなくなる、という独特の進化を遂げつつあるのではあり、それに対応する打者の技術というものは素晴らしいものなのであるが、私には少し疑問というものがある。

それは特に選手側を中心に起きがちな「バリー・ボンズの真似をしよう」「マイク・トラウトの真似をしよう」というものだ。特にバリー・ボンズは引退した選手というのもあるから段々と位置が確定しつつあるため、その技術論を議論しやすい状態になっているのだが、そのためいい加減な論理を組み立てやすい、又は安直な真似をしやすい状態になりつつある、という現状が見えてくる。これに私は首を傾げるのだ。

そもそもバリー・ボンズは天才である

バリー・ボンズはそれこそステロイドの使用を疑われ、本人も認めているため参考記録となっているが、その圧倒的な打力を見せつけたサンフランシスコ・ジャイアンツ時代のフォームがよく語られている。重心を崩さず、身体を回転させるだけのフォーム。そのシンプルかつ綺麗なバッティングが打者の目指すべき道、と考えられているのは言うまでもない。

しかし、そここそ危険であると私は思う。

というのも、元々バリー・ボンズはステロイドの使用をせずともMLBでは名前を残すことが出来るであろう打者であった。それこそピッツバーグ・パイレーツ時代から30-30(本塁打30本、盗塁30決める事)を軽々とこなすようなバッターで、決して凡庸な選手ではなかった。オジー・スミスのように若い頃は非力なバッターだった、という事ではなく、そもそも筋肉のバネで作られたような非凡な選手であった。

それゆえに1993年には本塁打王、1996年には何事もなかったかのように40-40を決めているわけで、ステロイドがあろうがなかろうが既に非凡な選手だったわけである。

それこそバリー・ボンズが薬物に手を染めた理由がマーク・マグワイアとサミー・ソーサのホームラン競争による長距離打者の人気向上、更に言ってしまえばその数年前に起きたMLBのストライキで人気を落としたメジャーリーガーという要因がある、という指摘は現在もされているわけで、彼は才能がなかったから薬物に手を染めたのではなく、才能があったのに時代の悪戯によって薬物に手を染めた、とさえ言われている。

元々にしてバリー・ボンズは天才なのであって、単純な比較は許されないのだ。日本どころかアジアのU-18が大谷翔平の真似をしても二刀流のままで行けず、いつかは投手か野手かに落ち着くようなものだ。バリー・ボンズの打ち方を真似するにはかなりの条件が必要になってくるのだ。

バリー・ボンズはそもそもが天才なのだ。あまりにも非凡だったとはいえ、なんとなくのままでそれを真似すればいいというものでもあるまい。

バリー・ボンズの打撃フォームはバリー・ボンズの「到達点」である

ここで勘違いしてほしくないのは、だからと言ってバリー・ボンズの真似をしてはならない、というわけではない。むしろ練習などで積極的に真似し、バリー・ボンズが何を考えて打席に立っていたか、なにを打撃の軸としてバッティングに挑んでいたか、という事を模索する事は打者を目指す人として大切だろう。

著者が言いたいのは「バリー・ボンズの打撃を学ぶ者は、バリー・ボンズではない」という事だ。筋肉という分かりやすいところから動体視力、更には身体を使う時の小さな癖も含めてバリー・ボンズと同一人物は、この世に於いてはバリー・ボンズ本人を於いて他にいない、という事である。

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