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全日本大学野球選手権の観戦記録

今週から復職したため、何も調べていないので今週は今月の試合観戦をまとめる

6月6日は雨が降ったというのもあり、神宮球場が使えなかった。
そのため会場に多くのアマチュア野球ファンが集う事になり、東京ドームに入った時の印象は「多い」だった。

私も金はあるが無駄金の使用を許さない。ただ時間だけはあまりあるほどある、という状態だったので一日だけ乗り込んだ。

しかし一日4試合というのも大分重くなってきた、と感じるようにもなった。
30後半かつ仕事をしていなかったための体力低下もあるだろうが、それ以上にそんな年齢になって、なぜ未だにそんな時間の使い方をしなければならないのか、という疑問が強く浮かび上がってくるのだ。
映画を観たり読書をしたりして、人間としての深みをもっと作っていかねばならない時期である。それにも関わらず野球観戦をして、近年はアマチュア野球にも多くの論客がいるから、こうやって文章以外取り柄のない私からしたらこの時間を使う事になんの意味があるのか、と問い直さなければならない時期にも来ているのだ。残酷ながら人間が生きられる時間は刻一刻と減っている。
それでも観に行くのだから物狂いの一人と言われても仕方ないのだが。

大学野球の魅力は圧倒的な選手がいる事はそのまま試合の結果に結びつかないという事だろう。
どうしてもイメージで甲子園のような輝かしいエースや四番が試合を圧倒的に引っ張って終わる、というような印象を持ちがちだ。
だが大学野球になってくると、やりたい、野球という世界をもう少し頑張ってみたいという選手が多く集まるために試合の質が圧倒的に変わる。ここ数年ではあまりにも選手の能力だけに頼り、フリーハンドに試合を進めてしまうプロ野球よりも野球の質では高いと言っても差し支えないほどだ。
ドラフト上位指名候補とまで言われる選手を相手選手が攻略したり、時には一人の選手の掛け声などがその牙城を一気に崩しに行く。そういうとんでもない事が常々起こるのが大学野球なのだ。

これが全国大学野球選手権だと尚更起こる。
やはり系列的に東京六大学リーグ、東都大学野球リーグには多くのスターが揃うために強くなる傾向があり、そこに関西六大学野球リーグなどが追随するような形になり、東北福祉大などの下に地方リーグ、という選手層になる事が多いのだが、一試合の集中力がかなり意味を持つために平気で逆転劇が起これば、戦力差は見ても十分なのにかなり苦戦する試合なども多い。
ここでプロからの評価を落とす選手も多かろう。それほど切っ先尖った戦いになりがちだ。

私は基本的に情報をもっていかない。
話題の選手などの情報を持って行ってしまうとどうしてもバイアスをかけてしまい、選手一人一人を丁寧に見渡す事をしなくなってしまうためだ。
前述したように全日本大学野球選手権はどの選手がキーマンになるか分からない。一番と四番とピッチャーだけ見ておけばいい、というものでもないのだ。

一試合目の東日本国際大学と静岡大学の試合なんかはまさにそうだった。
東日本国際大学の先発大山投手は150km/hを計測するほどの本格派投手。一方で静岡大学で見どころになる選手はいたのか、というと難しい。
最初の2回で大量リードを許して誰もが7回コールドの可能性を示唆した。事実静岡大はコールド負けを喫するのだが、それは先発大山投手ににべもなくやられたわけではない。
静岡大ナインがかなり粘ったのだ。そうやってフォアボールやバントで攻めていくうちに大山投手も疲れが出てくる。格下と言っても差し支えない相手にも関わらずだ。しまいには3失点を許し、逆転の可能性を作って降板。
最終的にはその後追加点を取られて敗北したのだが、東日本国際大学にとって非常に重い一試合だっただろう。気軽に勝たせてもらえる試合ではなかった。

それが特に現れたのは和歌山大学と近畿大学の一戦だろう。
一回を終えた時の感想は「どう考えたって戦力差が絶望的。俺が和歌山大の監督なら勝利はまず諦める」と感じるほどであった。事実、和歌山大はこの試合敗北している。
しかし、戦力だけでみたら7回コールドも十分あり得たであろう。それが近畿大学のベスト戦力でなかったとしても。少なくとも私はこの試合のスタメンがベストメンバーだとか、偵察メンバーだとか知らない上にそういう行為はリーグ戦やレギュラーシーズンならとかく、こういう抜き身の刀で切り合う事になりがちな全国大会でやるのは敗退行為と考えるため、この試合をちゃんと勝ちながら次回の対戦を意識するマネジメント力が最も求められていると、ここ数年の観戦経験から感じる。

しかし「このチームは戦力的には強いがチーム力は低いな」と感じたシーンがあった。
ある打者にいいボールが決まった。ポイントも悪くなかったために三振と感じた観戦者も少なくなかろう。投手もそう思ったのだろう、気持ちよくベンチに引き下がろうとしていた時、審判はボールを宣告。
その投手はセルフジャッジをしていたのだ。

ここに隙がある、と感じた。
前述したとおり全国大会は生身を切り合うような試合で進む。何が原因で試合を傾けるか分からないのが全国大会の怖いところなのだ。そこでその投手はセルフジャッジをしてベンチに引き下がろうとした。

特にセルフジャッジ癖は投手が試合を壊すケースが多い。
これは審判への心証が悪くなる、というところもあるのだが、それ以上に
「(俺の投げたあのボールが)なんでストライクじゃないの?」
と感情のセルフコントロールが出来なくなり、それが自滅に繋がっていってしまうのだ。
リーグ戦であったらその一戦を落としても、ダメージは大きいもののリカバリーが不可能というわけでもない。
しかしトーナメントは敗北=終了という世界でこういう感情のマネジメントは必ず試合を崩す。崩すで終わればいいが、それが原因でチームの雰囲気が一気に悪くなり、そのまま敗北なんてことも十分にありうるのだ。

言い換えたら近畿大学の野球部員はそういう教育が出来ていない事になる。
試合に対して徹底的にクールに振る舞う事が不可能であるという事を観客にさらしてしまったのだ。
一応ドラフト選手を探す癖もあるからその投手や近大野球部の選手に対して
「そういう選手はここぞで使えないから、どうも」
という印象を覚える。セルフジャッジはここぞでの試合での対応力のなさを証明してしまっている。そういう勝負勘のなさをさらけ出すチームに所属する選手を高く評価しろというのは土台無理な話だ。

実際その後三塁手もセルフジャッジをしていたシーンがあり
「ああ、こういうチームなのね。へー」
という印象を受けたのは正直であった。恐らく普段から選手の才能や戦力の分厚さを鼻にかけてこのような試合をしているのだろう。相手や審判をなめた試合展開を選手もコーチも監督も許すような。
近畿の強豪大学としてもっと格式あるチームと思っていたが。
正直なところ、心底がっかりした。

近畿大学は4回に逆転をされてしまう。
結局戦力の分厚さで再逆転をして近畿大学が勝利するのだが、こういうチームは大抵高い位置に行けない。事実次の亜細亜大学に負けてしまっている。
こういう勝負勘がもっと鍛えられていれば近畿大学も十分優勝の可能性があった戦力であった。しかし、こういう教育の弱さが試合に現れてしまうのも試合の恐ろしさ。ここが変わらなければ一回戦しか超えられないチームで終わるだろう。

その隙を逃さなかったのが和歌山大学だった。
全員が声を出す事をやめず、一つ一つのプレーに歓声で対応し、いつの間にか観客すら「和歌山大に頑張ってほしい」という雰囲気を作らせた。
言い方は悪いが、それをはねのける戦力があったから近畿大学は勝てただけで、同じくらいの戦力差であったらどちらが勝っていたか想像に難くない。

時に野球は観客を味方につける事で勝つことがある。
たった一人のプレーや行動が観客に「このチームに勝ってほしい」と思わせ、チームがそれに自信を覚えて普段以上の能力を発揮し、そのまま勝利に導く、という事が多々起こるスポーツだ。
ある意味いい加減な世界である。しかしそのいい加減さこそが、数字がスポーツをやるわけでなく、人間がプレーする野球最大の魅力である。

だからある意味和歌山大の逆転というのは必然的でもあった。
あそこにいる観客の誰もが「もしかしたら」を期待させた。

その時点で勝負には勝ったのだ。試合にこそ負けたが勝負には勝った。
まさにそれが和歌山大と近畿大の大きな差だった。

野球はビジネス化されたがゆえにアマチュアの頃から選手一人一人に多くの金銭が動いてしまう。そのためにどうしても野球部を持つ学校法人や企業の力の入れ具合によって集まる選手が変わってくる。
だからこそ選手や監督が「どうやってプレーするか」「どうやって表現するか」が非常に問われる事になる。それが選手のフィジカルやテクニックによって表現力となり、才能という言葉に繋がっていく。

しかし、その才能がある事がそのまま勝敗には繋がらない。
各々の表現力が9人、ベンチ含む多くのメンバーでどう彩っていくか。守備走塁はからっきしでもバット一つあれば代打で輝ける選手がおり、まっすぐが遅くても細かいコントロールと無尽蔵のスタミナでのらりくらりと投げる選手がいる事を許す。
それをどう組み合わせたら勝てるかを考えるのが野球の醍醐味なのだ。
150km/hを投げられることが、ホームランを打てることが必ずしも勝利に繋がるわけではない。時にはそれによって得た自信が過信となって強い足かせとなり、ずるずると引きずりおろされて行く可能性だってある。
そういう「人間の気持ち」とかそういった事まで含めて野球というのは難しいスポーツなのだ。

それが改めて観られたのがそれらの試合だった。
そういう意味では富士大学、金村尚真投手の完成度は素晴らしかった。
時には自分の力で、時にはバックを信じて。というような投球がずっと続いた。
彼のもっとも素晴らしいところは野球の試合という中で自分がどういう歯車なのかをしっかりと把握している事だろう。必ずしも自分が決める必要はなければ、自分が必要とあらば決めに行く。こういうきめの細かさが投手としての完成度に繋がっている。
惜しくも大阪商業大学に負けてしまったが、大会トップクラスのピッチャーだったと誰もが太鼓判を押すであろう。そういう投手だった。

こういうチームとの信頼や相手との駆け引きが非常に強く出るのが全日本大学野球選手権であり、近年の大学野球の面白さに繋がっていると思う。
これだから「いい加減一日中野球観戦とかやめないと」と思っている中年を球場に連れて行ってしまうのだ。

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