6、少年野球は変わりゆくのか

1、少年野球が変化を訴え始めた?

筒香嘉智外野手が少年野球への野球教室などで度々発言をするようになった少年野球への提言が水面下で波紋を広げている。サンケイスポーツでの記事などがその発端ではあるが、神奈川新聞ではちょくちょくその話が出ていたため、本格的に顔を出し始めたのが今回、という事になる。

ボーイズやシニアといった小中学生を中心とした環境というのは軍司貞則氏が筑摩書店から著した「高校野球『裏』ビジネス」などが詳しく、これに時代の変化はあろうとも、少年野球と高校野球を取り巻く環境というのは相当歪なものである事が描かれている。

昨今の少年野球監督の暴言暴力などのリークなどに加え、段々と少年野球から見えるほの暗い影のようなものが去年の夏から見えるようになってきているように思える。未だに体罰の有無を考慮しない上での暴力など、きな臭い現状というものが見えてきた。これから少年野球はどうなるのだろうか。

2、野球≒武道

歴史から紐解いてみると、日本がアメリカから輸入した文化概念の一つに「スポーツ」というものがある。それまでは相撲など、肉体を使ってするものを武道として考え、それの訓練を稽古として取り扱ってきている。その中で開国以降、技術や文化だけでなく「概念」というものも日本に取り入れられている。それは「スポーツ」という概念も同じだ。第一大学第一中学(現在の東京大学)にホーレス・ウィルソンがもたらしたのが1872年(明治5年)。サッカーが1873年、テニスが1878年と割合近い事を加味しても古い部類に入る。アレクサンダー・カートライトが現在の野球のひな型、俗に言う「ニッカー・ボッカ―・ルール」を提唱したのが1845年である事から歴史そのものの浅い野球が日本に早く取り込まれている、というのも面白い。

日本に於いて余暇を過ごす手段としての「スポーツ」という概念は民衆レベルではあったと想像できるにせよ、楽しさを優先すべき。勝ち負けより内容、というホーレス・ウィルソンが野球と共にもたらした考えを持っていたというのは考えにくく、むしろ本格化していくと同時に日本の文化的精神性に繋がっていったというのが考えやすい。

特に伝わった場所が民衆ではなくこれから日本帝国をリードしていく学生というところも影響があり、第一高(現在の東大)が創立まもない他学校の野球部を圧倒的な力でねじ伏せていく、というところに「富国強兵かくあるべし」というような、勝利至上主義的なものが生まれる風土があったのではないか、と筆者は考えている。

この後第一高の時代が終わり、早稲田と慶應義塾のいわゆる早慶戦(1903年)に繋がっていくのだが、いわゆるホーレス・ウィルソンの提唱した「楽しくプレーすること」「結果より内容」という所は段々と色を失い、結果、野球部の勝敗が大学の格と言われても仕方ないような関係になっていくのは仕方ないのかもしれない。

早慶戦以降になると「我が大学」という意識も強くなり、試合に勝てば大隈邸前で慶應義塾大の学生が万歳三唱をすれば、早稲田の学生が福沢邸前で万歳三唱、というような、ホーレス・ウィルソンの考える野球の在り方と段々と乖離している事が1900年代には既に生まれている。

欧州と米国というスポーツ概念の違いこそあれど、欧米的なスポーツという概念はあまり浸透していない。それどころか、己がチームの勝利が前提、という現在のプロリーグなどに見られる構造が既に生まれている事が示唆できる。

3、日本野球の在り方を決定づけた飛田穂洲

そのような日本野球の起こりで、日本が現在のような野球と武道という繋がを明確にしたのは間違いなく早稲田大学の野球指導者にして野球論評家の飛田穂洲、および野球道の影響が強いだろう。野球の練習には武道的精神がある、と定義づけした人物で、良しにつけ悪しにつけ、現在の暴力的指導の根幹を担っている考えの源を生み出したと考えても悪くない。

内容と言えば練習を常にどんな状況でも全力で行う事により、素晴らしいプレーが生まれる。そして過酷な訓練に耐えた者にはそれに見合った精神性が身についていく、というものである。勿論一部は現在でも適用できる内容でもある。

しかし、その精神性は理解できても、現在では結果「根性論」と受け止められても仕方ないものも多く、それを乱用悪用する形で、選手を人とも思わない激しい訓練を課してきた、という現状は否定しがたい。今でもこの「野球道」を根拠として選手のトレーニングに努めているというチームも少なくなかろう。

というよりはこの考えを踏襲し乱用・悪用して「選手を育てる」と言い張っているチームが現在指を指されているのであり、ここが野球の、本来ホーレス・ウィルソンが提唱していた「スポーツ」という概念の完全否定という一つの結論であると考えられる。

「野球道」の背景には、学生とは名ばかりの野球漬けになっていた選手や応援団への批判があった明治、大正期における野球を守らねばならないという飛田の時代へのアプローチがあった事も付記しておかなければならない。文部省や「野球害悪論」など、野球そのものが日本の道徳・教育と協議する過程にあったからこそ、野球道が生まれる一要因であったとも考えられる。

だからこそ、当時と現在の時流をわきまえない、いわば「間違った野球道」が出ているのも事実で、それが少年野球での現場で叫ばれている、という現状が見えてくるのだ。

4、改めて「スポーツ」とはなにか

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