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社会人野球に一人の野球好きが舞い降りた ~社会人野球ファンがみた『砂まみれの名将』~

 社会人野球でも特に企業チームの在り方はあの華やかさの一方で語られる書籍というのはほとんどと言っていいほどない。GROUND SLAM編集長の横尾弘一氏が出す『都市対抗野球に明日はあるか』(ダイヤモンド社)くらいか。
 会社の福祉兼任広告として扱われるから基本的に観客不要の社会人野球の性質なのか、語る人は非常に少なく、語れる人もその性質に迎合できる人間のみが集められるせいか、その批判も非常に起こりにくいものになっている。
 しかしこの考え方は昭和期における終身雇用制度に帰属するものであり、会社と個人の関係が大きく変わった現在では通用しなくなりつつあるものであることは恐らく読者も承知であろう。自分の給与を得るために作ってきた利益が野球に使われる。それは野球が好きな人であればやぶさかでもなかろうが、興味もない人間にとっては無駄以外の何物でもない。
 そのためどうしても企業チームは減少傾向にある現状がある。

 そんな中新潮社から一つの本が出た。
 題名は『砂まみれの名将』(加藤弘士)。
 それは2003年から05年にかけてプロ野球の名将と慕われた野村克也の阪神監督辞任から楽天監督就任までの数年間。シダックス野球部で監督をされていた時のものをノンフィクション小説として書き記したものであった。
 野村克也、という男の中で最も語られなかった社会人野球監督時代。それを新人でアマチュア担当記者であった加藤弘士氏が見て、聞いてきたものをまとめたものであった。
 それは野村克也のシダックス監督としてのものだけではなく、今の社会人野球に28の新人記者にどう映ったのかも描かれていたのであった。
 そのため、私は野村克也というアプローチを外れ、この書籍から見える社会人野球はどういうものなのか、を記したい。

1、志太勤から見えるシダックス野球部

「野村さん、俺もう野球チーム、辞めようかと思っているんだよ」

 シダックス会長、志太勤の言葉から野村克也とシダックス野球部の邂逅が始まる。著書『燃えよ!』でも野球への想いを書いていた志太氏にとって社会人野球部を持ち続ける事がすでに懐疑的であることから始まっている。
 そこには社会人野球の企業チームにおける存在がしっかりと書かれていた。

「都市対抗野球に出られないなら持っている意味がない」

 シダックス野球部は東京都府中市に本拠点を置くチーム。東京ガス、NTT東日本、JR東日本を中心に鷺宮製作所、明治安田生命といった強豪が数多くいた区域だ。それでも熊谷組、プリンスホテルがなくなった2000年代はまだ穏やかさが出た頃だ。
 そんな東京でずっともがき、どうにもならないままその命脈が付きかけたタイミングでの就任であったのだ。

 本書にも書かれていたのだがちょうど2002年、都市対抗野球大会制覇のいすゞ自動車をはじめとして、神戸製鋼、ローソンといったチームが休部をしており、社会人野球における風向きがかなり悪くなっていたころだ。
 実際問題野村克也が出ていったあと2006年にシダックス野球部は廃部しており、こののちに日産自動車や三菱重工の統廃合があった事を考えると時代の流れとして企業チームが縮小していく時代にあった。

 結局志太勤に対してシダックス野球部を止める事が出来た最後の要因は野村克也であった。
 野村克也の活躍場を与えてくれると同時に「彼なら都市対抗野球大会で優勝に導いてくれる」と期待したから残せたのだろう。

 この段階でも社会人野球部の求められている事がわかる。
 本書にも
「株主や社内における不要論者の厳しい視線にさらされている」
と述べられているように、社会人野球を存続させるにはか必ずしも達成しなければならない要素として都市対抗野球大会があるのだ。

 社会人野球部に求められている事は都市対抗野球大会に出て勝つことが最低限求められている。これは最低限の指数であることを忘れてはならない。
「鷺宮製作所という会社に誇りを持てるように、皆が一丸となって応援できるものを」
というような明確な活動方針を持つようなチームは少なく、むしろその存在感はいつでも株主や内部の言葉によって簡単に消えるものの存在である事が見受けられるのだ。

 そういう意味では志太勤にとって野村克也は社会人野球を辞めない理由であり、それにこたえる事を野村克也は自分への責任としたのである。

2、社会人野球の一端が見える瞬間

 本書を読むと改めて2000年代前半が日本の野球にとって激動の時代であったことを覚えさせられる。
 それは必ずしもプロ野球だけの話ではない。

 野村克也が手伝ったもの、として萩本欽一が興したクラブチーム「茨木ゴールデンゴールズ」の存在があった。あの欽ちゃんが野球チームを作る。それに一瞬だけ日本の野球が色めき立っていたのだ。

 一方でゴールデンゴールズを快く思っていなかった人々も一定数いたことは本書にも書かれている。ここに私は社会人野球のアットホームさとの対比として目立つ者への忌避、いわゆるムラ社会的なところがあるように思えるのだ。
 確かに社会人野球というのはプロ野球に何度も辛酸をなめさせられてきたところがある。1950年の2リーグ制発足で多くの選手が流れ、林兼商店というようなチームも出ていかれる始末。長嶋茂雄の入団によって華やかに扱われることが減り、柳川事件を契機に関係は遮断。そのためにプロ野球と社会人野球はにらみ合う関係に等しい状態になってしまっていた。
 その中で「プロ野球ではなくあえて社会人野球を選んでいる」という企業や選手の意識は多分にあったと考えられる。今でもファンレベルで仲が良いとはいいがたい。大分和解しているとは思うが。

 そんな中「輝かしい芸能界」の人間が入ってきた。
 萩本欽一が野球に対してどう考えているか、というところはさておき一部の人間からは「社会人野球をダシにして自分が目立とうとしている」と思う部分はあったであろう。
 実際現在でも「良くも悪くも社会人野球が残っていればよい」というような風習はどこかしら残っている。近年だとコロナにおける公式戦無観客試合などにその風潮は取る事が出来た。

 著者はこの事象を
「それまでのアマチュア野球にはなかった『お客さんを喜ばせる』という概念を持ち込み、それを浸透させた」
と記している。
 まさに現状の社会人野球が変えようとしている部分を背負っている。むしろこれがありながら15年経った今日においてやっと動こうとしている辺り、喉元過ぎれば、と言わざるを得ない。
 こののち独立リーグの本格的台頭によって、改めて世間における社会人野球の存在が問われるようになった。それをほとんどが先送りにしてきたことのしっぺ返しを今社会人野球は受けている。

3、社会人野球の持たなければならない使命

 本書で私が一番印象に残ったのは野村克也の跡を引き継ぎシダックス野球部監督となった田中善則の言葉だった。
「皿洗いでもいいんですよ。会社ってこうやってお客さんからお金をいただいて、その一部が僕らの活動費になっていると実感できれば、明らかに野球が変わってくる」
 この言葉が社会人野球の本質をついていると思うのだ。

 現状社会人野球は企業によってかなり練習時間などが変わってくる。
 ほとんど仕事をしなくていい、という企業はほぼなくなったものの、仕事のかなりの時間に練習を割くチームはあるし、一方でフルタイムを終わらせた後に練習に向かうようなチームも少なくない。

 これは個人的な経験も含むが、部活動一辺倒で社会に出た経験のある人間はその観点がどうしても落ちる。
 私は大学時代指定強化部に所属していたが、自分を追い込むことに必死だった。それは我々の楽器や演奏がどれだけ大学から金をつぎ込まれているかよくわかっていたからだ。
 当時はトランペットを吹いていたが、大学にあったトランペットは明らかに普通に買っても30万前後はくだらない。しかも奏者選定という箔付きみたいなものがあるからもう少し値段は上がる。恐らく一本40万くらいだろう。
 そんな楽器が山ほど置かれていた。
 さらに大学の別部にあるホールで1週間に一度は練習。あまりにも恵まれていた。恵まれすぎていた。
 それに気付いていたのは何人いただろうか。だから練習だけは必死にした。アルバイトも抑えて、アルバイトが終わった後も練習をしにいくなど、とにかく必死だった。
 それはその楽器群がどれだけ金をつぎ込まれたか、その金はどこから来たか、を十分すぎるほど分かっていたからだ。
 もし自分が音楽をやっていなかったら、自分の授業料をあれだけ注ぎ込まれたなんて言われたら怒り狂うだろう。それほど重いものであることを重々承知していた。
 ではその金に見合う行動はどうすればいいか。それはコンクールで一つでも上に行くことであると思っていた。それで学校に生徒が一人でも増えれば意味がある、と必死になっていた。
 それを経験したからこそ思うのだ。

 自分たちが恵まれた環境にいるとどうしても目線が見えてこない。
「俺達は選ばれた。だからこれだけしてもらって当然なのだ」
 こうなる事は多い。私の周りもそうであったし、一方で私はその重責に押しつぶされていて、在籍している間はとにかくしんどかった。その乖離が私に音楽を辞めさせる遠因と強すぎるプライドを持たせる原因にもなったのだが。
 ただ、当然ではないのだ。
 金が動く以上は誰かがその金を払ったことになるし、動いた以上はその成果を求められる。自分で金を出したわけではない以上、所属していた人間は必死になってペイをするべきであるし、その金に見合った働きをしなければならない。
 それが大きな金が動く場所にいる自分たちがなさねばならないものであると考えている。
 へらへら笑いながら甘受してはならないのだ。

 田中監督が見た彼らにはどこかその部分があったのだろう。
 自分たちは目的だけ達成していればいい。その目的のために集められた人間なのだから。目的成就のために周りは自分たちに奉仕して当然。……とまでは思わずとも、無頓着ゆえにその着想に行っていたはずだ。
 それが社会人野球に蔓延る根本的問題であると私は考えている。

 私が社会人野球を見始めたのが2017年。おおよそ5年になる。
 彼らにまず覚えたのが「ただで見せていい試合ではない」「100円でも500円でもいいから金をとるべきだし、そのチケット代が彼らの誇りとなりうる」ということで、それは今日までの私の社会人野球観になっている。
 素晴らしい力を持っていながら彼らはただ試合をするだけで資金を貪っているようにも見えたのだ。それでは彼らに自主性や、給与を貰いながらスポーツをやる意義など育つわけがない、と考えたのだ。
 そのため今日までどうにかしてファン含む顧客から金をとるべきだと言っている。
「都市対抗野球大会、参加企業に関わる人以外の入場は1日後援者という形で応援席代は貰うべきだ」「公式大会は球場代くらいは取るべきだ」「ファングッズなどを売ってみるべきだ」「企業の営業とセットで親善試合を行うなど、企業の収益に関わるようなことをすべきだ」
 それは彼らが「野球をすることが企業の貢献になる」ことに繋げる時代が到来したと感じたからこそ、今までこの疑問を投げかけてきた。

 それを思う人が一人でもいた、という事に感動を覚えずにいられなかった。
 収益化が出来ずとも「どこから自分たちの活動費が入ってきているか」を知るだけでもおのずと自分たちの責任と使命感を覚えるはずなのだ。そしてその二つは野球部を出ていく際や野球そのものを辞める際にも必ずや意味を持つ。
 これが社会人が本気で野球をする、という事の本質であると考えるのだ。

 しかし世間は社会人野球に求めるものは「才能」であり、その才能を持つ選手の大半は「環境」を求める。それ自体は全く悪い事ではない。
 だが、その環境を求めるだけ、で済んでいいのはせいぜい学生までだ。社会人になるという事はその環境を作ってきた事象、要素、歴史を深く知る必要があり、そこから自分たちの使命を改めて受け取る義務がある。
 もう野球だけやっておけばいいわけではない。それでいいと思い込んでいる人は「野球が出来るだけの子供のまま、大人になってしまった人」以外の何でもないのだ。
 それを「使命」という。
 この使命を見失ってしまっている事が今の社会人野球に対して最も足りないものであるのだ。なにも遊びならばここまで言わない。金を払いながらも必死にプレーに勤しんでいるクラブチームの選手たちにここまで言わない。
 自分の好きな事で金を貰う。それも企業から。これはどういう意味なのか、しっかり考えて行動する事が一番求められるのだ。

 ある意味でそれは会長志太勤の失敗でもある。
 彼はそれを選手に伝えきれなかったし、それを社内の風土に収める事が出来なかった。ただ「都市対抗に勝つ」ことだけを求めた。会社の風土と野球部をなじませることはついにできないまま、廃部に至ってしまった。
 彼や企業に関わる人間は「社会人野球部をどうにか企業で働く人々に活かす事が出来ないか」を考えなかった。
 株主や不要論の人々に返せる答えを遂に得られないまま、必要か不必要か、の二元論で終わってしまったからこそ廃部という結末に至ってしまった。
 事実、野村克也が出ていった後に廃部に至った原因も広告的価値を兎しなかったため、と本書に記載されている。野村克也がいた事が広告になる、という理由があったから延命されただけでもあったのだ。
 結局シダックスにとって野球部は、企業のおまけでしかなかった、という事を本書は痛いほど示している。広報的存在にもなれないシダックス野球部は無駄なものだったのだ。

 もし、それが少しでも違う形になればシダックス野球部はもっと違う結論に至っていたはずである。

4、本書から見える野村克也の喜び

 私は本書を社会人野球に関わる全ての人が読まなければならない書物と言っている。
 一企業の野球部の滅亡についてこれほど詳しく書かれた書物はないであろうし、社会人野球の企業チームは今後どうあるべきか、のヒントがこの中に隠されているはずだ。
 刻一刻と企業を取り巻く世情は変わっている。昭和から平成にかけて当たり前とされてきた終身雇用は崩壊し、個人と企業の契約観は完全に変わった。パワハラ、モラハラの言葉はこの契約観が変わった事を物語っている。

 そんな中、企業の福利厚生である社会人野球部だけが今まで通りでいいはずがない。

 だからこそ社会人野球を愛している人には必読の書であり、これを読んでいないという事は所詮その程度しか考えていないと言われても差し支えない、と考えている。
 それほどの書籍なのだ。

 最後になぜ野村克也はこのシダックス野球部で働くことに楽しみを見出したのかを考えたい。
 本書において流れる野村克也の感情は「楽しい」である。
 それはなにか。野球が好きだからだろうか。

 それは違うと断じて言える。

 彼が求めたものは「野球による人格形成」であった。
 野球を通して考え、学び、一つの答えを得る。飛田洲穂とは違った、人生の道程という意味での「野球道」がその根底にある。だからこそ人一倍思慮深い男であった。
 それをしっかり受け止めてくれたからこそ、彼は楽しかったのではなかろうか。
 プロ野球ではどうしても自分の活躍がそのまま金銭と繋がってしまうため、己の人格形成を二の次にしても問題がない。活躍さえ出来れば社会的道義に反しない限り許されてしまうのがプロ野球だ。

 だが社会人野球の企業チームは違う。
 彼らの存在意義は活躍ではない。勝利こそ義務付けられているが、野球を通してどう企業に貢献するか、社会に貢献するか。これが重要であるのだ。
 たとえ選手として一流でなくとも、何かしらの形で社会や世間、それを成す企業に貢献していく。それこそが社会人野球の存在意義であると考えたからこそ、技術のみに傾倒せず、野村克也の信じる野球道を追求し、また部の彼らと共に歩んでいったのだ。

 だから楽しかったのし、人を遺せたことを喜んだのだ。
 もはや彼にとってはシダックス野球部で勝利を求めながら人格形成していくことは、野球への恩返しであり、野村克也という人間の使命であると感じたからこそ、自分の見てきたこと、学んできたこと、考えてきたことを惜しみなく伝え、選手、コーチ、スタッフに至るまでそれに付き従っていった。

 野村克也は社会人野球で自分の使命を全うするよう邁進できたから、楽しかったのだ。

 少なくとも私は、そう思う。

≪参考資料≫
砂まみれの名将 加藤弘士/新潮社
都市対抗野球に明日はあるか 横尾弘一/ダイヤモンド社

JABA公式サイト
鷺宮製作所野球部公式サイト
wikipedia

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