見出し画像

コトブキヤスタジアムを眺めながら

立川駅から錦町を得て多摩川沿いまで歩くと多摩川沿いに球場がある。河川敷に作られたようなものではなくきちんと球場として建てられている。
近くのバス停は野球場前。長くこの地にあることが分かる。
近くにある橋は日野橋、その名の通り日野市へ続く一本の長い橋がかけられており、その奥にはニューロシティという巨大なマンション群がある。
少し西に歩けばそれこそ河川敷に球場があり、そこのサイクリングロードから富士山が拝める。
そんな東京から少し外れた武蔵国の外れを冷たい風と共に感じる場所にあるのだ。


一部の人にはピンと来るフォントの看板

看板には緑に白地で「KOTOBUKIYA STUDIUM」と書かれている。立川ゆかりの企業の名前を冠したスタジアムだ。
多摩地区だと古くは社会人野球部を持っていたスリーボンドが八王子にある富士森球場のネーミングライツを取得し、スリーボンドスタジアム八王子、昭島市民球場がネッツトヨタ球場を得てトヨタS&D球場とつけている。
そこに連なる形だ。

1,立川の玩具メーカー、コトブキヤ

コトブキヤ、と聞いて野球好きにはピンとこないだろう。立川の市民でも無関係という人も多いのではないだろうか。
しかしこれがプラモデルなどの愛好家だとすぐに気付く人も多いだろう。プラモデルやフィギュアのメーカーとして立川に半世紀以上腰を据える立川市の古い企業だ。
立川市に幼少期を過ごした人達ならもしかすると第一デパートのコトブキヤといえばピンとくる人も多いのではないだろうか。立川市の人々が通った第一デパートの一角を支える玩具屋であった。
それもバンダイのようなメジャーなラインというよりはどちらかといえばコアでニッチな層への、いわゆる古臭い意味あいでの「オタク向け」の商品を展開している。
それもそうだ元々コトブキヤが大きくなったところが「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイフィギュアからなのだからさもありなんという次第だ。
特に「美少女モノ」というものに力を入れている。

https://www.kotobukiya.co.jp/product/model-kits/

立川市に住む人なら駅北口にある「くるりん」を作った企業というと想像しやすいか。
コトブキヤという企業は立川という町の一部を支える企業なのだ。

広告には立川の老舗が書かれる

2,コトブキヤとスポーツ

しかしそんな玩具メーカーがなぜ、という疑問が生まれるだろう。
スリーボンドのように野球部があったわけでもない。
それには陸上部の実業団登録に表れている。

2016年4月、サブカルチャーとスポーツの橋渡しを担う宣伝ランナーの活動拠点として実業団登録の陸上部を設立。所属選手は稲田翔威ただひとり。
秋葉原の店舗で勤務をおこなった上で練習をする「仕事と競技の両立」は橋渡し役には絶対不可欠な働き方。店舗勤務を通じてスポーツへの興味を、競技を通じてサブカルチャーへの理解を持ってもらうきっかけづくりが「宣伝ランナー」の役割。コトブキヤ陸上部はサブカルチャーへの熱い想いをエネルギーに変えて走り続けます。

https://company.kotobukiya.co.jp/kotobukiya-track-and-field-club/archive/

陸上部の立ち上げに際してそのベースとしたのはスポーツへの興味、サブカルチャーへの興味、といった重なりにくいコンセプトの融合を図ろうとしている。
この後選手である稲田翔威選手は退職し、一旦休部となっているが現在は吉本興業の宇野けんたろう選手が在籍し、復部している。また、稲田選手も移籍先のコモディイイダにて先日のニューイヤー駅伝で走っている。

コトブキヤが地域社会への貢献だけでなく、サブカルチャーからスポーツへ、というコンセプトを掲げていることが分かる。
立川市営球場のネーミングライツもこの考え方に沿ったものだろう。

3,地域に住む人がスポーツを支えていく

私もプロアマ問わず多くの野球を追っているが、この姿こそ野球の未来を形成していくうえで必要なことではないか、と考えている。

多くの人が指摘するように野球というコンテンツは日本であまりにも大きな存在でありすぎたがゆえに胡坐をかいてしまい、多くのことに遅れているといわれる。
それを全て否定する気にはならない。

しかしこの数十年で大きく失われたものを考えた時、私は地域と野球というものがとことん希薄になっているのではないかと覚える時がある。
プロ野球は地方開催をどんどん減らし、一年に一度あればよいほう。このような地方球場などほとんど見向きもされない。
かといって社会人野球はその多くが「プロ野球」「全国大会」の二文字ばかり優先し、地域へどれだけ還元しているのか見えてこない。そうでなくても現在の神奈川にある社会人野球部は本業の不祥事などで揺れる。いついきなり休廃部してもおかしくない状況になっている。
九州の梅田学園や鮮ど市場のように地域に根差した野球部を作ろうとしている企業はやはり少ない。なんなら独立リーグの球団のほうが地域貢献を意識している節すらある。
私立偏重となった高校野球部は「地元選手中心」が報道のキーワードになるほど地元と選手の繋がりが希薄になり、大学野球やクラブチームはなかなか報道などからピックアップしてもらえない。

おらが村の野球チーム、おらが町の野球。
これが一気に希薄になってしまったのが今の日本であると感じている。
とにかく「野球」の居場所がない。
華やかな都市の印象ばかりついてしまい、あちこちにあふれていた野球の姿が一気に消えている。少子化、多様化で済ますには少なくなりすぎたと思えるほどに。

結局この原因はどこにあるかと言われたら地域の大人が野球に対して興味を持たないことなのだ。
いや、興味を持たないのが基本だ。
だが、興味を持つ人々ですら自分の街にある野球に興味がなく、都会にあこがれる子供のように都会の野球ばかり大切にしたがる。

「野球は華やかなものであって当然」
「華やかであらずんば野球にあらず」

こういう考えが蔓延している。
これが野球人口が減る一端であると感じるのだ。

過去私はあるプロ野球選手の言葉にショックを受けたことがある。
彼は
「プロ野球選手として子供に夢を与えたい」
といった。そこまではいい。だがその次に
「夢を見せるために多くのお金を貰って、たくさんもらえるんだ(と夢をみてもらいたい)」
といったのに心底がっかりさせられたのだ。
プロ野球である以上金を求めるのは結構、それこそプロ野球選手の目的の一つであると思う。
しかしそれを子供の夢と結びつける無神経さ、思想の安さに呆れてしまったのだ。

札束が飛び交う世界でなければ野球ではないとでも言いたいのか。
グラウンドに銭が落ちていない野球は価値がないとでもいいたいのか。

そんな夢のないことを、一流のプロ野球選手の口から出てきた時に心底がっかりさせられたのだ。

野球は多くの人によって支えられている。
球場を建て、整備し管理する人がいて、試合をする人がいて、それを侵犯する人がいて、掲示板を動かす人がいて、観客席を管理する人がいて……。
選手だけでは試合、それも公式戦など行えないのだ。
そんな至極当然のことを想起する力が失われている。
我々観客が席に座って観戦するだけでも多くの人と彼らを動かすための金が動いているのだ。

それを記憶の彼方に放り投げてしまっている。
「我々は野球をやれて当然」「我々は野球を観戦出来て当然」……。
「誰かにやってもらって当然」
という姿勢を持つ人が増えすぎた。
多くの人が野球に協力する姿勢を持つことで成り立つことを忘れられてしまっている。

だからこそこういう事は重いのだ。

コトブキヤは「サブカルチャーとスポーツの橋渡し」「地域貢献」という名目で今回のネーミングライツを行っている。
確かにそれはうわべだけのものかもしれない。企業である以上利益追求をしなければならないし、地域との付き合い方というのもある。それが望んだか否かというのは分からない。
だが、長く立川に腰を据えたからこそのノブレスオブリージュがそこにある。立川市を代表する企業としての意志があるからこそ、地域貢献としてそれを行っているのだ。

確かにネーミングライツは企業の利益で考えればとてつもなく大きな金額ではない。しかし十人以上は雇える金でもある。それを地域貢献に回しているのだ。
こういう「おらが町のため」に行っている姿にこそ、野球にとって今一番必要なものなのではなかろうか。

あまりにも野球は「金と名声」にぶら下がりすぎている。
それはナショナル・パスタイムとなった野球の一側面としてある分には構わないが、それだけがピックアップされる時代では最終的にもっと大きな「金と名声」のある場所に食いつぶされていく。いや、現に食いつぶされる兆候は見えている。しかも無関係な人ほどそれを喜んでいる。あたかも「食われることこそ最大の誉れ」と言わんばかりに。

もっと目を向けるべきではないか。
おらが町のため、おらが村のために働く人々の姿を。
「おらが町の野球を支える人々の姿」をきちんと見ることを。

ここを忘れた日本野球の先に、未来はない。
だが、まだ希望はある。

このネーミングライツには、そのようなメッセージが込められているような気がするのだ。

私は今後もこのような地域の野球を支える人々や企業を応援したい。
そう考えている。


今は工事中だが今年にも掲示板に火が灯るのだろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?