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18年

小学校に入って、学校生活を始めて。
そして18年の月日を経て、ここに学校生活の終止符を打ちます。

小学校6年、中学校3年、高校3年、大学・大学院で6年。
気付けばこれだけの歳月が流れていました。
次の4月で、1人の社会人として社会に出荷されます。


学校で学んだこと

基本的に覚えては忘れ、忘れては覚え、の繰り返しで今日を迎えたので明確に「これを学んだ」というのはすぐに思い浮かべられません。
あれだけ必死にやった高校物化も、今では基礎問題すら解けない。

裏を返せば必要になったときに勉強できたからここまで来れたってことなのかもしれません。
つまりある程度の勉強はできるということ、これがまず18年間で分かったことです。

そしてもう1つ明確に分かったことがあって、それは「環境に恵まれていたこと」です。
教師、友人、その他いろいろなものに。

自分がここまで来れたのは間違いなく要所要所に引っ張ってくれる友達がいたからです。
そして、自分だけでやらなくてもいい環境だったからに違いありません。
自分ですべて切り開いていかないといけない環境だったら、間違いなく廃人になっていたでしょう。

超進学校ってわけじゃないけどみんながセンターを受けるような高校に身を置いていたから大学受験を乗り越えられたし、そのまえの中学校だってある程度はやる気があったメンバーだったから部活も続けられたと思っています。

あとは幼稚園から全部公立とは言え、修士課程まで通うことを許してくれた家庭にも。

学校にある程度向いていた

環境に恵まれたのはそうなんですが、自分自身学校というシステムに向いていた人間だと思います。

話すのは結構好きだし、自分独りで勉強するのは絶望的に向いていないしで学校で勉強することに適性がありました。
これも修士まで生き残れた理由の1つでしょう。

まあそもそも学歴に価値を見出すのが古い考えなのかもしれませんが、自分みたいな1人でフロンティアを切り開いていけない人間は明確に学歴という肩書きがあったほうが助かります。
そういう意味でも、学校に向いていたのかもしれません。
「天才肌だけど、天才ではない」ので。

学校に戻るつもりはある

ここで一区切りはつけますが、自分自身学校に戻って勉強する可能性は閉ざしていません。
会社の制度使って、とんでもねえ海外大学に挑戦する気持ちはあります。

自分自身チキって海外に行かなかったので。
多分海外の水が合わないことはわかっているんですけど、それはやってみてから言えばいい。
やってみたほうがなんかいいんじゃないかなあって。

あとそれをモチベーションに、行けなくても勉強すれば積み上げができるので。
必ずその先に活きるタイミングがあるはずです。

だから、終止符じゃなくて休符って言ったほうが適切かもしれません。
生涯学習の時代だしね。

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