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「大安寺傘(だいあんじさん)」デザインしました。

担当:デザイン
制作年:2021年
制作:大安寺、フェリシモおてらぶ

大安寺、クラファンをする

大安寺は南都七大寺の一つにも数えられる奈良を代表する寺院。聖徳太子が建てた仏教道場から始まり、百済大寺、高市大寺、大官大寺と名前を変えつつ、平城遷都に伴って大安寺となる。落ち着いて考えると、今の場所に移る前に既に3度も名前を変えるほど、歴史ありまくるお寺である。
最盛期には約900名近い僧侶が住み、学問に励んでいた。その中には若き日の空海も。また東大寺大仏の開眼供養の大導師を務めたインド僧・菩提僊那もこの大安寺に住んでいた。奈良時代、仏教を学ぶ!広める!と言ったらこの大安寺だったのだろう。
そんな大安寺がこのたび、クラウドファンディングをするという。目的は大安寺天平伽藍をCGで復元させるため。天平伽藍?CG??
お寺がクラファンするというとお堂や仏像の修理などが思い浮かぶのに、大安寺はCG制作だという。どういうことだ、なぜなんだ!

天平伽藍がデカすぎる問題

語弊があってはいけないのだが、昔だけがすごかったのではなく、今の大安寺も十分に大きい。毎年2回行われる笹酒祭りでは約15,000人以上の参拝者が訪れる。一度に15,000人収容じゃないにせよ、それだけの人数が来て賑わっても大丈夫なくらいの広さはある。
それなのにである。大安寺側としては「奈良時代はすごかった」という。どんなもんかと思って聞いてみると「今の大安寺は奈良時代の約4%の敷地しかない」と。4%?!アルコールだったらほろ酔い程度の量である。どうやら奈良時代は約26万㎡の敷地があったらしいのだが、数字で言われてもいまいちピンとこない。

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上の写真は、大安寺旧境内にある東塔復原基壇の看板。ざっくり言うと、大安寺南側の畑ほとんどと、北側の小学校、更には古墳までもひっくるめて余りあるくらいの大きさが、かつての大安寺の伽藍だという。そりゃ町名も「大安寺町」ってなるわ。(と思って調べてみたら、今の大安寺はあくまでも「奈良市大安寺」であって「奈良市大安寺町」は大安寺よりさらに西側の旧境内でもない場所だった。逆に謎が深まった。)
そんなデカすぎる大安寺の天平伽藍。今や周辺には住宅が立ち並び、伽藍そのものの再建はほぼ不可能。そんな中、持ち上がったのが今回の“CGでの復元”だった。

コントローラーで伽藍拝観

現在、奈良文化財研究所などの監修も入りつつ、大安寺天平伽藍CG復元プロジェクトは着々と進行中。制作中のPVを見ても、これで十分じゃないかというくらいの完成度はある。

ただこのプロジェクト、どうやら単なるCG復元とは違うらしい。完成すれば、ゲームのコントローラーを使って自由に境内を散策できるようになり、目線の高さを変えて空も飛べちゃったりするという。なんだそれ!楽しそうだぞ!しかも後々は、自分のアバターを置いたり、伽藍各所に解説ポイントを設置したりといろいろ活用方法もあるようで、聞いているだけでワクワクする。
お寺好きからすると「なぁ~んだ、CGか」と思ってしまうところが正直あったが、もしかしたらこれは、異次元空間にゼロから伽藍を建立する「令和の寺院建設プロジェクト」を目撃しているのではないか!という気になってきた。すっかり大安寺CG伽藍の施主にでもなったような気分である。

返礼品どうしよう

クラファンをするからには返礼品が必要。副住職さんから「何かいいアイディアないですかね」と相談を持ち掛けられる。お寺関係で困ったときは私、、、ではなくフェリシモおてらぶさん!すぐにおてらぶさんにご連絡して打合せをセッティングした。

打合せ開始早々に、おてらぶ部長さんから「傘とかどうですかね?」とのアイディアをいただく。かつて大安寺にあった七重塔の屋根を傘で表現しようというのだ。ちょうど折りたたみ傘で四角い形状のものもあるようで、それならさっそくデザインしようということになり、ようやく私の出番である。

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もともと寺院建築の組物が好きである。この軒下のごちゃごちゃした感じがたまらない。垂木、肘木、斗、一つ一つをとっても美しいパーツがパズルのように組み合わさって、強固な構造の一部として建物を支える。構造体の一つにしかすぎないはずなのに、なぜこんなにも美しいのだ。太い部材と細い部材がリズム感よく並ぶ姿は楽譜を見ているかのようで、心地いい気分にさせてくれる。
そんな軒下の美、天井裏の美を傘として表現する。無事、折りたたみ傘に七重塔の屋根は収まるのか!

鮮やかな寺院建築

傘の裏面である軒下・天井裏の部分からデザインを開始した。傘のサイズのこともあり、参考となる塔の設計図そのものをまんま入れることができない。どこを省略してどこを合わすか、細かい調整が続く。
傘には持ち手となるポール部分がある。傘の裏面を見続けていたら、ポール部分が塔の心柱に見えてきた。今回のデザインにも中央には朱色の堂々とした心柱がある。
作業としては、まず1/4面を作って、それを90度ずつコピペして全体の一面とした。ぐるっと一周デザインを並べてみると、鮮やかな朱色と白のコントラスト、要所要所にポイントとなる金物の黄色が入り、惚れ惚れするほど華やかな画面が出来上がった。これは私のデザイン力、ではなく、あくまでも古代の人々の建築美の結晶である。
※ちなみに表面は黒地に軒丸瓦・軒平瓦をデザインした。

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飛鳥園デビュー

デザインを入稿して何週間か後、サンプルが出来上がってきたという報告を受ける。報告を受けたのはサンプル撮影の前日。これは急いで取りにいかねば!ということで、一人近鉄電車に飛び乗った。大阪難波駅のホームでおてらぶ部長と待ち合わせ。ドキドキしながら到着を待つ。
電車のドアが開く。部長は何号車に乗っているのだろう。キョロキョロしていると向こうから部長がやってくる。部長っ!!

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ということで、無事にサンプル回収。急ぎ奈良へと引き返す。
翌日は朝から大安寺へ。今回のサンプル撮影をしていただくのは、なんとあの飛鳥園だという!太っ腹!(何がどう太っ腹なのか、もはやわからない。)亡くなった仏像好きの祖父が言っていた「仏像写真は飛鳥園だ」と。そんな祖父との思い出を胸に、いざサンプル撮影。

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撮影は仏様のいらっしゃるお堂で。飛鳥園が仏様を横目に折りたたみ傘を撮影することなどかつてあっただろうか。謎の風景である。
撮影は順調に進む。その様子をニヤニヤしながら見つめる私。自分がデザインした傘を飛鳥園カメラマンが真剣に撮影してくれている。たまに私に「こんな感じでいかがでしょう」とか聞いてくれる。いいに決まっているじゃないか。なんて幸せな瞬間なんだろう。
そんなこんなでサンプル撮影は無事に終了。幸福感に浸っていたら「あだちさんも撮ってもらったら?」と言われる。い、、いいんですか?!
ということで、完全に外野でボーっとしてたのに、折りたたみ傘を差した状態で飛鳥園に撮影していただく。じいちゃん、私、飛鳥園に写真撮ってもらったよ(泣)。

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はい、顔テッカテカ。傘も相当派手なのに、それに負けないくらいのシャツを着てきてしまったがために傘の良さも出し切れていない。
こうして私の飛鳥園デビューは私らしい結末で幕を閉じたのだった。それでも嬉しすぎたので、是非とも遺影に使ってもらいたい。(顔のテカリは修正してください。)

七重塔の下で雨宿り

色々あったけど、無事にサンプルは完成した。サンプル品を手にして気づいたことがある。それは、傘の骨が折れるところを境に、きちんと軒先と天井が分かれるようにできていること。
何言っているかわからないかもしれない。先にも書いたが、今回のデザインでは軒先から天井面の装飾を一枚の面としてデザインした。本来なら塔の胴の部分が邪魔して塔の外からは天上を見ることはできないのだが、そこは嘘をついて胴を抜いた一連の装飾として仕上げた。とはいえ、デザイン上では「ここからが軒先」「ここからが天井」という境がある。実際の塔も軒先の部分は斜めに張りだし、天井部分は地面と水平になっているはず。その軒先と天井の境目が、見事に傘の骨の屈折部分と当てはまったのだ。

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これは全くの偶然だった。デザインをしている段階ではどこが折れるのかわからなかった。わからずにデザインして、上がってきたら見事に軒先の部分から先が斜めに折れるようになっていた。奇跡としか言いようがない。大安寺の仏様が見ていてくれたのか。
そんなこともあり、この大安寺傘(だいあんじさん)はデザイナーである私の想定した以上にキチンと「塔の屋根」になっている。この傘を差して下から見上げてみると、塔の下に立ってウキウキ軒先を眺めているあの感動がよみがえる。テンションが上がる。
この傘は晴雨兼用でもある。晴れの日も雨の日もマイ塔(大安寺傘)を持ち歩いて、そこかしこで差していただきたい。あなたを紫外線や雨粒から守るように七重塔の屋根が覆いかぶさり、あたかも天平時代の大安寺にいるような気分になる、かもしれない。
そしてもしよければ、その傘をもって是非大安寺へとお参りに行ってほしい。拝観後、境内の南側にある塔跡へも足を運んで、在りし日の七重塔に思いを馳せつつ、空を見上げてほしいものである。

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※上の写真は2016年開催の「古都祝(ことほぐ)奈良」での塔跡


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