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さようならば

 朝起きた時点で今晩何を食べるか決まっていること、決められてしまっていることは、大変有意義なことなのかもしれない。今の僕は個人的な時間ばかりで、決まって誰かと共有するものがほとんどなくなってしまった。例えば僕がたまたま自宅マンションの階段を転がり落ちて壮絶なまでのドジの末絶命しても、その時に僕の死を初めて目の当たりにするのは、おそらく知りもしない通りがかりの人になるだろう。それが、この先独り者である限りどこへも必ずつきまとってくる。
 noteを始めたのは、小説を上げるためである。
 ここまで既にちまちまとした駄文を連ねてしまったが、僕が書いている今のところの"エッセイ"なるものは、その小説に帰結していく、僕の極私的な話のつもりだ。私小説という最大限の自分語りに向けて、予め少しでも風味を振りまいておきたいのである。
 つまりこれは、今読んでいただいているこの文章は、文庫本によく付録されている「あとがき」なるものを本末転倒な姿へと昇華させた、「さきがき」なのである。

 『僕じゃ』というタイトルのその小説は、昨年、コロナ禍の黯然たる雰囲気と、それに抗うような非現実的なハロウィンの夜を猛烈に遠くに感じ、ひっそりと息を引き取った僕の父にまつわる話、である。
 予め作品を解説するような(クラシックコンサートのプログラムノートのような)不粋で本質的な魅力を削いでしまう添え物をわざわざ拵えるつもりもないのだが…。
 同じくコロナ禍に入ってから趣味で始めた"自宅録音"について考察と実証を繰り返し検討しながら、録音データ書き出しの合間という時間から遂にはみ出てきて、「小説を書く」ということに至った。その経緯で、改めて見つめ直した『僕じゃ』についての手触りが、僕の中のどこか別の感覚へ移ろいでしまう前に書いてしまってもいいのかな、と思った次第である。

 何のことはない、父の死は僕や家族や周囲の人たちの中では、まるっきりまだ「解決」していない。
 先の投稿にも記したが、父の死の波紋によって、やはり連鎖的にもっとやりきれない別の死を呼び込む事態にまで陥ってしまっている。
 父は少し前(随分前)に流行った『動物占い』のうさんくさい賑やかな装丁の本を、『伊藤家の食卓』の裏技本の次に気に入っていて、それは、自分が唯一架空の動物である"ペガサス"に該当していたことが単純明快な理由だった。
 カリスマやリーダーと言った、いかにも外面がよかった父らしい言葉が躍る"ペガサス"の気質を、実際持ち合わせていたように思う。線香をあげにきてくださった父の知り合いの方々は、父を亡くした僕や家族に、何か深く共感しているような思い遣りを向けてくれた。それはこの先の不安や、これまでの緊張から解かれた虚脱感のような、僕の"父"を少なからず想いながらお付き合いを続けてくださった方々からの発露であったようにも思う。
 父の後輩だったNさんは帰り際に、「"お父さん"が必要な時は、いつでも僕に言ってね。僕じゃ役不足かもしれないけど」と、コートを広げる僕の方を見ながら、やがて袖に腕を通し身体を反転させて僕と同じ方向を見据えながら、優しい声をかけてくださった。
 『僕じゃ』の中で触れている"パソコンを組み立ててくれた後輩"が他でもないNさんなのだが、そのNさんにも、父は「僕じゃ」と言わせたのだった。

 こちらが気を回さなくても、コロナ禍の自粛中でもさして問題ない程度にしか訪問はなかった。
 お一人お一人、換気をしながら、落ち着いて話をすることができた。
 僕は、全く結末のついていない"父の死"を、書いてみようと思った。
 僕の筆では、おそらくライトノベルのような、年端のわりに沸騰しやすい熱のこもったものになるだろう。何を書くかは、書いたことのない自分に書く前から定めることはできないし、そう覚悟を決めて、Nさんの言葉をいただいて、『僕じゃ』を書き始めた。
 書いている最中、読み返している時、いつも涙が溢れてきた。常に感情的だった。
 今でも平静な心持ちで読むことができていないので、そこに潜む青青しい臭さだけは匂うようになってきたものの、まだ後遺症に苦しんでいる段らしい。
 しかし、まぁ、もう少し自分が定まらないと父親のことなど書けるはずがないので、この『僕じゃ』は、今はこれでいいような気もしている。そもそも今からそんなことを独りでに考えてしのごの言っているのは、鬱陶しい。やっと気がついた僕は、これでそろそろやめにする。
 最低限の清潔さは保っておきたいが、すぐそこまで見えてきている自分に決着をつけるためなら、ええいと書いてしまえばこっちのもの。

 今の僕は朝起きて、今晩何を食べるかなんてすぐに考える必要がない。ただ、そこから晩まで、たまに夢の間も、父と遺った僕たちのことを考えている。
 うぜーーーと思っていたけど、もちろん父に会いたい。


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