存在しなければ苦しみもない。生まれてきたくなかった。望んで生まれてきたわけではないのにこれ以上苦しまないためだけに一生懸命生きている。早く人生終われ。安楽死させてください。

死にたい。人生を終わらせたい。もう苦しみたくない。生きるのはしんどい。

だから死は救済だと思っている。

でも簡単には死ねない。
自殺未遂の人に比べて自殺が成功した人は少ない。生き延びてしまって後遺症が残ったらより生きづらくなる。だから自殺ができない。
それに自殺は痛い。救済と思っていた死を選んだらまたとんでもない苦しみと向き合わなくてはならない。

簡単に楽になれる方法はないものかと悩む。

この世に生まれてこなければ、存在自体なければ幸も不幸も感じない。しかしそうでありたかったと願っても既にこの世に存在してしまっているからどうしようもない。

この世に生まれてきてしまって、簡単に死ぬことができない。人生100年時代と言われるけど100年も生きなければならないなんて考えられない。

生まれてこなければいい。
というか、両者の合意がなくこの世に100年生きると言われている感情を持った生命を生み出してはならないと思う。

私のこの考えが理解できない人はいる。
当たり前のように子を望む。なぜ子を望むのかと問うても答えられない。介護をしてもらうためと答える。

これはすべて私の友人の答えだが、この世にこれから存在させられる側のことを一切考えていないことに腹が立ってしまう。いやそれより絶望がまさっている。

生まれたての赤子はとても小さい。泣き声すら心許ないので守らなければと決意もするだろう。子どもは力も弱く手中に収めることが容易だろう。
この世に100年生きる感情を持った人間を生み出したいと思っている人たちよ。この先は考えているか?

人は歳をとる。成人を迎えれば一人前とみなされたり、義務教育を卒業する歳には働くこともできる。100年生きなければならないのに15年で社会に放り出される、18年で、22年で、、、

そうして毎日働いて働いて、働く日より休みの日が多くなることもなく、望んでこの世に存在しているわけでもないのに社会の一員として面倒なことをこなしていかなければならない。

親がどれだけ愛情を与えたとしても成人までしか責任を負う気がないなら無責任ではないかと思ってしまう。この世に生み出すかどうかの決定権を持っていたのはそちらなのに。

12歳から死にたいと思い続けている。
幸せなこと、嬉しいこと、感謝することがこれまでなかったから死にたいと思っているわけではない。

ただ死にたい。
生きていなければ幸せと感じることもない。その境地にいきたい。どれだけ幸せを感じたとしても、苦しんだ時間は消えない。

でも死ねない。自殺に失敗するリスクと痛みは苦しみだから。

安楽死が認められる日を心待ちにしている。


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