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「悪性です」と言われた乳がんを約3年放置した結果…(その1)

正直に打ち明けます。私は相当な怖がりです。そして情緒不安定でもあり、ビビリでした。
約3年前、自分の身に降りかかった出来事から逃走し、さらに必死に記憶を消そうと懸命になっていました。そうすることでしか自分を守れなかったのです。
メンタルが激弱だと、何事にも立ち向かえずにいました。

そしてそれ以降に出会った人達や、学んだことによって少しずつですが、変わっていくことができました。
今ようやく自分の問題に向き合う事ができ、オープンに書くことができるようになった事に、素直に驚いています。

こんな自分と関わってくれた全ての人に、感謝いたします!

1、胸に異変を見つけた3年前


正確には2年と9か月前のことです。
右胸に小さなクリっとしたしこりを見つけました。 そして県下で、ぶっちぎり最多の手術数を誇るTクリニックを受診することにしたのです。

胸を2枚の板で挟まれて、しばし歯を食いしばって我慢しなければならないマンモグラフィー。その次は、ベットに寝かされひたすら無言でエコー検査が進められる。ぐりぐりと胸に押し当てられる超音波の器具が苦痛でしかない。何度もなんども延々と続く検査。。

丁寧に診てくれているんだろうけど、器具の冷たい感触と一体いつ終わってくれるのか読めない空気感がとても辛かった。
やっと終わったと思いきや、今度は別の医師に代わっての検査。またさらに、同じだけの時間長々と繰り返される超音波検査が、まさかこんなにしんどいとは思わなかった。

そしていきなり「じゃあちょっと局所麻酔して、針しますね」
と言われた。
えっ、麻酔⁉針⁉って何???

「じゃあちょっと痛いですよ」
ちょっとどころの痛さじゃない!!
家に帰ってから夜お風呂に入る時、絆創膏を剥がしてみた。胸にはカミソリの刃で斬られたような極細の薄く短い切り傷が2カ所付いていた。

そして1週間後、検査を聞きに行った。
「悪性です」

検査の日には、T先生しかいなかった診察室に、悪性ですと言われた途端、特に用事もない3人の女性看護師が、いつの間にか部屋に入って立っていた。そして、じぃーっと私の顔をチラ見したり、わざと視線を外したりと傍観している。
こういうシーンになると、私はワッと泣き出すものと思われているのだろうか。。人の不幸は蜜の味で、毎回見物が楽しみなのだろうか、とそんな事を私は考えもした。

T先生はただ紙に書きながら説明してくれた。



・ゼロ期6ミリの乳ガン
・生存率100%
・抗がん剤、放射線の必要なし
・手術時間20分
・傷跡も残らない胸の形も変わらない
・放っておけば、このガンは15年位であなたを殺します

「じゃあ次はMRIを撮ってきて。撮影する病院を紹介するから。支払いはウチでしてね。
その後画像を見ながら、ご家族にも説明します。そしてそれから手術になります」

ただびっくりしてストレス下にいる私は処置室に連れて行かれ、採血された。

最後に受付に行くと、MRIを取るクリニックの案内地図と注意事項を聞いた。
またもやそれにもア然!!
「最終月経の開始日を聞かれます。返事によっては撮影が延期になってしまいます。問題ありませんから、○×日と答えてください」と言われるのだ。

もうこれは、有無を言わさずベルトコンベヤに乗せられて、手術台へレッツゴー!と言う流れではないか⁉︎
私の細胞診が、悪性だと決定するに至った物証は何も見せてもらっていない。ただT先生との会話と手書きの診断書だけ。

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クリニックの雰囲気も然りで、もう私はそのTクリニックには行かない事を決めた。

だって、欧米ではゼロ期のガンは、ガンとは言わないそうではないか!
ただの異形上皮でしょ、と自分を納得させる事にした。

それ以降、何度もTクリニックからは電話がかかってきたが、お断りするのみだった。


とは言えもし、本当に癌だったら怖い!という不安な気持ちがないわけでもない。
以来毎年、違うクリニックを受診して、がん検診はちゃんと受けることにした。

そして、どのクリニックでも問題ありません、と診断してくれるのでホッとしていた。




2、時はさらにさかのぼり、10年前にも手術台へ……




実は10年以上前、子宮頸がん検診の受診票を持って産婦人科を訪れたときのこと。
卵巣嚢腫が見つかり、すぐ手術しましょう!との話になった。
「今月はウチ、出産ラッシュだから、来月手術ね。放っておくとガンになるかもしれないから」と言われてびっくり仰天!
その夜は、市設のフランス語の授業の日だった。
そのクラスに、日赤病院で小児科医をやっているクラスメートを見つけた。
すぐさま私は、その彼女に相談してみた。

「私も子宮筋腫持ってるけど、切らないもん。だからくーみんも切らなくて大丈夫よ」とあっさり言ってくれた。
よかった。その一言でもう、手術はしない。そしてあの産婦人科には近づかないと決めた。

それから数年後、妹が出産で里帰りしてきた。妹の送り迎えのため、自分が近づがないと逃げた産婦人科を再度、訪れることになったのだ!
まるで私は犯罪者かのように、コソコソと顔を見られまいと、かなり後ろめたい思いでいた。

とにかくそのくらい、手術って言うだけで怖いイメージしかないし、涙がちょちょ切れそうで嫌なのだ。
ただでさえタフでないのに、切られて余計ダメージを負ったら、もうまともな人間生活を送れなくなるんじゃないかと、不安で仕方がない。




3、Tクリニックで指摘された場所が痛み出したこの夏



実はこの夏から、Tクリニックでゼロ期のガンですと指摘された場所が、しくしくと痛みを感じるようになった。
も、もしや本当にガンだったのでは、という不安がなくもなかった。
だけどなぁ。。やはり病院は苦手だし、忙しいし、と言い訳しながら、検査にいくのを渋っていた。

その頃、Twitter上でライター仲間たちのツイートに気づかされるものがあった。

実際に、若い時期にガンを患っても、メンタルが凹まないきの子さん。

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なんというタイミングだろう、と。これは私に、ちゃんと検査に行きなさいとみんな示唆してるのではないかと思う程だった。

オサさんも、ガンではないが、手術後元気に回復して活動を再開された。

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そこで私も、彼女たちにかなり大きな勇気をもらって検査に行く覚悟を決めた(なんという大げさな。。たかが検査ですぞ汗!)

今回も、姑息な私は見知らぬクリニックを選んだ。

S先生は初対面なのに、何故だかとても話しやすい。
苦痛なはずのエコー検査も、いっしょに画像を見ながら、説明してくれるので、わかりやすく辛さも和らぐのだ。
「あー、こいつですね。確かにあるけど、良性でしょう。乳腺炎かな。問題ないですよ」

ほっと安心した私は、今までどの先生にも黙っていたのに、今回はつい口が滑ってしまった。
「実はこれを3年前、ガンだと言った先生がいるんですよね~」
「え〜〜!それで3年放っておいたの?それは感心しませんなぁ……けど、6ミリでゼロ期、それですぐ手術。。じゃあ、今日は針生検しなきゃあなぁ〜。それ、Tさんで言われたんでしょ?」
「ようご存知で」と私。どこまでも話しやすい先生だったので、ついタメ口になっていた。
「じゃあ、ちょっと刺しますけどね。肺まで刺した先生もいます。私の先生が刺すところを、私は見てました。だけどまだ私は一度も刺したことはありません」
「えっ!?その肺を刺された人は、まだ生きているんですか?」「もちろん、そりゃあ生きていますよ」と、見た目はお堅そうなS先生が口を開くと、親しみ易さ丸出しになる意外さが面白かった。
おかげで、あんなに嫌だった検査も無事終了。

最後にS先生は、ぎくりとする発言をした。「針を刺したときにね、良性ならば逃げようとするんですよね。だけど、ぐにょっとする感触でした」

あっちゃ~、と思った私は聞いてない、聞いてないと、またもや防衛本能が働くのを感じた。そして記憶を消そうと、ブルンブルンと脳みそを振り回しながら帰宅したのである。

この辺で、その2へと続きます♪

長々と読んでくださって、ありがとうございました!!!

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