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「悪性です」と言われた乳がんを約3年放置した結果…(その2)

年の瀬の慌ただしい時に…なんですが、今年自分の身に起こったことを区切りとして書き留めておきます。

この12月、乳がん検診に行った前回のお話し
そして1週間後、針による生検の結果を聞きに行ってきました。

自分を待ち受けた結果は…


まず大丈夫!というすっきりとした気持ちと、もしや…という気持ちゼロ!で訪れたクリニック。

……結果は「クラス4のガンの疑いあり」

「こういう診断は、甘めに書きます。だからガンでしょうと確信しても、こういう書き方になるんです。クラス4ならほぼ間違いありません。紹介状を出すから、大きな病院でしっかり診てもらってください。手術して放射線治療になる場合もあるでしょう。大きめに切除して様子を見るという方法もあります。
Tはなぁ、こういう小さいのを見つけるの、上手いんだよなぁ」とボヤき、最後にはTクリニックを肯定する姿勢に変わっていた。

だけど今回は、下記の報告書を見せてくれたので、もう私はグウの音も出なかった。。

「先生、標準治療じゃなくで、代替治療を選ぶ方法もありますよね」と言った途端、S先生はびっくりして、なんだかお人が変わってしまった。


「そんな治るかどうかもわからないもの…」と吐き捨てるように言った。それから一瞥して、私の身なりを頭のてっぺんから足先までじろりと見下ろし、これまでの親しみやすさはすっかり消えていた。
「とにかく今日が金曜日ですから、これから紹介状を書きます。来週は大きな病院で診てもらってください、はい!」であっさり終わった。


確かに3年前の6ミリが簡単に消えるはずもなく、今や2センチとなって画像を突きつけられてしまった(だけど早すぎじゃん!!がんって1センチになるまで10年以上かかるはず…確かT先生も、この6ミリのがんは8年くらい前から出来たのでしょう、っと言っていた。なのにS先生は、3年放っておいたから2センチになっちゃったじゃん、っておかしい。。。)


いずれにしても初期の段階である。私は胸が痛くて検診に行ったのだ。普通は、初期で痛むことはないって聞くし、きっと他の人の検体と間違えたのさ!とまだ報告書を見ても、ガンではないと信じている自分がいた。

そして週明けの月曜日、クリニックより「木曜日の予約が取れましたので、県立病院へ行ってくださいね。それまでにウチへ紹介状を取りに来て、手数料も支払いに来てくださいね」と優しい看護師さんの声で、電話が入った。

初めて大っきな病院へ行く

いざ木曜日、私は決戦に向かうが如く、きれいに洗車した車を運転して初めて訪れる県立病院へと走らせた。


専売公社の広大な跡地に建てられた大きな病院。車寄せにタクシー乗り場もあり、まるでテレビドラマに出てくるようなかっこいい病院だ!と田舎モノ丸出しの私は、テンションが上がってしまった。
ここなら入院しても、こっそりタクシーに乗って外出できそう…と悪賢いことも考えた。

駐車場に車を置き、歩いていくとカフェテリアに売店。エントランス中央にはエスカレーターと、設備の整った病院にまたしてもワクワクした。便利で選択の幅が多い方が、快適にわがままな病院生活が過ごせるではないかと、しっかり入院するつもりでいる自分にちょっと呆れた。


私は寒いのが苦手だ。同じ市内に住んでいるとはいえ、田舎の家は気温が1、2度は低い。石油ストーブをつけても、なかなか16度以上になる事は無い。祖父母たちが遺してくれた平屋の木造の家で一人住んでいる私は、行き来するすべての部屋のエアコンをつけるわけにもいかないと、部屋を移動する度に寒さが結構こたえる。だから1、2月はたとえ1週間だけでも、暖かい海外に行くことが多かった。さすがに今のご時世で、それは無理だから入院するならぜひ今!なのである。不謹慎だけど。。

O先生と初対面

受付を済ませ、乳腺外科へ行くよう番号札を渡された。
ほどなくして呼ばれ、診察室に入っていくと年配のいかにも経験を積んだ、だけど権威的とか威圧的ではない、大きな視野を持った温和な風格のO先生に出会った。

瞬時に私は「あー、この先生の言うことはちゃんと聞かなくちゃだめだな。今回は逃げてはいけないな」と自分に言い聞かせた。
そしてO先生の最初の一言に、私は面食らったのだ。


「この補中益気湯って何の薬ですか?」
「あ、漢方薬です。疲れやすいって言ったら処方してくれました。1日3回ちゃんと飲むと、これまで35度台だった体温が36度に上がって、楽になりました」と言うと、O先生はふんふんと言って何か書いていた。

(医者のくせに補中益気湯を知らんのかーい、ってずっこけた私である)
この最初のやり取りで、なんだか気が抜けて、いいよ切るなら切っておくれ。まな板の上の鯉になるよ、と決めた。

そしてまたエコーで確認される。画像を見ると1.9センチと、S先生の時より1ミリ小さくなっていた。
「じゃあ今からレントゲン撮ってきてね」と言われ、マンモグラフィーを撮りに行った。


撮影が終わり、診察室前に戻ると私の番号札は「次呼び出します」と表示されていたので、扉のすぐ真ん前で待つことにした。
扉が開くごとに立ち上がり、行こうとしたけれど、その都度看護師さんに制せられる。何度見ても、次は私の番号が表示されるのに毎回、違う人の名前が呼ばれ、とうとう一番最後になって、やっと呼んでもらえた。


ようやく診察室に入りO先生の一言で、なぜ私が一番最後になったかわかった。
「これが先程のマンモグラフィーの画像ですけど、何も写ってません」と言ってO先生は首をひねるのだ。
(だから私の乳房は、マンモグラフィーには写らないタイプなんです!って言ってるじゃないですか、と心の中でつぶやいたけど、マンモグラフィーを信仰している先生たちは絶対に写るものだと思ってるらしい。。
この写らないタイプの乳房と言うのは、3年前のT先生に教えてもらったのだけど、ここでもT先生は嘘をついていないと言うことが証明されてしまった)


「じゃあ次回はMRIで撮影してみましょうね」とO先生は、それ以外なにも言わなかった。
「あのう先生、これから一体どうなるんですか?いつ手術になりますか?どのくらいの期間、入院しますか?メスで切り開いたら、あーこいつがガンだって見えるんですか?」私はいろんな疑問をいっぺんに投げかけた。


「混んでるから1月は手術できないですよ。1週間はふつう入院しますね。目でガンだって見えませんよ。だから私、まだ何もはっきりと言ってないでしょ。細胞診でクラス4がでてるし、Tも3年前に悪性だって言ったんだよね」
(ちっきしょ〜。S先生ったら、紹介状に3年前の事を書いたのね。。真っ新な状態で診てほしかったのと、私が3年前には逃げた臆病者だって事がバレてるじゃんか〜と、恥ずかしかった)


クラス4という判定は、5段階中の4番目のクラスという評価で、90%の確立なのだとO先生は教えてくれた。
そして年明け早々にMRIを撮ることになり、その日程と結果がでた後、改めて診察を受ける日にちが決まった。

県立病院を後にして

「そんなわけだから、これからちょくちょくちゃんと来てね」とソフトに釘を刺すO先生。(もう逃げませんよ~wwと、逃亡の前科持ちとしては、やはり恥ずかしかった)
とは言え、それまではほったらかしじゃんか!と思った私は、その間どうするかを考えた。


そして今月頭に、初めて訪れた漢方薬を処方してもらった内科のクリニックへ予約を入れたのだ。
結果が出るまでの間、漢方薬で何とか対処してもらおうという魂胆だった。

今月初めに処方された3か月分の補中益気湯。

O先生と同じくらいご年配のY先生。
先月から今月にかけての体の異変を話すと、明るい顔色を全く変えずに「そうですかあぁ」と大きくうなずいて、すぐさま2種類の漢方薬を処方してくれた。
「それでMRIの撮影はいつですか?何時?そしてO先生の診察は何日の何時ですか?それでは、その診察のあとウチに来てください。またその診断結果に合わせて、次の対策を考えていきましょう!
クラス3とか2になってるかも知れませんしね!」と意気揚々と声高らかに励ましてくれるのだ。


気持ちが軽くなった私は「O先生に『補中益気湯って何の薬ですか?』と尋ねられました」と言うと、
「ワハハハハ、O先生は外科の先生ですからね、今回の通導散や桂枝○○丸のこともご存知ないと思いますよ。でも、それでいいんですよ。ワハハハハ!」と、まさしくあっぱれ日本男子!みたいに明るく無邪気に笑い飛ばしてくれた。
まだ今回、2度目にお会いしただけというのに、とても心強い味方になってくれたような嬉しくなるY先生だった。

やっぱり私は、こんな個人病院の小さなクリニックが好きだな、と思った。

「細胞診でクラス4がでた」と言えば、ガンという単語を使わなくても、分かってもらえるんだ、ってことも初めて知った。

また来年からの病院とのお付き合いで、どんな出来事が待ち受けているのやら。随時、ご報告させていただきますね。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!

くる年も、エネルギッシュに乗り越えて行けますようにっ♪

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