学習漫画・世界の伝記「キリスト」を読み比べてみた
マンガ伝記「キリスト」の初版と2版を比べてみました。
集英社版学習漫画「世界の伝記」
集英社版学習漫画「世界の伝記」シリーズといえば、
だそうです。ラインナップは
1巻が野口英世、
2巻がヘレン・ケラー、
そして13巻がキリスト。
なぜキリスト巻に13というナンバーをw
何か狙ったのだろうかw
それはともかく、第1版が1985年に出てるのだけど、その後に第2版が出ていると。
何が変わったのだろう。
実は第1版の内容で、聖書の記述とは違うところが散見されるんですよ。ほとんどはまあ演出だろうと思いつつ、中には演出というよりミスではというところもあって、それを第2版では訂正してたりするのかなぁと。
だったら比べてみましょうということで、初版と第2版を入手しました。
第2版ではここが変わってた
表紙・カバー
デザインはがっつり変わってますね。
そりゃそうか、せっかくのリニューアルだもの。
第2版のカバーは新たに書き下ろしたのでしょうか。
情報量としては、第1版では背表紙にだけ「永遠の救世主」というコピーがあったのが、第2版は「神の愛をといた救世主」というコピーが表紙に大きく入ったのが目立ってますね。
あとなぜか、初版の表紙にあった「漫画・森有子」が第2版の表紙からなくなってるだけど、何か事情が?
第1版ではカバーの裏表紙部分に「監修/国際基督教大学教授 古屋安雄」「シナリオ/竹村早雄」「漫画/森有子」とありますが、第2版ではありません。
第2版のカバーをめくると、裏表紙にやっと「監修/国際基督教大学教授 古屋安雄」「シナリオ/竹村早雄」「漫画/森有子」とあるけど、カバーをした状態だと「監修/国際基督教大学教授 古屋安雄」だけしかない。
どんな事情が。。。
裏表紙の価格が、1985年の第1版では「定価 580円」で、消費税もまだなかった時代なんですね。
2004年の第2版第20刷ではカバーに「定価「本体900円+税」」となっています。帯には「定価945円「本体900円」」とあるので、消費税5%の時代ですね。本体価格は第1版に比べると約5割増し。
見返し
見返しは第2版でがらっと変わってます。
表紙側に「キリスト・関係地図」があり、北はナザレから西はエジプトまで、キリスト関係の土地がカバーされています。ガリラヤ湖が省略されているのは残念だけど。
それより、第2版の裏表紙側の見返しの「キリスト教の祭り」が、ちょっとねぇ。
「クリスマス」「イースター」はいいよ。
「カーニバル」も、レント(受難節)との関係が説明されている。
問題は「ハローウィン」だよ。「キリスト教の子どもの祭りです」って説明されちゃってるよ。
監修者の国際基督教大学教授・古屋安雄さん、ちゃんと監修してるんですか?
と思ったけど、監修したのは第1版だけだったのかもしれないですね。第2版の変更箇所である見返しの情報は監修されてないのではと。
変更箇所は以上です
第2版で変更されているのは以上の、カバー、表紙、背表紙、裏表紙、見返しだけのようです。
あ、巻末の「世界の伝記」「日本の伝記」シリーズの広告ページと、奥付は変わってます。
それ以外の部分、つまり本文は、私が見たところ変更がないようです。
だからやっぱり、監修者が監修したのは第1版だけなんでしょうね。
でもそれなら、第2版の表紙から「漫画/森有子」を削ったのはなんでなんだろうなぁ。
どうせ改版するなら直せばよかったのに
せっかくなので、どうせ改版するならここ直せばよかったのに、というところを少し。
出版不況の昨今、第3版が出るかは難しいと思うけど。
上記画像、白黒の左ページの左上のコマで「そして数百年が流れたある夜」がひっかかる。
セレウコス朝シリアがエルサレムを支配したのは、アレクサンドロス大王没後のディアドコイ戦争の結果だけど、エルサレム神殿に偶像礼拝をもちこんでけがしたのはアンティオコス4世エピファネス(在位:前175-163)が即位してからだよね。
で、東方三賢者の訪問は前4年にヘロデ大王が没するより前。
「そして数百年が流れた」は、ちょっと盛ってるよな。
「そして百数十年が」でないと。
ところで本書はバビロン捕囚から書き始めてるのが、いいシナリオだなと思います。
福音書では、ヨセフの夢の中で天使が「エジプトに逃げろ」とお告げしてるのだけど、上記の右ページ上半分ではヨセフが東方三賢者と歓談してるさなかにお告げがあったという演出。
(エジプト滞在中に天使が「イスラエルの地に」帰れと告げた場面、ちゃんとヨセフが眠ってる演出になってます)
イエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受ける場面。上記右ページの大ゴマ、これ滴礼だよなぁ。
せっかくヨルダン川のまんなかあたりまで入っていったのに、浸礼じゃないとか。バプテスマなんだからバプティゾー(沈める)しろよって思うのだけど。
でもこれは宗教画でも「ヨルダン川の中で滴礼」で描かれてるものが多いから仕方ないか。
このページの前に、ユダヤ教の教えに疑問を持つ青年イエスの心情が創作されているのは、「資料にもとずいて正確に」という趣旨からは外れるような気はします(聖書以外の伝承を資料としているのかもですが)。
演出としてはアリかもだけど、イエスの「人間としての人道や社会正義」を押し出す必要があったのかと。しかもなんとなく、うっすらとした反ユダヤ主義をにおわせてもいるような。勘繰りすぎかなぁ。
公生涯の前にイエスが悪魔から試練を受ける場面。
このバトルは、イエスが「と書いてある」で押しとおすのと、悪魔のほうも「と書いてある」を使うという攻防が見どころなのに、イエスの3ターン目しか「聖書に書いてあるではないか」がないのは残念。
バトルシーンのスピード感の演出のため、セリフを短くしたのかなあ。
でもこのバトルをほぼ見開き2ページで表現したのはすごいと思う。見開きごとにカラーページとモノクロページになってるのだけど、この盛り上がるシーンをカラーページに持ってきてるのも計算されてるんだろうなぁ。
「善きサマリア人」のたとえの説明(上記左ページ欄外)、「サマリアびと…自分たちだけの神殿をもち、エルサレムの神殿をおがまないサマリアびとは、ユダヤ人から口もきいてもらえませんでした。」というのは、ちょっとなぁ。
まず、ユダヤ人も「エルサレムの神殿を拝む」ということはしなかったよね。「エルサレムの神殿で拝む」だよね。
それ以前に、ユダヤ人の差別によってエルサレム神殿に詣でることができないからゲリジム山に神殿を建てたんじゃなかったか?これはどっちが先か未確認だけど、でもサマリアびとについて注を入れるなら、ゲリジム山の神殿のことよりもっとほかに書くことがって。
十字架のあとユダヤ指導者がピラトに「イエスの墓に番兵を」と求める場面。右ページ最後のコマのユダヤ側代表、エフォドらしきものの上に胸当てをつけてて大祭司らしいのは細かくて好きだなぁ。だったら、王冠ぽいのはターバンにしてほしかったけど、インドっぽくなると思って変更した?
でも大祭司のユニフォームの前に、だ。
そもそも異邦人ピラトの官邸に大祭司が入っていくか?イエスを死刑にするために総督に提訴するときだって「彼らは自分では官邸に入らなかった。けがれないで過ぎ越しの食事をするためである」というくらいだよ。この時期は過ぎ越し祭に続く除酵祭の期間中だよね?
でもまあ、くどく説明するよりは演出上の工夫かなぁ。
気になったのは以上か。
最初の「数百年」以外は演出上の都合と思えなくもないけど、逆に「数百年」という盛り方にはどういう意図があるのかと。ただのミスとしか思えないのだけど。
まとめにかえて
いろいろ言ったけど、全体的としてはちゃんとしてると思う。
同じようなマンガのキリスト巻で、十字架の場面で終わらせて「イエスは弟子たちの心に生き続けました」という、肉体をもっての復活を否定する自由主義神学なマンガ偉人伝を読んだことがあった気がするのだけど、それに比べたらこの集英社版はちゃんと十字架の死と埋葬、からの復活と昇天まで描いてるのがすごくいい。
このシリーズを蔵書してる公立図書館も少なくないと思うし、これを手がかりにキリストという偉人に興味を持つ子供がいたらいいなぁ。
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