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カミシアがいいらしい

下の子が、私のカシミアのカーディガンを抱きしめて、においを嗅いではむぬむぬ舐めて、「んああーっ」と言葉を発した。不意をつかれた行動に、びっくりした。私はそれは、水や汁物を飲んだ後だけに出てくる言葉だと思っていた。いや、思い込んでいた。
子どもに教えてもいないのに、味噌汁を赤ちゃん用の小さい匙で飲んだ後、その都度子どもが「んあーっ」と言うので、人はおいしいと感じるものを口にした時は自然と言葉を発してしまうものなんだなと納得していた。そして「んあーっ」の「あ」の発音は濁点混じりの「あ」で、咽喉の入り口を震わせている。日本語にもフランス語にもない発音である。スウェーデン語にも、ない。
人が水分に対しておいしいとか気持ちがいいだとかを感じる時に言葉を発する行動は、生まれた時点で既に体の中にプログラミングされている人間の性質なのだということを、身を持って知った。いつから飲後に言葉を発するようになったのかは全く覚えていないけれど、私もビールを飲んではやはり「はあーーっ」と言葉を発するなどをしている。これは人間における、ごくごく自然な振る舞いだったんだなと、味噌汁をとてもおいしそうに飲む子どもの姿を見ながら感心していた。
でも、わからない。何故カシミアのセーターを堪能した後も、その飲後言葉が出てくるのだろうか。考えられる原因としては、息をつく暇もなく、カシミアのカーディガンを鼻と口にくっつけてにおいを嗅いでいるから。水を飲む時、飲むと同時に鼻から空気を大きく吸い込んでいるから、肺が大きく酸素を取り込みつつも味覚を堪能して喉も潤すという、心身がともに満たされた状態になって、思わず声が出てしまうのだということは安易に想像がつく。じゃあいったい、カシミアのカーディガンは?
カシミアのカーディガンは舐めると舌触りが良いし、いつも側にいる人のにおいがついているから、味覚や嗅覚が満たされるのだろうと思う。じゃあ味噌汁や水と同じように、「おいしいもの」と位置づけてしまっていいのだろうか。それはまた、話が違ってくる。だって、カシミアのカーディガンは、食べられないのだもの。“食べられないけれど、食べることと同じようにおいいしいと体が感じるもの”ということで、いいか。
そういえば私だって、実家の犬を抱きしめた後に「はああ」と声を洩らしていることを思い出した。「食べられないけれど食べることと同じように気持ちよく感じる」ことがあるのだなと、今更ながらにしみじみと思った。俗に言う、食べちゃいたいくらいに好き、ということか。よくあると言えば、よくあることなのだろう。それが、子はカシミアのカーディガンで、私は実家の犬なのだ。

それはさておき、パートナーにはこの冬にカシミアのセーターを購入することを勧めている。

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