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アンリ・マティスが聞いた「ジャズ」とは?

東京・六本木の国立新美術館に、終了間際の展覧会「マティス 自由なフォルム」を見に行った。有名な「ジャズ」という切り絵の作品は、実はテキストも入った20作からなるアートブックだということを初めて認識した。それぞれのテーマはサーカス、演劇、タヒチの風景など、音楽とは一見、無関係だ。マティスは、自由さに溢れた即興音楽のジャズを想起させる作品名を出版社から提案され、たいそう気に入ってこれにしたのだそうだ。そんなことを考えているうち、マティスが聞いた自由な「ジャズ」とはどんな音楽だったのかが、気になってきた。

これは「ジャズ」じゃなくて「ブルー・ヌード」

フランスの画家、アンリ・マティスは1869年生まれ。原色を多用した強烈な色遣いから「フォービズム(野獣派)」と呼ばれる絵画運動の中心的存在だ。

アンリ・マティス

展覧会では「ジャズ」の作品全てが一堂に集められている。昔から好きだった作品は「イカロス」という名前だと分かった。明るい青の背景に、赤い心を持つ、黒い人影。周囲に輝く黄色い光。イカロスとはもちろん、太陽に近づきすぎて蜜蝋でできた羽が溶けて墜落したギリシャ神話のあの、イカロスだろう。であるならば、踊っているように見えた黒い人影は何を意味しているのだろう。

「ジャズ」の一作、「イカロス」

長く南仏ニースに住んだマティスは1941年、がんにかかって、体が不自由な生活を送るようになり、そこで生み出したのが切り絵のコラージュという手法だった。43年にニース近郊のヴァンスに移って、本格的に「ジャズ」の制作に取り掛かった。2年の制作期間を経て、出版されたのは1947年。制作の時期は、第2次世界大戦のまっただ中のことだ。1940年にパリはナチスドイツに占領され、マティスの子供たちもレジスタンスに加わった。パリが自由な雰囲気に溢れていたはずとは言い難かったはずだ。「自由」を求める渇望、平和への希求という気持ちが強かった時期かもしれない。

ただ、作品が大戦が終わった後の1947年に出版され、特に、作品の名前が出版時に決められたのだとすると、がぜん事情は変わってくる。ナチスから解放され、欧州やフランスが自由を謳歌できるようになった時代が背景にあるとも言えそうだ。

展覧会では、マティスがデザインを手がけたヴァンスの礼拝堂が再現されている

さて、マティスが聞いた音楽はどのようなものだっただろうか。2022年10月から翌年1月にかけて、アメリカ・フィラデルフィア美術館で行われた「1930年代のマティス」という企画展のキュレーター、マシュー・アフロンは以下のように述べている。

私たちは、彼が音楽に興味を持っていたことを知っています。なぜなら、彼は時々、ラジオで聞いたことを手帳や日記に書き留めていたからです(略)彼は今ではクラシック音楽と呼ばれるものを聴いていました。彼はジャズも聴きました。彼は民族音楽に興味を持っていました。彼はレコードのコレクションを持っていました。彼はコンサートに出席した。音楽は彼の人生にとって非常に重要な部分でした。

ラジオでジャズを聞き、レコードも持っていた。南仏のアトリエで、ジャズを聞きながら、作品のイマジネーションを膨らませただろうか。

マティスが「ジャズ」を制作した1940年代、即興音楽を主体とするビバップがアメリカで生まれた。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク… それまでのビッグバンドの時代から、アドリブ・ソロによる火の出るような演奏のビバップに、大きくジャズの演奏が変化していたころだ。楽譜や決まった形式にとらわれずに、自由な発想でフレーズを創造していく。本場アメリカのビバップにマティスは惹かれ、自身の制作活動との接点を見いだしたのだろうか。

チャーリー・パーカー

パリでは第一次大戦後、ナイトクラブが繁栄し、アメリカ兵らによって、ジャズという音楽がフランスにもたらされた。パリでは1930年代後半から40年代にかけて、ギタリストのジャンゴ・ラインハルト、ヴァイオリニストのステファン・グラッペリと組んで、スイング・ジャズとロマの音楽を融合させた「ジプシー・ジャズ」という独特のジャンルを確立、人気を博した。マティスが好んだのも、こうしたヨーロッパテイストのジャズだったかもしれない。

2014年に開催された、ロンドンのテートモダンのマティス展では、こうした音楽とマティスの作品にも焦点を当てている。ロンドン駐在中に名クラブ、ロニー・スコッツで何度も聞いたUKジャズの巨匠、コートニー・パインをフィーチャーしたイベントも開催している。

コートニー・パイン

コートニー・パインはインタビューの中で「マティスの作品は音楽を反映している」「初めて(マティスの)ジャズを見たとき、これは知っているという感じがした」と語っている。マティスとジャズの創造性には高い親和性がありそうだ。コートニーは、マティスの企画展からのインスピレーションをもとに、テートでライブを開催している。見たかった。またやってほしい、是非!





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