見出し画像

INFJ / 誰か僕を見つけ出して

他人のことはよく分かるけど、自分のことはよく分からないと言われるINFJですが

辛くなった時も、なんで辛くなるのか、何が辛くなるのかもあやふやなことばかりで


たまに友人とどれだけ楽しく話をしても何か気持ちが釈然としないときがあるんです

挙句の果てに、友人の何気ないツイートに「なぜ自分がその話を聞かないといけないのかな」と思って、嫌になって、自分のことも嫌になって、ようやく自分が疲れていることを知る


きっといつだって相手の「最高の話し相手」になろうとしているんですね

相手がたくさん話したそうであれば話を聞き、相手が喜んでくれそうなリアクションをし、相手が話してほしそうならこちらから話をし、話題を合わせ、リズムを合わせ、空気感を合わせ、スピードを合わせて、一人一人に合わせた姿を作って

それ自体は無理をしているわけでも苦しいわけでもなく
というか「本能的なもの」のようにすら感じる
やりたいとかやりたくないとかじゃなく、いつの間にかやっている
そして相手が楽しそうであればこちらだってもちろん楽しい


でもたまに、一人になった瞬間に、

どっと言いようのないほどの疲労を感じて

たまにわけもなく息がどうしても苦しくなって
何も言葉にできなくて、ただ嗚咽と涙だけ出てくるような時がある
それを知っている人はこの世のどこにも居ないんですけどね


蟠りを言葉にすれば、それはきっと
「自分のことは誰が見てくれるんだろう」


慰めの言葉は「相手が欲している話題」で
楽しい会話は「相手が楽しい話題」で
聞いているのは「相手が言いたい話題」で
知らず知らず、口から出る言葉のどれもが誰かが求めるものになっていて

じゃあ話したいことを話せばいいじゃないか、と思うんですよ
でも「誰かが求めるもの」しか話せないんですよ
そして自分が喉の奥に抱える物事のすべてに興味を持ちそれを求めている人なんて、なかなか居ないわけで

どれだけ優しい人が「話を聞くことが好きだから、どんなことでも話してね!」と言ってくれても、心からそう言ってくれても

「その話には本当は興味無いんだけど」の空気に気付きたくもないのに気が付いてしまう
そうしてそんな需要のない話題は端に追いやって、「相手も自分も楽しめる話題」を持ってくる
それをその場の最適解として

だから少人数なら話せても大人数だと黙ってしまうんですね
「その場の誰もがある程度求める話題」を見つけるのが難しくなってしまうから

ネットでも需要に沿った話題を提供しようとして
マンガの垢ではマンガの話題を
創作の垢では創作の話題を
雑談の垢ではそこそこに求められている雑談を
noteでは、noteに求められる話題を


誰かこっちを見て欲しいんです
誰にも合わせていない、本当の壁の内側の自分を
話したいあれやこれやいろんな話を
哲学が好きで、言語学が好きで、性格分析が好きで、あのマンガとあの曲とが好きで、絵が好きで、本当は物書きや配信とかにも興味があって、セクシュアリティはよくわからなくて

本当は話を聞いて欲しいんです
できることなら、興味を持って、そこそこのリフレクションと一緒に
興味を持ってないことには気付いてしまうから

でも求められているのはほんの一部
そんな話題に、そんな自分に需要はないんです
僕はきっと人を幸せにしなければいけないから


それでもほんの少し

誰かこっちを見てくれ、聞いてくれ、あなたを見てるよって証明してくれ、見つけ出してくれって

ずっとずっと分厚い壁の高い塔の上で
ラプンツェルみたいに待ってるんですね

心ってやつを一本垂らして、やっと誰か登ってくる
そんな日が来るんでしょうか


まあ、誰だってそんなもんでしょうか
ほどほどに生きていきます


今日はこの辺で
また気が向けば

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?