優しいきもち
見えない優しさに気づいた時、心は。
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子供の頃は、絵ばかり描いていた。
幼稚園で配られる自由帳は数日で使い切り
広告の裏は貴重な資源として集め続けた。
毎日毎日 何枚も何枚も描いていた。
話すのが下手だったのと、感情表現がうまくできなかったので、キャンパスでの自己表現は性に合っていた。
そして描いたもの全てに
「上手だね すごいね」がついてきた。
益々描いた。自分のためにも人のためにもすごく描いた。
でもみんな嘘つきだと思った。
「すごいね 上手だね」は、嘘の言葉だ。
絵を描く人に同じ気持ちの人がいるかはわからないけど、私はこの言葉がすごく嫌いだった。
「すごいね 上手だね」
「それ、なに描いてるの?」
人間の嫌な部分が出てると思う。
絵を描いていた私にとって、これほど恥ずかしく虚しく泣きたくなるような言葉。殴られ刺され汚されたような言葉。
プラスチックみたいな言葉。
大人になるって、
集団行動するってこういうことなんだ。
褒め言葉の中にも
称賛する言葉と、優しさが故の言葉があると知った。
これを機に私は、自分のために描く絵をやめた。
絵を描くことが好きなのに、本当は絵が下手だということを教えてくれた。恥をかかないように、優しく教えてくれた。
感謝はしている。 泣きながら。