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何より義務が嫌いなのに何でもすぐに義務にしちゃう

 この記事とちょっとかぶった話になっちゃうんですが。

 生きてて楽しい、生きてて良かった、コレがあるから朝起きるとワクワクしちゃう。みたいなことって最近ありますか。私はあんまりないです。(ポケモンSVは楽しかったです)(でも細かいストレスはいっぱいあったのでアップデートお待ちしてます)

 義務が嫌いです。まあ義務が嫌いですわ。やらねばならないこと。やるべきこと。仕事とかね。仕事とか仕事とか。あとお役所が絡んでくる書類的な何かのあれこれとかね。親戚づきあいとか。とにかく「義務」が積極的に好きって人はそんなにはいない気がするんですよね。

 義務が嫌い。これはまあいいんです。分かります。でもね、なんか私、好きでやってたことまでいつの間にか義務にしちゃうんですよ。

「読書たのしい! 読書たのしい!」
「待てよ、読書が好きというからにはあの作家とあの作家は読むべきなのでは? 有名な古典の数々も網羅しておくべきなのでは?」
「いや、是が非でも読まねばならない! 読むべき! 読んでて当然!
(でもなんか難しくて内容が頭に入ってこないな……)
(なんとか読み切ったけど内容がよく分かんないな……)
(でも……理解したような顔してないとバカにされる気がする……)
(的外れな感想書いて笑われるのイヤだから、先に他の人の感想をチェックしてから書こ……)
(ああ、あれもあれもまだ読んでない……あの古典もあの名作も……でも未読だなんて恥ずかしくて言えない……)
(あれも……これも……読まなきゃ……読まなきゃ……)

「絵描くのたのしい! 絵描くのたのしい!」
「でも全然上手に描けない……あの人とかこの人とかめっちゃ上手でセンスもいいのに……練習しなきゃ……」
「絵の練習をするからにはポーズ集とか骨格とかデッサンとかちゃんとやるべき! この教本の1ページ目からしっかりやるべき! 基礎大事! 今日から1日1Pずつこなすぜ!」
(……手……描けない……全然手が描けない……)
(つまんない……描けないし……全然上達しないし……退屈だし……全身のデッサンとか変なことになっちゃうし……でもこの練習をやらなきゃ……)
(なんか……こんな下手くそな絵アップするのやだな……あの人上手だな……なんであんな風に描けるんだろう……あのくらい画力がないと絵なんかアップしても……)
(……なんかもう……絵はいいや……)

 一事が万事この調子。何をやっても何を始めても、自分基準の「こうあるべきでは」「いや絶対にこうあるべきだ」にがんじがらめになって、好きだったはずのことを勝手に義務まみれにしちゃう。なんでそんなことするの。

 いや、原因、分かってるんですよ。おなじみの自己顕示欲。承認欲求。バカ高いプライド。自己肯定感の低さからくる他者評価欲しがりマン。
 行動の基準がとにかく一から十まで「人からすごいねって言われるかどうか」「人から持ち上げてもらえるかどうか」なんですよ。もーーいやってほど分かってるんですよ。なのに完全にそれがクセになってしまってて、何かをやるたびチャート式で「○○するべきでは?→しなければならない!」まで超特急なんですよ。オラもうこんな生活いやだ!!

 今じんわり持ち上がりつつあるのが「note……やり始めたからには毎日更新すべきなのでは……?」という気持ちなんですけどもう言っとく! しない! 「あ、今日時間ないから無理そう」ってなったらもうしない! 無理に時間作って無理にネタひり出して書くようなこと絶対しない! 「note書くのってなんか楽しいな」は守り切るから!

 もうね、好きだったはずのことをわざわざ自分から潰しに行くの本当にやめたいです。
 本当に楽しくて努力してる、頑張ってるならいいんです。
 本当に読みたくて難しい本に挑戦するならいいんです。
 でももう見栄とか……プライドとか……人に自慢するためとか……そういう下心で余計な「べき」をベタベタくっつけて回ってコンテンツ自体を楽しくなくするの本当にやめて。

「本当にやるべきこと」と「自分が勝手に作り出した“義務もどき”」との選別をぼちぼちしていくべきなんです。私の人生。その辺り本当に線引が曖昧になってたりするので。
 そういう意味でも、「好きなものの棚卸し」は急務だなって改めて思いました。自分が本当に好きなのは何か、しっかり考えてみるべき。

 ……このべきは多分「本当にやるべきこと」だと思う。がんばってこ。


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