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残像のゆくえ(2/2)

中学を卒業すると、村を出て町の進学校へ通った。高校を出てからは、さらに都心にある大学へ進学した。就職を機に上京し、いつしか村へはほとんど帰らなくなった。
大人になるにつれ、残像たちとの距離も次第に離れていった。
満員電車の中で窮屈そうに変形しているものや、スクランブル交差点の途中で立ち尽くしているものもいたが、残像たちに気を配るには、東京はあまりにも生身の人間が多すぎた。
一度も交流したことはないくせに、残像を無視してすれ違うたびに、なぜかかすかに心が痛んだ。

私は彼らを愛していたのかもしれないと、そのときになってようやく気が付いた。
しかし、都会で普通の人間として生きていくためには、残像たちの愁いに気を取られている余裕はなかった。
やがて、仕事が忙しくなり、人付き合いも増え、巨大な機械に組み込まれるように街に適応していくうちに、いつの間にか、残像は人の形を失い、塵と違わぬ残滓にしか見えなくなった。
せわしなく行き交う人々の群れの中に残滓が漂っているのを目にすると、それが人の姿になってはいまいかと縋るように探したが、いつも徒労に終わった。
現実の星空を見てもギリシャの神々を見出すことができないように、残滓はどうやっても単なる滓に過ぎず、支離滅裂に宙を舞うばかりだった。残像が霧散した街は、閑散として淡白で、木枯らしのように薄ら寒かった。


婚約者を連れて、久しぶりに実家に帰った。
両親は少し縮んだように見えた。村の景色も殺風景で、侘しかった。この村はこんなに小さかっただろうか。夏だというのに、村は寒々として悲しかった。
テレビをつけ、家族と共に食卓を囲む間は賑やかなものだったが、ひとたび場を離れて勝手口へ出ると、古びたスリッパが置かれた剥き出しのコンクリートがひどく冷たく見えた。
散歩してくると家族に告げ、私は一人で村を歩いた。村はひっそりとしてひとけがなかった。
もうどこにも残像の姿はなかった。
都会では花粉のように散っていた残滓ですら、この土地には残っていないようだった。襲ってくる寂寥に胸が締め付けられ、鼻の奥がつんと痛んだ。誰かを求めるように、足は自然と、古い駄菓子屋へ向かった。

駄菓子屋は潰れ、廃屋になっていた。
高齢のおばあさんが一人でやっていたのだから、当然と言えば当然のことだった。木の看板は無残に割れて文字も読めず、軒先の屋根は破れて鉄筋からぶら下がっていた。その下に据えられたベンチは、ひどく錆びて、座ったらたちまち茶色に汚れてしまいそうだった。
立ち止まったまま、じっとベンチを凝視したが、かつてそこに座っていた残像は影も形もなかった。
私は、そっとベンチに腰を下ろした。
あのとき私がカードを置いた場所は、特に錆がひどく、触れるとぽろぽろと崩れた。
この錆は、彼の跡かもしれないと、思った。
そうであればいい。
ここに座っていた彼の残滓が、錆と混ざり合い、このベンチにいつまでも残っていればいいと、私は祈りに似た気持ちで思った。
「ただいま」
私は幽かな声で呟き、幼い私がカードを譲ってくれた場所にもう一度触れ、錆を爪先で削ぎ取った。
手の上で錆をこすると、粉々になって掌に散り積もった。びゅうと風が吹き、塵をさらった。行方を追って顔を上げた。残滓が舞う宙を見つめたまま、私は長いこと、身動ぎもせずにじっと座っているばかりだった。



最後まで読んでくださってありがとうございます。 わずかでも、誰かの心の底に届くものが書けたらいいなあと願いつつ、プロを目指して日々精進中の作家の卵です。 もしも価値のある読み物だと感じたら、大変励みになりますので、ご支援の程よろしくお願い致します。