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評価値がある将棋、ない将棋

評価値がない将棋は、スコアボードがない野球のようだ。


WBCを見ながら、そんなことを考えていました。

テレビをつけて、「いまどっちが勝ってるんだろう」とスコアを見るのって、ABEMAを開いてAIの評価値を確認するのと似ていませんか?

野球からスコアボードがなくなったら、どちらが何点差で勝っているかも、ボールカウントもしっかり見ていないと分かりません。
でも、緊迫した投手戦なのか、一方的な展開なのか、試合の流れで分かります。

将棋でも、気持ち良く攻めているなとか、防戦一方だとか、ある程度慣れてくれば雰囲気がつかめてきます。

もっとも、将棋の場合は、99%対1%の形勢が一手でそっくり入れ替わることもあり、これについては野球で表現する術を持ちません。
逆転満塁ホームランどころじゃないですもんね。

それでも、一手一手丁寧に指し手を追うのと、一球一球しっかり試合を見るのって同じ線上にあると感じます。
あるいは、球場でビール片手にわいわい見るのも縁台将棋も、案外似たようなものかもしれません。

ただ、どちらでも言えるのは、生で見てこそ、です。
球場で観戦していると、プレイのひとつひとつに引き込まれ、テレビで見るときほどスコアが気になりません。
将棋でも同じことだと思います。あいにく、公開対局の観戦経験がないので、推測なのですが。

そういうことを考えていたら、朝日新聞の論座に、「藤井聡太は、「将棋の神様」を挑むように見ていた」という青木るえかさんの記事が掲載されていました。

会員登録していないので全文を読めないのが残念ですが、
朝日新聞の村瀬信也記者が、

「AIの評価値を見なくても、将棋観戦は楽しめる」ということがよくわかる文章です。

とツイートされているので、いい文章なんだと思います。

朝日杯将棋オープン戦の公開対局を生で観戦されたとのことで、ログインすれば読める後半部分には、おそらく、会場で見る評価値のない将棋に、手に汗を握る経験が書いてあるのだろうと思います。

将棋もスポーツも、音楽だって、現地でその空気に触れ、プロの技を見ると心を動かされます。
テレビで流れていると苦痛でしかない選挙演説だって、その場で聴けば意外と引き込まれるものです。

やっぱり、テレビや動画配信とは違うのです。

生には、生にしかない力がある。

そして、現地と比べて不利を抱える中継放送だからこそ、補助線として評価値やスコアがあるのだと思います。

評価値の功罪を論じた記事はたくさんありますが、野球中継で、スコアが常時表示されていることに疑問をぶつける人は見たことがありません。

時代は、巻き戻せません。

評価値のついた中継によって、将棋は観戦のハードルがずいぶん低くなりました。
だからこそ、評価値がなくとも見る者を圧倒する公開対局が新たな価値を持ったのではないでしょうか。

評価値がある中継放送と、それがない現地。
それぞれの長所を引き出していくことが、この先も将棋が生き残る鍵だと考えています。


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