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04.食い倒れの街・巣鴨

 「神様はどういうおつもりで人間を作られたのだろうか?」。ほっともっとの特のりタル弁当を食べながら、そんな事を考えた。
 
 学生の頃はとにかく金がなく、のり弁ばかり食べていた。代返頼みまくり、講義そっちのけでバイトばかりしてたので、他の学生より金銭的余裕があっておかしくないはずなのにいつでも金欠だった。オールウェイズでケツの毛がむしられてる状態だった。給料が入るとすぐ調子の乗って飲みに行ったり、派手に服やCDを買い漁っていたのが悪かったのだろう。散財した時は毎回反省はするものの、基本的に学習能力が無いので給料日前はいつもシリアスな状況に陥っていた。
 学生の頃はまだまだ食べ盛りなので、いつだってガッツリした定食や弁当を食べたい。けれど、「給料日まで一週間、財布の中には5,000円」のような危機的状況下では「まるごとソーセージ」みたいに食べ応えのある総菜パンと、ほか弁最安値ののり弁を駆使して耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶしかなかった。
 例のごとく給料日前で追い詰められていたある日、チンピラ達に襲われて身ぐるみを剝がされた私をほか弁(当時はほっともっとは存在せず、ほっかほっか亭だけだった)の店長が助けてくれた。傷の手当てをしてもらったばかりでなく、特のりタル弁当を出してくれた。お金を全て取られていたので代金が払えないという私に、「いいからおあがりよ。私のおごりだ。そんなしょんぼりした顔してると、生涯、貧乏神にとりつかれるぞ。特のりタル弁当食えば元気になる。食べとくれよっ!!」と言ってご馳走してくれた。弁当を美味そうに頬張る私に店長は「いいかい、特のりタル弁当をな、特のりタル弁当をいつでも食えるくらいになりなよ。それが人間偉すぎもしない、貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだよ」と人生の在り方を教えてくれた。
 まあ、ほか弁の店長とのエピソードは作り話だが、特のりタル弁当さえ食べれれば人生は幸福だという部分は真実だ。
 
 悪ノリして話が脱線しまくるのが私の悪いクセだ。つまり、何が言いたいのかというと、

「やっとお財布を気にすることなく特のりタル弁当を頼めるようになったのに、歳を取ってくると完食するのが少々つらくなってきている」

という現実だ。食べ盛りの時は金が無く、やっと金銭的余裕が出来てきたら食べ盛りは過ぎてる。宗教的試練か何かなのだろうか?あまりにも無慈悲すぎる。理不尽にもほどがある。

 私が神様なら年齢に比例し、歳を重ねれば重ねるほど食欲が上がるように全ての人間を設計するのに。例えばこんな感じだ。

10代・・・まるごとソーセージ一個で満腹。学生さんはお金が無いのでこれくらいでいいだろう。体育会系の人間はそれとランチパック。弁当を完食できるのはその中でもごく一部で、「さすがラグビー部、のり弁を完食したぞ!凄い食べっぷりだ!」みたいな感じになる。そうなると、大学の周りによくあるラグビー部や柔道部御用達の大食い系の食堂が廃業することになるが、これに関しては申し訳ないとしか言えない。

20代・・・まるごとソーセージ一個で満腹。社会人になりたての頃も基本的に金がない。特に「新社会人+一人暮らし」の組み合わせは最悪だ。学生時代より使えるお金が減って愕然とした記憶がある。しかも、社会人二年目は住民税が引かれるようになって更に苦しくなる。なので、惣菜パン1個で食事は完結だ。私という神様は若人の財布に優しい。

30代・・・この頃になると給料もそこそこ上がっている。念願の定食やお弁当で満腹になって欲しい。だが、「定食でのご飯お代わり」はまだ早い。そこそこキャリアがあると言っても、まだまだ社会人としてひよっ子の域を出ていないからだ。「お代わり」や「替え玉」は一人前になってから。

40~50代・・・働き盛りで食べ盛りのシーズン到来だ。大盛り、お代わり、替え玉、何でも来いだ。せっかくなのでやよい軒で「お代わりマシーン」を使って頂きたい。自動でご飯をよそってくれるのだからテクノロジーの進歩というのは全くもって凄いものだ。個人的にはAIよりも重宝する技術だ。また、首都圏にお住まいなら「とんこつらーめん 博多風龍」で替え玉2玉無料も悪くない。仕事はバリバリ、食事はモリモリで駆け抜けて欲しい。
 
60~70代・・・長い間、お勤めご苦労様でした。退職して悠々自適な毎日に突入するので、ご褒美として食べ放題に適した胃袋を。平日のランチタイムピークを過ぎた「しゃぶ葉」や「すたみな太郎」は混んでないので食べ放題好きには天国。仕事に行く必要もないので、延々と食べ続けて頂きたい。また、65歳から老齢年金が受給出来るようになるので、巣鴨の仙人(※1)みたいに「年金で食べる伝説のすた丼は最高じゃわい!」とか、「年金で食べるラーメン二郎大盛りは堪えられんわい!」のような名言を吐いて欲しい

80代・・・日本の男性の平均寿命がこの辺りなので、ここをピークにしよう。ここまで歳を重ねたお年寄りの方の胃袋は容量面、処理能力面、双方で最高峰のスペックを誇る。
 総重量2.5㎏、2枚のカツとエビフライ、ウインナー、ゆで卵が乗ってる、ゴーゴーカレー最強の「メジャーカレー チャンピオンワールドクラス」もペロリと平らげられる。すき屋でメガ盛りの更に上を行く、ご飯3倍、肉6倍の「キングサイズ」も無理なく完食だし、デザートで「なめらかカルメラぷりん」まで頂いてしまう。まさに圧倒的な容量だ。
 処理能力面では脂っぽいものも胃もたれせずにガンガン食べれる。焼肉に行って「特上カルビ→特上カルビ→特上カルビ」と、畳みかけるように頼んでも具合が悪くなるなんてことはない。ラーメンを頼む際も常にマシマシだ。
 こうなれば飲食店もこの層をターゲットにした「鬼盛り米寿セット」なんてメニューを開発、提供するようになり、お年寄りもそれを楽しみにする事になるだろう。お年寄りを大事にする儒教的観点からもよろしい。

 どうだろう?私的にはこちらの方が理にかなっていると思う。ただ、そうなると今とは少し違う世界になるかもしれない。

 「年寄りの爆盛・・・老人が大食いをするような、高齢に相応しい行いをするのを賞賛したり褒め称えたりする言葉」や、

 「老いし時の替え玉は買ってでもせよ・・・せっかくいくらでも食べれる年齢になったのだから、有料でもボリュームが上がるならやった方が良いという意味。総じて前向きな姿勢の事を表す」 

なんて諺が生まれるかもしれない。
 TVチャンピオンも一瞥しただけでは「ご長寿早押しクイズ」かと勘違いしてしまうが、スタートの合図とともに目の前のものを凄まじい勢いで喰い散らかすご老人たちを見てやっと、「ああ、大食い選手権か」と気付くことになる。
 必然的に「おばあちゃんの原宿」と呼ばれ、お年寄りが集まる巣鴨は大盛りや食べ放題の街に様変わり。「食い倒れの街・巣鴨」へとメタモルフォーゼだ。そこでは杖をついたり、場合によっては車椅子に乗って来店したご老人たちが食べ放題の店や超特盛りの店で無双する事になるだろう。想像しただけで圧巻の風景だ。

 と、色々と考えてみたのだが、今いる人類を魔改造して私が理想とする胃袋を持たせるには神候補になって勝ち抜くか、もしくはベヘリットを手に入れて親友を「贄ェェェ」とか言ってるキモイのに食わせるしかないので、間違いなく叶わぬ望みだろう。
 何にせよ、私の愚痴っぽい話に最後まで付き合って下さった読者の皆様に感謝したい。
 
 週末ももう終わる。また明日から仕事だ。お互い頑張って働き、頑張って稼ごうじゃないか。

 そう、特のりタル弁当をいつでも食べれるように。

※1・・・某漫画に出てくるラーメン四天王の一人。齢80歳を超えるインスタグラマー。「年金で食べるラーメンは至高」との名言を残す。

 

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