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15.今は亡き、さくら水産の500円ランチ

 「日本の幸福度が下がっている」、そんな記事が目に入った。まあ、分からなくもない。歯止めが利かない少子高齢化。年金制度への不安。デフレが終わったと思ったら急激なインフレによる実質賃金の低下。更に追い打ちをかけるかのように「さくら水産の500円ランチ終了」だ。まったく、たまったものじゃない。

 さくら水産の500円ランチ。関東で社畜をやっていた頃、非常にお世話になった。行けばいつだって幸せな気持ちになれたのだが、私が田舎に引っ込んでいる間に終了していたとはショック過ぎて言葉にならない。何だろう、ものすごい喪失感を感じる。500円ランチのお葬式を出して喪に服したいほどだ。

 本日は私が愛してやまなかった「さくら水産の500円ランチ」について語らせて頂きたい。では、まずはそのシステムを紹介しよう。
 メインのおかずは4種類。サバやホッケの「焼き魚」、メンチカツやハムカツなんかの「肉系の揚げ物」、それと「鯖味噌」「お刺身」が用意されていた。お値段は「焼き魚」「肉系の揚げ物」が500円、「鯖味噌」が580円、「お刺身」が少しお高くて700円程度で、これらを総称して「さくら水産の500円ランチ」と呼んでいた。
 この中から食べたいものを選び、券売機で食券を購入する。そして席に着き、店員さんに食券を渡したら試合開始だ。店員さんがおかずを持ってくる以外はセルフ方式。店内には巨大な業務用炊飯ジャーとお味噌汁製造マシーンが設置してあるので、自分でご飯をよそい、お味噌汁を注ぐわけだが・・・当時のさくら水産を知らない読者の皆様は落ち着いて聞いて欲しい。これらは追加料金なしで「お代わり自由」だ。

 大事な事なので2回言おう、「お代わり自由」だ。

 そして、大きなテーブルに味付け海苔とお新香、ふりかけが置いてあり、これも取り放題、かけ放題だ。これだけでも夢のようなシチュエーションなのだが、極めつけはテーブルの上に山の様に積まれた「生たまご」だ。「おひとり様〇個まで」なんてケチ臭い仕様ではない、取り放題だ。

 これも大事な事なので2回言おう、「生たまご取り放題」だ。

 つまり、時間と胃袋が許す限りいくらでも卵かけご飯を堪能出来るのだ。「そんな馬鹿な!無限お代わり?無限卵かけご飯?そんなマルチ商法の勧誘みたいに甘い話が存在するのか?」と思われた読者もいらっしゃるだろう。だが、事実だ。これは現実にあった話だ。

 故にランチタイムのさくら水産はサラリーマンでひしめき合っていた。ここでは皆、同じ業務用炊飯ジャーの飯を食う兄弟。「生まれた日は違えども、卵かけご飯を食べる時は同じ」的なノリのソウルブラザーだ。
 「このお代わりのビッグウェーブに乗り遅れるな!」と言わんばかりに、ブラザーたちの行動は実に機敏だ。店員さんに食券を渡したらすぐにご飯、お味噌汁、生たまごを用意し、おかずが来る前から卵かけご飯を食べ始める猛者もいる。店内全ての兄弟がお代わりへの強い使命感を持ってこの場にいるので、誰もが業務用炊飯ジャーへ突撃、ご飯が無くなり次第の再突撃を繰り返している。よって炊飯ジャー前はいつでも大盛況だが、さくら水産が主にオフィス街に展開していたからだろうか、ビジネスマナーが身に付いた兄弟たちがジャーに同着した際に「お先にどうぞ」と譲り合う、ほっこりした光景も良く見られた。
 やがて繰り返された突撃によりメインのおかずが尽きるわけだが、それでも俺たちのお代わりは終わらない。「おかずがないなら卵かけご飯を食べればいいじゃない」と、卵かけご飯のループが始まる。ここではバーサーカーが死ぬまで闘い続ける様に、サラリーマンたちが満腹になるまで食べ続けている。「もう限界」とギブアップする、その瞬間まで。
 

 このように昼時のさくら水産は「お代わりと卵かけご飯の楽園」だったが、個人的な事情もあり、私は兄弟たちよりも高いレベルの幸福を享受していた。何故なら、さくら水産に行くのはいつだって振替休日を取得した平日の11:30頃、混んでない時間帯だったからだ。
 
 ランチタイムのピークから外れたさくら水産。それはまさにファーストクラスの快適さだ。
 まずは券売機で並ぶ必要がないので、すぐに入店できる。203高地に突撃する日本兵さながらの勢いでさくら水産に向かったのに、前に並ぶ兄弟たちが券売機でモタモタしていたためにスタートダッシュ失敗、なんてケースがある。こちらの胃袋は準備万端。すぐにでもお代わり戦線の戦端を開きたいのに、ここで足止めされるもどかしさは筆舌に尽くし難い。
 まあ、券売機を前にしてメインのおかずに迷う兄弟たちの気持ちも分からないではない。普通の外食なら「今日は牛肉な気分だから吉野家で牛すき鍋かな」とか、「鶏肉食べたいからやよい軒のチキン南蛮定食で決まりだな」と、お店へ向かう最中にメインのおかずの事を考えるものだが、さくら水産に限っては「今日はお代わりの気分だな」とか「延々と卵かけご飯喰おう」みたいに、何のおかずを食べたいのかを全く考えずに来店してしまう事がよくある。そんな時は券売機の前で急な「おかず4択」を迫られて狼狽してしまう。「あれ?今の俺って何系のおかずを食べたいんだ?」と、ちょっとしたパニック状態に陥る事もしばしばだ。これは致し方ない。
 
 そして当たり前だが、店内にお客はほとんどいない。場合によっては貸切状態だ。並ぶことなくご飯やお味噌汁、生たまごを取って来れる、ストレスフリーな環境だ。砂糖の山に群がる蟻の群れの様に業務用炊飯ジャーに群がる、飢えたサラリーマンの群れもいない。よって、テンポ良くお代わりできる。
 また、サラリーマンがひしめく店内でなみなみと注がれたお味噌汁を彼らとぶつからない様に運ぶのはちょっとした緊張感を伴う行為だが、この時間帯ならお味噌汁を確実に、安全に運ぶ事が出来るのもメリットの一つだ。

 そして最大のメリットはお代わりの際の心理的負担が一切ない事だ。基本的に500円ランチは満腹になるために行くものだ。しかし、サラリーマンは悲しい稼業。「沢山お代わりした後は営業車の中で爆睡しよう」、そんな一部の豪胆な営業マン以外は目の前のお代わりと、満腹が引き起こす午後の仕事への影響を天秤にかけざるを得ない状況もそれなりにある。特に午後から会議なんて状況での過度のお代わりはリスキー過ぎる選択だ。間違いなく激しい睡魔との戦いになる。そうやって泣く泣くお代わりを断念した兄弟もいたことだろう。   
 しかし、申し訳ないが私は振替休日を満喫中の身。腹一杯になったら家に帰ってお昼寝すれば良いだけの話だ。おかげでさくら水産ではいつも限界まで攻めさせてもらっていた。
 そうやってお代わりを満喫した後はドトールで一服だ。コーヒーを啜り、タバコを燻らせながら、「さて、今日は何をしようかな」なんて考える休日の午後。自分が社畜だという事を忘れてしまいそうになる、束の間の幸福な時間だった。

 
 これがさくら水産の500円ランチだ。いや、今となっては「だった」と過去形にしなければならない。多くのサラリーマンが500円ランチ終了の悲報に接し、悲しみに打ちひしがれたのも理解して頂けるだろう。
 超低価格、超ボリューミー路線を止め、少しだけ高級路線へと舵を切ったさくら水産だが、今でもランチタイムはご飯とお味噌汁のお代わりが無料らしい。それは高く評価したい。色んなものが値上がりしているこのご時世、実に立派だ。しかし、どうしても卵かけご飯無限ループ状態の高揚感を経験している我々は以前と比較して、「あの頃は良かったと」とノスタルジーな気持ちになってしまう。

 毎日必死に働いてるのに昼食のご飯に生たまごすらかけられないなんて、幸福度が下がるのも必然だ。「かけたい物もかけられないこんな世の中じゃ」と、リッチー・サンボラ(※1)をバックに歌いながら嘆きたくなる、現在の日本だ。
 しかし、歴史は繰り返す。いつかまた、どこかのチェーンが生たまご取り放題のお代わり路線に舵を切るだろう。同じ業務用炊飯ジャーの飯を喰った兄弟たちよ、お代わりの牙は尖らせたままにしておくんだ。そしてまた会おう。
 
 「お代わりと卵かけご飯の楽園」で・・・。

※1・・・世界中のギターキッズが憧れた、元ボン・ジョヴィのギタリスト。反町隆史の「POISON」でギターを弾いてるのを見た時は複雑な気持ちになりました。
 


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