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わが母の記〜亡くなっても心で生きている。

私の母は、難病ALSで、10年介護をして、66歳で亡くなった。
父は、55歳で亡くなって、その後すぐに、母が難病を発症しました。

両方の祖父母は、長生きした方なので(母の母は99歳)、短命の家系ではないと思う。

なぜ両親が早くに亡くなってしまったかの理由を、時おり自分に問いかけても、答えが見つからず、いつも心の中のどこかに引っかかっていた。

去年、初めてコーチングを受けた時に、「なぜ、今の仕事をしているのか」という問いに、「母が生まれ育った沼津という街に愛をもってるので、この街が楽しくなるきっかけを作りたい、亡くなった母の分まで、人の何倍も色々な経験をしたり、人に関わりたい」って言葉が、自然に出てきて、自分でも驚いた。

いつも母のことを意識していた訳ではないと思っていたけれど、自分の心の中から溢れて出た言葉に、そうなんだと安心もして、母と一緒にいるんだなと思った。

わたしは、父のことも大好きでした。

東京の私立の大学に進学したいと言った時も、裕福でもないのに、反対しなかった、今、自分が親になってみると、よく行かせてくれたなと思う。

大学を卒業して、鳥取県にお嫁に行くと言った時も、周りが大反対する中で、両親だけが、反対しなかった。

あのとき、反対してくれたらって思うこともあった、でも、そしたら娘達は生まれなかったので、やっぱり両親に感謝する。

母は、お花が好きで、庭に、たくさんの
花を植えていたので、わたしも花の名前をよく知っている。

お店の前に寄せ植えするのも、母の影響で、お花を見ると母を思う。

いつも一緒にいると感じていても、今、生きてくれてたらなと思うことがある。

娘達の成長を見て欲しかったし、わたしを育てたとき、結婚するとき、どんな風に感じてたかを聞きたい、きっとお店も張り切って手伝ってくれたと思う。

そんなことを考える時は、涙がボロボロ出てくる。

去年出会ったオット氏は、8歳年下なのですが、うちの父に似てるところがたくさんあって、ふざけて「お父さん」って呼ぶと、「あなたの方が年上でしょ」って怒られますが、絶対的な安心感と、穏やかな優しさが、父にすごく似ている。

昨日、尊敬する年上女性のお茶会に行ったのですが、ご自宅に入るとある絵が目に飛び込んできた。

カシニョールの絵がたくさん。

母が好きだったので、我が家にも飾ってあった。

友人に聞いたら、お母様が好きだったそうで、母からカシニョールのことを教えてもらっていなかったら、気づかなかった訳で、やっぱり母はいつも一緒にいるんだと思った。

お茶会の話のなかで、「うちの両親は、なぜ早くに亡くなったのか」という質問をしたら、「短い期間に凝縮して、人生を全うした」と言われ、心にあった硬い何かが、さらさらと流れていった。

そして、じゃあ自分の人生をどうするかと言ったら、それは「長生きすること」

飲食店を仕事にする前は、アーユルヴェーダ(インドの予防医学)のセラピストだったので、健やかに生きること、それを伝えることが、人生のテーマなのかなと、あらためて思う時間でした。

わたしも、母として、まだまだずっと成長し続けたい。

両親は、若いままの姿でわたしの中に生きている、わたしは年老いた姿になっても、心は、しなやかに美しくありたいし、人との出会いは、人生を豊かにするから、そんな場を味わえるお店を、これからも作っていきたい。

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