大人になるにつれて見たくないものも見えてくる

コンスタントに見てくれてる方がどれくらいいるのかは分からないけど、お久しぶりです。

ここ10ヶ月弱、起床→家で仕事→ジム→寝るを繰り返していて「自分1人が消えてもこの世って普通に回るんだろうな」ってことが頭によぎったりして、いつも自分が暗い道を若干の街灯を頼りに進んでいるような感覚になってる。

毎日同じことの繰り返しでクソつまんねえなぁと思いながら若干の街灯である芸人さんのラジオに助けられてる。(ニッポン放送さん本当にありがとうございます。)

なんかこのクソつまらない感覚とか、「自分1人が消えても...」みたいな感情ってどこから湧き出たんだろうってサウナに入ってる時に考えたんだよね。

その解の一つが「今まで見えてなかったものが見えてる」だと思う。なんかBUMP OF CHICKENみたいな言葉なんだけど。

この見えなかったものっていうのが何かって言うと「社会の問題や課題」だと思う。オリンピックやるんかやらないのか、政治家がやらかした、コロナの感染が今日は何人だとか。

多分、大学生前半の時には「社会なんてどうでもよくて自分の周りが楽しければそれでいい」だった。でも、徐々に年金や税金を払うっていう社会の枠組みに入った時に見えなかったものが見えちゃった気がするんだよね。

そしてその見えちゃったものが自分で解決できる問題ではなく、自分はもう身を任せることしかできないと感じて「自分1人が…」って感情になってるんだよね多分。

多分「強い」人であれば、自分で変えようとするや見なきゃいいって意見があるんだけど、それって大多数ができることじゃないんだよね。人間って人と共生しないと生きていけない「弱い」人が大半だから。

この感情を打破したくて次に考えたのは自分の視線を一気に奪うものがあれば「見えちゃったもの」が見えなくなるんじゃないかなと。それこそ「推し」や趣味、大事な人である。

多分自分はかなり色んなアンテナが立ってる方だから一つじゃ足りないし、圧倒的な何かが今ない。でもその正解はもう分かってて「ペット」だと思うんだ。

この考えに帰着して最後に言いたいのはBUMP OF CHICKENは見えないものを見ようとして望遠鏡まで担いでわざわざ見に行かなくていいし、犬は可愛いい。そして、1人のサウナは自分の何よりの心の拠り所であるということ。

「強い」人になんかなれないから僕の心の隙間を埋めてくれる可愛いレトリバーが明日の朝、ベットの横で寝てますように。


お休みなさい。

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