顔を喪う。だから顔を求める。
大切な人を亡くし、その人との今までのメールなどを読み返していた。数年分あるので、かなりの量がある。亡くなる数日前までやりとりをしていた。
今まではメールを送信すれば、なんらかの返信があった。その人の考え方を、その人本人に訊けばよかった。しかしその人は世を去った。メールのやりとりは、譬えるならば、今や一冊の本として綴じられた。だから今後は「この人は、このときどう考えていたのだろう」、「今、この状況で、この人ならどんなことを考え、言葉にするだろうか」、そうしたことどもを、わたし独りで解釈していかなければならない。独りで読書するように。
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