わたしは他人に腹を立てる

最近、自粛警察という言葉があることを知った。政府が自粛の依頼をしているなかで、近所のパチンコ店が開いていたり、公園で大きな声で遊んでいる子どもがいたりしたとする。すると匿名で警察に通報したり、直接抗議行動に出る人たちが現れる。その人たちのことを自粛警察と呼ぶらしい。ある県では、県外ナンバーの車に石を投げられるという事件もあった。

他人に対する気持ちの余裕、つまり寛容さというのは、ふだん自分が思っているほど多くの資源を持たない。真綿で首を絞められるように追い詰められてゆけば、他人に対する視線も厳しいものになっていく。その原点は「わたしはこんなに我慢して苦しんでいるのに、あいつらときたら」という苛立ちと怒りである。

ここから先は

2,525字
この記事のみ ¥ 300

記事に共感していただけたら、献金をよろしくお願い申し上げます。教会に来る相談者の方への応対など、活動に用いさせていただきます。