私と公とのあいだが欲しい

初任地で最初のうち、長屋の六畳二間に住んでいた。汲み取り便所、土壁は柱から微妙にズレて、隣の部屋が見えていた。見えるということは見られるということ。わたしはたった一つだけの、貰い物の戸棚をそこに置いた。台所では生まれたばかりのカマキリの群が、蜘蛛に次々と捕食されながら逃げ惑うのを横目に料理をした。

玄関の引き戸を開けると、部屋がぜんぶ丸見えだった。狭いがガス風呂は一応あった。雨が降ると火がつかなくなる、ちょっと古いガス風呂であった。風呂上がりにうっかり裸でいたりすると、信徒の方が「差し入れ持ってきましたよ!」と、いきなり戸をガラリ。先方はそんなことを気にしない人たちだったが、わたしは恥ずかしかった。ちなみに、ノックをするという習慣はあまり浸透していなかったようだ。

後に宮本常一『忘れられた日本人』という本を読んだ。民俗学者の宮本が、戦前から戦後にかけて西日本各地を調査した記録である。農村部の人々の暮らしぶりが伝わってくるのだが、興味深いことがある。それは「家が開けている」ということだ。

村で寄りあいがある。男たちは延々と話しあう。何日も。話しあいのための話しあいである。何日も話しあって、ごくささいなことがようやく取り決められる。女たちの寄りあいもある。簡単な食事をしながら、やはり自由な語らいに花を咲かせる。宮本は夜這いについても聴き取りをしている。山向うの村へ、男たちが女たちを夜這いに行く。おそらく戦前まではそういう習慣が残っていたようである。人の行き来が活発で、それぞれ単立の確固たる家庭という感じが、あまりしない。

寄りあいについて言えば、現代において、たとえば会議などでなかなか結論が出ないときに「だからムラ社会はいやなんだよ」的な意味合いで語られることのルーツである。話しあった結論が重要なのではなく、話しあいのために「集まる」行為そのものに意味があった。そのようなものとして、少なくとも宮本常一が調査してきた村落は続いてきたのである。たぶん寄りあいは何百年もそのように機能してきた。今、とつぜん合理的に議論をしようとしても、数十年で日本人全員がムラ社会を脱するなど不可能ではないだろうか。

家が開けているという話に戻ると、夜這いの話にも通じるのだが、男であれ女であれ、寄りあいではおそらく性的な話題もあけすけに語られたことであろう。性の悩みを独りで抱えこむことはなかったはずだ。性的なことだけではない。夫婦の諸問題全般について、悩みを共有しあうことができただろう。もっとも、逆に家の秘密を隠すことはとことん難しかっただろうが。

家が開けているということに対置される現代の課題は、家があまりにもプライベートな空間と化したということである。もちろんプライバシーは重要である。わたしもそのことに異論はない。わたしだって、今さら江戸時代に戻りたいとは思っていない。他人から何でもかんでも根掘り葉掘り詮索されるのはいやだ。とはいえ、これほどDVや離婚の問題が頻発しており、そのごく一部とはいえ、わたしのもとに相談にお越しになる方がおられる実情を思うと、閉じ過ぎた人間関係というのも苦しいものだと思わずにはおれないのである。

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