救われ主

皆さんは、自分がもやに包まれたような感じを味わったことがあるだろうか。とても気持ちが落ち込んで、頭が回らず、他人の声もくぐもったように聴こえる。いや、実際にははっきり聴こえているんだけど、相手の言葉の意味をとらえることができず、それらはただ自分の耳を過ぎ去ってゆく。

自分だけが薄い皮膜に包まれていて、世界のすべての現象はその皮膜の外側で行われている。皮膜の内側には、わたししかいない。「孤独」というと、なにか抽象的な感じがする。もっと体感としての、切実なものである。目の前の人が慰めてくれるとしても、その人はプールサイドにおり、自分はプールに潜って、水底からその声を聴いているようである。間近で話しかけてくれているのに、分厚い水圧がある。あるいは100メートルくらい向こうから呼びかけられているような距離感がある。

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