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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2021年1月の記事一覧

古くからの新しいもの

'「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではな…

地を這うように

'イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 そして、ナザレを離れ、ゼブル…

たんなるノスタルジーではなく

つれあいが最近、モレスキンというブランドのノートにあれこれ書/描き込んでいる。一つは無地…

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これまでの人生のなかで、何度か「死にたい」と思ったことについて

死にたいと思ったことが何度かある。濃淡はさまざまで、早く人生が終わったらいいなというくら…

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ついていく、いやされる、ついていく

'イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンと…

一滴、また一滴

'そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受け…

わたしが時代を感じるとき

昨日、こういうツイートをしたところ、幾人かの方々からご意見をいただいた。「教育のせいにするな」というご意見についてはまことにおっしゃるとおりであり、弁解の余地もない。 大雑把に言うと、ツイッターでは否定されがちな「体育会系のノリ」が、わたしの身体には滲みついているということである。こびりついて取れないといってもよい。 日本全国がそうだったというわけではないだろうが、わたしが中学生だった1980年代半ばから後半、わたしの通う公立中学および近隣校は、男子は丸刈り、女子は三つ編

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彼らがそこにいたとき

念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころに…

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「寄り添い」を徹底するとこうなる

'占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とそ…