古くからの新しいもの

'「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 'マタイによる福音書 5:17-20 新共同訳

マタイによる福音書では、たとえば23章で「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい」とあって、彼らの行動様式が批判的にですが列挙されています。マタイによる福音書を伝えた人たちは、ユダヤ人の信仰や伝統、生活習慣にとても詳しい人たちだったようですね。そして、ユダヤ人はイエスを信じる者のことを神の道から外れたかのように言うが、じつは自分たちのほうが、ユダヤ人が守ってきた教えをより深く理解し、信じていると。ことの是非はともかく、そういう自負も感じられます。ユダヤ人が信じてきた神の教えをほんとうに正しく教えてくれたのが、他ならぬイエスなのだからと。

今日の聖書箇所にも、ユダヤ教的なものへのこだわりが感じられますね。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」。イエスの弟子たちは9章で、ファリサイ派から「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と批判されます。15章ではイエス自身が弟子たちのことで批判されます。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません」。イエスが活動していた当時、イエスとその弟子たちとは、まさに信仰の掟を破るという意味で、文字通り掟破りの集団と思われていたのでしょう。そしてイエスよりも後の時代、マタイによる福音書が成立した紀元80年代にも、まだ歴史の浅かったキリスト教徒たちは、伝統的なユダヤ教徒たちからみて、反逆者の集団と思われていたのかもしれません。

キリスト教は、もともと「よし、今から我々はキリスト教という宗教を立ち上げるぞ!」と起業するみたいに始まったわけではありません。イエスの弟子であったペトロたちはあくまで、こんにちで言うところのユダヤ教的な信仰の延長上にイエス・キリストの復活を理解し、信仰するようになりました。あとから信じるようになったパウロは、やがてユダヤ人以外の外国人に伝道するようになって、大雑把な言い方をすれば、ユダヤ教的なものを超えた、世界に広がる信仰を語り伝えるようになっていきました。そういうさまざまな経緯のなかで、イエスの復活を信じる人々は次第に、いわゆるユダヤ教徒とは距離を置くようになっていったのです。しかし今日のように「キリスト教徒」というはっきりしたアイデンティティを持つまでには時間がかかりました。今日の箇所もそうですが、イエスの言葉はあくまで、自分たちキリストを信じる者たちこそ律法をより正しく理解し、守っている。つまり自分たちのほうがユダヤ教的であるとさえ訴えているようにも響きます。

伝統のすべてをいきなり壊したのではなく、古い教えを守り伝えながら、その教えのなかに、少しずつ新しいものを見いだしていった。キリスト教成立の歩みは、こんにちの情報化社会からは考えられないほど、とてもゆっくりとしたものでした。わたしたちも、いつもいつも積極的に新しいものをクリエイトしていけるわけではありません。社会のさまざまな矛盾や今目の前にある苦しみ。多くの人が努力しているにもかかわらず、なんにも改善していないようにさえ見えることもあります。けれども、ぜんぜん変わらない、昔からのことをただ守っているようで、じつは変わりつつある。というのも、昔からのことを地味に地道に守っているあなたは、今新しい瞬間を生きているから。今新しい瞬間を切り開いているあなたがやっている「昔からのこと」は、もはや昔と同じではなく、すでに新しいから。


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