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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2020年1月の記事一覧

閉鎖病棟に入る(5)

言葉を喪い、唸っているおじさんの斜め前に、車椅子の青年が虚空を眺めている。彼が大きな声を…

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閉鎖病棟に入る(4)

この病棟には、何年、何十年も入院している患者たちがいた。彼らには面会に来る家族もいない。…

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閉鎖病棟に入る(3)

同室の16歳の少年と仲良くなると、彼の友人たちとも親しくなった。隣室の17歳の少年。廊下を挟…

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閉鎖病棟に入る(2)

洗面器や歯ブラシ、うがいコップとタオル、石鹸、それにわずかな着替えを持って、病室へ。病棟…

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閉鎖病棟に入る(1)

いつもは牧師として、自分で車を運転して見舞い訪問へと向かう病院へ、わたしはタクシーで向か…

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25年前のこと(後編)

”おれが恐い死は、この短い生のあと、何億年も、おれがずっと無意識でゼロで耐えなければなら…

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25年前のこと(前編)

私は実家の二階で激しく揺さぶられながら、生まれて初めて本気で命乞いをした。浪人生活に疲れ、「死にたい」と毎日のように思っていた。それなのに、このときばかりは違った。「生きたい」しかなかった。ふだん本能など意識したことはない。しかしこれが生存本能というものだったのかもしれない。轟音と共に部屋のあらゆるものが崩れ落ちてくるなかで、わたしは布団に丸まって祈った。 「神さま、助けてくださぃ!」 夜が明けて、家のなかを見たとき、わたしは片付けるのを諦めた。ふだんは優しい母でさえ、「こん

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他人の内心を問うわたしの内心を問う

少し長いが、聖書を引用する。 '朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のと…

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彼らは無に還ったか

今わたしたち夫婦が住んでいる居住空間は六畳二間、それに押入、台所とユニットバスである。今…

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