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言語化疲れた

自分は言語化が得意な方だ。
まず幼少期、「自己主張をする」ということを知らずに黙って過ごしたため、数々の不利益を被った。
小学校ではいじめに遭った。
その後何度も脳内でシミュレーションした。
自分の言いたかったことを、相手に最も効率よく伝わる表現でぶつける演習を脳内で繰り返した。
おかげで今となっては言語化が得意になった。

人間関係のもやもやは、「勇気を出して、Iメッセージで、話してみる」ことでしか解決しないと思っている。
実際にそれでやってみたら意外と、絶対に動いてくれないと思っていた相手があっさりと理解して行動を変えてくれたことが何度もある。
それで聞く耳を持たない相手なら改めて、諦めたらいいと思う。
やってみるまでは毎回勇気が必要なことは、何度やっても変わらないけれど。
だからSNSで夫の愚痴をこぼしたり、同僚のいないところで悪口を言ったりしている人を見ると、「勇気を出して、Iメッセージで、話してみる」をやってみればいいのに。と思う。
勇気が必要なことだから、ひとしきり愚痴って、「ここで愚痴ってても仕方ないか」と自覚してからでもいいと思うけれど、愚痴ってるままでは絶対に状況は改善しない。

ここまで書いたけれど、本題はそれじゃない。
そうやって勇気をもって言語化して人間関係の問題を解消してきた自分だけれど、正直、言語化疲れた。
こちらが毎回言語化してるからって、「察する」をサボらないでほしい。
幼少期、自己主張しなかったために不当な扱いを受けたけれど、だからといって幼少の自分に対して「ちゃんと言えばよかったのに」とは思えない。幼少の自分はもっと根気強く、観察して察してほしかったし、ホントはどうしたいのかをいちいち聞いてほしかった。
その頃の自分が癒されないまま、赤子のように泣き続けている。

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