ホラーと向き合うことの面白さ_100日後にZINEをつくる、2日目
まずはやれそうなところからとっかかる
きのうリストアップした「つくりたいジン」の中で、
●わたしをつくったホラー映画(80-90年代ホラー映画を観なおす)
は一番とっつきやすそうだぞ、と思ったので観る映画を書き出してみよう。
基準はわたしが子どものころに観た記憶のあるもの。
中学生以前の、感想が言語化されていないけど感覚だけが強烈に残っている作品たち。
エルム街の悪夢
13日の金曜日
シャイニング
時計仕掛けのオレンジ
チャイルドプレイ
バタリアン
ミザリー
イット
ザ・フライ
ジョーズ
エクソシスト
グレムリン
ポルターガイスト
エイリアン&エイリアン2
ドールズとパペットマスターはなんとなくVHSのジャケットは覚えているような、でも記憶がおぼろげ。
ゾンビ映画はタイトルがわからず、「脳みそくれ~」@バタリアンの印象が強すぎて、『ゾンビ』『死霊のえじき』は記憶があやふや。
『時計仕掛けのオレンジ』はホラーではないけど、幼少期の私にはトラウマ級に怖かったのでリストイン。
あの時代、日本中がオカルトに浮き足立っていたよね!
「子どもの頃の思い出の映画は?」と聞かれると、ジブリでもディズニーでもなく、チャッキー!フレディ!ジェイソン!が思い浮かぶ。
R15やPG12などない時代、
テレビは一家に一台しかない時代、
ノストラダムスの大予言を目前にして、日本が(世界が?)謎のオカルトフィーバーしていた時代、
ホラー好きな母のもとで育ったわたしは、極度のビビりなのに怖いものへの欲望がとまらないアンビバレンス少女だった。
お昼ご飯を食べながら見ていた「あなたの知らない世界」の稲川淳二や夕方の「学園七不思議」、夕食時の「世にも奇妙な物語」、寝る時に放送されてた「笑ゥせぇるすまん」、毎日読んでた「学校の怪談」の赤緑本、「月刊サスペリア」のたたりちゃん、「エコエコアザラク」の人間石鹸、「恐怖新聞」の青虫弁当、楳図先生のへび女や「漂流教室」最終巻の短編<木目>の衝撃、織田無道や冝保愛子、映画館に2回行った「催眠」の緑の猿、「クロックタワー」の巨大なハサミや「かまいたちの夜」の不気味なBGM、などなど、自分の子ども時代を#ホラーでタグ検索すれば万国旗ばりにずるずる出てくる。
そんなわたしも、産後は「痛い描写」を身体が受けつけなくなり(?)、徐々にNOホラーLIFEへシフトチェンジ。SAWも4でギブアップ。
30を過ぎてからは数年に一度、欲望に抗えず小野不由美ホラーや澤村伊智を読んで大後悔する、という程度に落ち着いている。
(3年前に『恐い間取り』読んで怖さのあまり正気を失い、霊が見える知人にzoomで家の中を霊チェックしてもらったのが直近のホラー摂取体験。)
なんでこれをやりたいと思ったのかに気づく
こんな<怖いもの見たさと怖がり>が各々強火で同居している自分、人の何倍も怖がりなのに、怖いもの・見たくないもの・考えたくないことに人一倍執着してしまう自分をずいぶん長いこと持て余してきた。
だからここでわたしの一部となっている懐かしの映画を観ることで、自分をちょっぴり再構築できたりしたらいいな、というのが願い。
「想像したよりつまんないな」って思ったり「やっぱり怖いからやーめた」ってなるかもしれない。
でも『恐怖』という生物の根源にある感覚、その原体験に手をつっこんでみることは中々スリリングな自分との遊びだと思う。
思えばわたしは自分とばっかり遊びながら大きくなって、他者と上手に遊べない人間になってしまった。
「それでも別に困らないし」って昔は考えてたけど、今は<誰かと一緒に遊ぶ>もできた方が人生は断然楽しいってことを知ってる。
だからわたしはZINEをつくって、わたしのひとり遊びとだれかのひとり遊びをお互いに面白がったりして遊びたいのでした。
明日へつづく
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