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ルールと目的をかんがえる_100日後にZINEをつくる、3日目


遊べるようにルールをつくる

観る映画をピックアップしたあとは、いくつかのルールをつくる。

昨夜「ルールとポリシーはちがうね。わたしたちが同じポリシーをもっていればルールはいらないね。」って会話をしたことを思い出しながら、わたしは自分にルールをつくる。
コマのように同じ地点でぐるぐるせず、のびのび走り回れるようにするために柵は必要。自意識の海で溺れないために。

  • 他者の解釈・考察は目に入れない(ただ自分の目で見て感じたことだけを書く)(設定確認はOK)

  • 基本は子どもの頃と同じ<吹き替え版>で観る

  • あくまでも映画をフックにして、じぶんの考えたいことを考えること

ルールではないけど、補足として「怪物をよく観察する」「怖いシーンに注目」「すきな台詞を探す」も念頭に入れる。

しかしわたしは映画をみることがヘタ

いつもは映画は家事をしながらスマホで観ているので、基本的にこま切れ視聴。
映画1本を2-3日に分けて観了することが多い。

映画が好きな人からしたら「作品に失礼だ!」と怒られる自覚はありつつ、そもそも映画ってどうやって観るのがベストなんだろうか。
みんなどうやって「観て」るんだろう。

わたしは耳が悪いというか、聴覚の情報処理能力が低いというか、音が情報として脳に入るのが遅いので、長い台詞は油断すると「ただの音」になってしまう。
だからできれば邦画でも吹替でも<字幕あり>が望ましい。

本も一気読みできず、なんども戻り読みしながら進むので、同じく映画も10秒巻き戻しの術を駆使しながら観ていることが多い。

聴力うんぬんではなく、流れに身をまかせてスムーズに流れることができない体質の問題かしら。

ただ制作者に身をゆだねてそれを味わえる人になりたい。
脱力上手になりたいものです。

ZINEをつくるための行為か、行為のためのZINEか

ZINEをつくるためにホラー映画を観て考えたいのか、
ホラー映画を観て考えるという行為をZINEで表現したいのか、
この差ってすごく大きいと思う。

わくわくしているこの気持ちが原動力になっている間は大丈夫だって思えるけど、ZINEが目的になった途端に承認欲求に踊らされる自分が見える。
承認てやつは、人をとてもよい気分にさせて骨抜きにするフレディみたいな悪魔だからな。

だからなんどでも「なんのためにしたいのか」を考える。

  • 子どもの頃に観た映画たちと出会いなおし、じぶんのどの部分が揺れるか観察する。

  • 印象だけがネガのように焼き付いているホラーたちを愛しなおす。

「愛しなおす」ってとてもいいな。

明日へつづく


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