結局なにが怖いのか_100日後にZINEをつくる、63日目
最近、ホラー映画を観れていない。今後の予定では『バタリアン』『イット』『エクソシスト』『シャイニング』を見るつもりであったのだが、年内に全部観るのは難しそう。(『ザ・フライ』『グレムリン』『エイリアン』『時計仕掛けのオレンジ』はホラー要素が薄いため却下。)ここまで子どもの頃にドキドキ怖かった6作品を観てきた。
63日前は、若いころと比べてホラー耐性のなくなった自分が1人であの頃のホラーを観て、後悔したらどうしよう!トイレいけなくなったらどうしよう!と心配していた。だがしかし、実際はどれもこれも面白すぎて、「怖い」の「こ」の字も味わえず、見れば見るほど物足りない気持ちに。
わたしが人生で定期的に深く後悔することは二つ、二日酔いとホラーを読む・観る。家族全員が寝た夜、階段からだれかが這いつくばって降りてきたらどうしよう、靴箱を開いた瞬間に誰かが棚板の隙間に寝ていたらどうしよう。そんな想像をしてちびりそうになるたびに、その想像力の種を摂取した過去の自分を呪う。そんなことを過去何十回もくり返した結論として「ホラーは一生観ない」と決めていたのに。
怖いことに対して不感症になってしまっていたら、それはそれで、そんなのわたしじゃない!とこころにぽっかり穴があいたような気持ちになる。わたしという人間には、それ単品だとクセがつよすぎて苦いスパイスがふんだんに必要なのだ、たぶん。
最後に見たホラーはなんだったっけ?『パラノーマルアクティビティ』を2まで観た記憶はある。しかし2が怖すぎて3を観られなかったような。
『THE 4TH KIND フォース・カインド』も怖かった。どうもわたしはモキュメンタリ―が怖さのツボらしい。
ジェイソン!フレディ!貞子!伽椰子!といったザ・怪物よりも、恐怖を感じている人を見ている時に感じる恐怖。あの、一緒に歩いていた人が突然走り出した時に感じる恐怖。残酷描写は「怖い」よりも「痛い」になってしまうから楽しめない。ファンの多い『CUBE』も『SAW』も、個人的に好みじゃない。
結局わたしは「なんだかわからないもの」が怖いのだ。VHS版を高校生の頃に観た『呪怨』、ストーリーが全くわからないけど、とにかく嫌悪感を感じるくらいめちゃくちゃ怖かった。その後ヒットした劇場版は観てないけど、伽椰子と俊雄ちゃんがアイコン化してしまう呪怨なんて、「わっ!」と言って「ぎゃっ!」と言わせるびっくり箱作品じゃないか。観てないから知らんけど。
恩田陸『Q&A』で描かれる「ナニカ」、小野不由美『残穢』に漂う「気配」。そういった、実体としてとらえることができず、それに触れた人が知らないうちに「どこかおかしい」ものになってしまう力。それが一番怖い。
それはいつだって外から来るものではなく、内側から湧くものだから。
怖い、怖い、怖いもののことをずっと考えていたらなんだか怖くなってきた。ホラー映画に恐怖はない。見ないようにしていたって、やっぱりわたしの内側に一番の恐怖の根源がいる。
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