見出し画像

日々を記して反省する_100日後にZINEをつくる、71日目

12/30,31,1/1の3日間、日記を書いてみた。
今年の小鳥書房文学賞の応募テーマが日記だと知ってから、創作の自信はないけれど、日記ならわたしにも書ける!と思ってチャレンジ。

これが思いの外難しかった。確かに日記は小学校の宿題でも出るし、正解の書き方なんてないからとても自由。その日にあった出来事だけを羅列するもよし、出来事から想起した思考の海にダイブするもよし。
しかし「よい日記」とはなんなのか。

俄然他の人の日記が気になる。
文学作品として残るもの、読書を中心に日々を記したものや、旅行記のように旅を記録したもの、いろいろな日記の形があるけれど、わたしは柿内さんの『プルーストを読む生活』くらいしかきちんと日記を読んだことがない。
「よい日記」とはなんなのか。

「よい日記」とは、他人が面白いと感じるものなのか。記録の精度が高いものなのか。描写にオリジナリティがあふれるものなのか。
読み手を意識したとたん、創作の要素がずるんと入り込んでくる。
だれかに見せる日記は、だれにも見せない日記とどこが違うんだろう。

「わたしの視点で記すもの」にフィクションと事実の境目はあいまいで、こんなに独りよがりな文章はないと思う。

なんで人は日記を書くんだろうな、と考えていたらwikiにはこんな文が。

河盛好蔵は「日記について」という文章で、「私たちが日記をつけておいてよかったと思うのは、自分の古い日記を読むとき」であり、そのことによって「自分の人生について多くのことを反省させる」と述べている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%A8%98

あ、わたしが今3年日記で毎日1年前の自分と遭遇しているあれね。
たしかに今となっては記憶にもない小さなことで四苦八苦している自分を見ると、今の苦しみがほんの少しだけ、どうってことないように思える。


今回、年末年始の3日間を自分の考える「日記」として記録してみたけど、それ以外の毎日あれこれ考えている日々は日記ではないのか。その日の自分の考え事や思考は、「エッセイ」に分類されるのか。

小鳥書房文学賞の応募〆切は2/29。


まだ応募まで時間があるし、もう少し日記で遊んでみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?