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僕のヒーローアカデミア 完結おめでとうございます~~~~!!!

あ~~~ヒロアカ完結しちゃいましたね~~~~
全然実感がわかないんだけど、やっと飲み込めるようになってきたし「これどう収拾つけるんだ?」みたいな不安とか全部焼き払うように最高の幕引きが見れたのでいっそ清々しいまである。

最後の死柄木戦から始まった””怒涛””のクライマックスに毎週毎週ドキドキして超楽しかったし、これぞ週刊誌の楽しみなんだよなあ(大の字)だとおもってました。私の中で一つ時代が終わったまである。

さてさて、いやもう好きなシーンとか語り始めたら多分一日あっても足りないんですけど、なんといってもラストで語りたい!!ってなるし何回読んでも号泣してしまうのはトガヒミコ戦!!!
これは凄いですよね、ホントに。

好きなものになりたくて握った筈のナイフを
怒りと憎しみで握っていました
私が生きやすい世界にするために
その人そのものになりたくて 羨ましくて愛おしくて
血を飲み干してきた
もしも もっと早くに識れたなら
血を飲み干したくのと同じくらい 血をあげたくなるような
そんな”好き”に出会えていたら 世界はもっと生きやすかったかな
それでも 私はトガヒミコ
好きに生きて 好きに生きた
世界一笑顔がカァイイ 普通の女の子!

『僕のヒーローアカデミア』395話

 ここで初めてやっとトガちゃんという人のことがちゃんと知れた気がするし、みんなにあるような気持ちで苦しくなってしまった。予想以上に彼女が”普通”だったから。

 オペラ座の怪人のnoteでも書いたような気がするんだけど、人って自分の嫌なところとか嫌いなところとか絶対あると思ってて というか私はあって、だからこそ他人の羨ましい所とかが特に輝いて見えてしまうし、それが反転して憎しみになってしまうこともあると思うし
 トガちゃんが抱いてる「その人そのものになりたくて 羨ましくて」って本当に身に覚えのある”自分の感情”すぎて心が締め付けられた。
 私はトガちゃんみたいに狂ってない、とか、彼女とは違う、とか私の中でも彼女との一線が気づかないうちに引かれていて、だからこそ余計にその境界線をぶち破られて動揺したし、そんな自分が浅ましいなとも思った。
 「その人そのものになりたい」って思っていて、”それを実行できるだけの力がある”彼女が今までの凶行に走るのも致し方ないような気がする、というか。私が彼女の立場でも同じことをしてしまったのかもしれないと初めて思えたから。かといって彼女の犯した罪が許されるとはこれっぽっちも思ってはいないんですけど、誰もが彼女のような「羨ましい」を抱えているかもしれないという想像力はあっていいんじゃないかと思いますよね。
 
 「好きに生きて 好きに生きた」ってのも最高だよね。私も「好き」を仕事にしたくて今この瞬間を生きてるけど、彼女はその代弁者のような気がして。遠い存在だと思っていた彼女が急に私の隣に鏡として現れたからもう涙が止まらないですよ、本当に。 私も”好き”に生きよう、生きたいって改めて強く思わされた。

 あとあと、クライマックスで本当に好きなのが「人々の祈り」がちゃんと一話一話に入ってること。
 誰かの祈りが「ヒーロー」を「ヒーロー」たらしめるものであることを、誰かがいるから「ヒーロー」であれることを描いているのが本当に、本当に心に来る。誰もが誰かのヒーローであり、誰もが誰かを「ヒーロー」たらしめているという描写。そしてバタフライエフェクトを描くことで「その祈りが今誰かの世界を救うかもしれない」ということの描き方が丁寧で涙がでる。誰一人として取りこぼすことがないように、誰もがこの世に生きる価値があるんだと言われているみたいで、凄い。人間賛歌の物語としての完成度が高すぎる。
 きっと何もしなくたってここにいていいし、誰かに影響を及ぼしているかもしれないし、何かを変えたくて行動できなくたってその「祈り」が何かを変える契機にきっとなってる、そういう切ないほどの人間賛歌。凄いよ。

子どもの頃は 戦いが終われば世界は自動的に平和になると思ってた
けれど 僕らの物語は終われない
戦いのあと 僕らが明るい未来示せるまで
更に向こうへ

『僕のヒーローアカデミア』424話

 正義と悪とか、平和と戦争とか、好きと嫌いとか、そういう「表裏一体」と言われているものがそのまま「表裏」だと最近まで私も思ってた。けど、多分そうじゃなくて、全部延長線上にあるものなんだと最近思えるようになった。だからこそ、戦争を「しない」努力ではなくて平和で「あり続ける」努力をしなきゃいけなくて。
 そんで、人間は生きている以上変化を求め続けるし、忘れ続ける生き物だから「あり続ける」の方がきっと難しいんだよね。現状維持が一番難しい。何かのきっかけで、それこそ誰か一人の憎しみとかが世界を動かしてしまうことだって容易にあり得る世界で、負の感情を持つなという方が無理だから。
 でも、その負ですら君の感情で君の物語だよ、と語りかけてくれる物語であるゆえにありのままの自分を愛せる気がする作品すぎて。負の感情を持つことそれ自体を責めたり批判したりするのではなく、負の感情をどう活かすか、どう己の糧にするか、その過程こそが君を君たらしめるんだよって言われてるみたいで。 ほんとーーーに凄い作品です。どんなに言葉を尽くしたって「凄い」の超巨大抽象語の方がこの作品を表せているのではないかと思うくらい。 これだから言葉の力って弱いと感じるよ。どうせ私が感じたすべての感想を言葉に表すなんて無理なんだからさ

 あ、あとせっかくなので、私が「僕のヒーローアカデミア」についてずっと感動してるところ話してもいいですか?
 なんといってもこの物語、”異能力のことを「個性」という設定にした”という所が本当に本当に秀逸だと思っていて。 堀越先生のことに詳しいわけではないので、彼がプロット型なのかライブ型なのかとかよく存じ上げないんですけど、仮にプロット型だとしても週刊連載でしかも天下の集英社「少年ジャンプ」でしょう?ある程度ライブにならざるを得ないと思うんですよ。
 そんな中で、「個性」と名付けられた異能力とかれの描きたかった人間賛歌の世界観の相性たるや。すべてここから始まっていると思う。私が編集者だったらよだれ垂らして喜ぶ。この「個性」という二文字に。
 少し前に書いたけど、この物語って一貫して描かれる「なにものでもなくたってそこに”在る”だけでいいんだ」っていうメッセージがあるわけで、そこに主人公デクが「無個性」で描かれることにどんだけの価値があるか。
 無能力とかじゃない、無個性というその単語。凄い。
 そして借り物の「個性」で結局はそれすらもなくして「無個性」に戻るわけですが、そこにオールマイトが言ってくれるわけですよ。
 『肝に銘じておきな これも君自身が勝ち取った力だ』
 しびれますよ。無個性でも「勝ち取れる力」があり、それは私自身の生き方に寄るものだって言ってくれてる。
 自分の個性って多分普通に生きてて実感することってなかなかないと思うんですよ。高屋奈月先生のフルーツバスケットから言葉を借りるなら

世界中の誰の背中にも 色々な形 色々な色や味の梅ぼしがついていて でも背中についているせいでせっかくの梅干しが見えないだけかもしれません。
『自分には何もない。真っ白なお米だけ』
そんなことないのに 背中には ちゃんと梅干しがついているのに…
誰かを羨ましいと思うのは 他人の梅干しなら よく見えるからかもしれませんね。

高屋奈月『フルーツバスケット』3巻

 ってことだと思うんです。トガちゃんの話ともつながるかもしれないけど自分の個性とかって自分には分からないし、だからこそ他人の個性とか素敵なところってわかりやすいし けど、デクは「無個性」で最終的にはオールマイトにその「生き方」そのものが君の力だって言ってもらえることの、なんたる強さかって。 私は私が生きた過程によってそれが力になるって、そりゃそうだし当たり前なんだけど、それを「正義の象徴」に言葉として言ってもらえることの強さよ。 
『だれかに生きてていいよって言われなきゃ生きていけない人もいるんだ』ってとある作品のセリフだけど、正しい道を、今歩んでる道を「それで大丈夫だよ」って言われることって本当に心の支えになることがあるんじゃないかと思ってて。 間違ってたらさ、みんな離れていくし時には叱られるかもしれないし、大人だから、もしかしたらもう無言で何かしらの罪に問われるかもわからないんだけど 「正しい」ことを「正しい」って言われる機会ってそうそうないじゃん。 いまのままでいいんだろうか、とか少し不安になって立ち止まりそうになった時に「そのままで大丈夫だよ」って、あまりかけられない言葉がゆえに時に凄い力になるような気がしてて。
 『肝に銘じておきな これも君自身が勝ち取った力だ』って、これはデクが今まで得てきた力に対する「事実」を述べただけで、でもそれほど彼にとって支えになる言葉もないと思うんだよね。そういう意味でも終わり方と「無個性」という概念に対する締めくくり方が素晴らしいと思った。
 私たちは多分自分を「無個性」だと思ってて、でも私からすれば私の周りにいる人間なんてみんな「個性」を持っているように見えているし、そんな数多くの「無個性」と取り巻く「個性」に対するアンサーを最後にきっちりとぶつけてきたので本当に素晴らしいなと思った。

 やば、4000字だって。推しのこと全然触れられなかったや。ちなみに私は相澤消太が最初から最後までずっと好きでしたね。変わらんかった。いつか彼のことも書きたいな~ なんて。 
 なんども言いますが本当にこの作品をリアルタイムで追えたこと自体が光栄で「この時代に生きてよかった」理由になり得る物語だなあと思います。
 堀越先生本当にお疲れ様でした!!!!!!最高の物語をありがとうございました!!!!!!!!!!!!


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