連続ブログ小説「南無さん」第十三話(後編)

https://note.com/num_ami_dabutz/n/n02d0de7aae9c

(承前)

唐土より偉いお坊様が来るのだということで、なにやら都は騒がしい日が続いている。隠居風情とはいえ、清魔羅は今もなお耳聡い。その僧正についてはひと月も前から知人らの口吻にたびたび上っていたため、何くれとなく知っている。

というのも実は、当の僧正が港へ着いたのがふた月も前のことなのだ。なんでも、都へ至るまで車を使わず、徒歩で道々説法をされながらのたりのたりと牛の歩みで参られるとか。もちろん内裏は迎えを寄越したに相違ないが、僧正はそれをお断りになり、代わりに弟子を一名乗せて返した。「我は遅れて行くゆえ先にこの者の話でも聞いておれ」とでもいうのかと、一時は帝も御神威荒ぶられんほどにて、殿上も侍従らも一様に肝を冷やした次第だが、弟子を追うように都へ噂が上ってくるようになり、これは大いに鎮まられた。この僧正についての記述は様々な書物に見られるが、やはり前述の『干乾昇天日記』に詳しい。

”ある人の言ふに亀頭僧正都に至る道すがら村々を徒歩にてまはりつつ仏の道を説き給ふほどに僧正の行く先に見ゆ者は諸人膝を立て手を合はせ拝み奉りて過ぎぬるあとは皆額づき土に涙の幾所も滲みければ僧正衆生を救ひ給ふこと甚だしくおはするなり”

とのことでそれはそれは徳の高い坊様であったということである。帝を待たせることは当時からすればあってはならぬこと、仮に唐土からの客人とあれど首が飛んでもおかしくないわけだが、亀頭僧正はそれを措いても悩める衆生を素通りすることはできなかったというわけである。しかし何もないではあまりに悪いと言うことで、先に弟子を遣わして時を稼いでいたのだが、いわばこれはカウパーのようなものである。

遣わされた弟子は一人ではなく、あとからあとから、亀頭僧正の一団を離れる形で続いた。それゆえ都の者たちは、これこそは亀頭僧正、いや次こそは、という具合にひと月あまりものあいだそわそわとしていたのだ。斯様なわけで洛中を出歩く僧たちの数は一通りではない。場の流れを知らずに唐の法衣に行き会った者は、すわ亀頭僧正かとまず思うのだが、さすがにカウパーはカウパーで心得ていて即座に否定するので、必要以上の混乱はなかった。この頃には都で新たに一つの噂がささやかれていた。亀頭僧正の一門は、尿が一様に太い。彼らに尿を出させてみれば、すぐそれと知れる。とにかく出る尿が太いというのだ。

清魔羅はしばらくの間は街の様子をうかがっていたが、やはり現役時代の垣間見根性が忘れられなかったのであろう。どれそろそろ僧正が来る頃ではないかということで、自身の邸を出て都の外門の際のところまで足を延ばしてみた。そこまでに顔を合わせた僧のうち何人かは亀頭僧正の発したカウパーであるらしかった。らしいというのは、わざわざ尋ねてそれと知れるのもみっともないので、清魔羅は僧らの風貌と周りの人間の様子で判断したのだ。尿が太いに違いはないが、弟子らしき僧らはまだまだ、清魔羅ほどの太さもなかった。これがかの僧正であるわけがない。

さて御隠居清魔羅とて暇ではない。日がな一日、門のそばに突っ立っているわけにもいかないので、門の脇でひとまず尿をしばいておくぐらいのつもりで来た。が、彼の愉尿していると、果たして遠くの方から人影が見えてきた。さすがに老眼とあってなかなか人影以上のことはわからないが、遠目に見ても、どうにもおかしい。何か布が少なすぎるような気がする。いやはやこれは、さてもさても、僧正を見んがため来たと言うに、浮浪の者に行き会うたとあれば憎しや憎し、と思いながら、自身の出続ける尿になかなか踏ん切りがつかないためそのまま眺めていると、いつの間にか、人影は清魔羅の視界から姿を消した。

これは異な事、さては鬼の類かと身構えた時、彼が放っていた尿の音が変わったことに気が付いた。これは現代の尿道にも通ずるところだが、当時もやはり、尿の音で何にかけられているのか当てる聴き尿というのが行われていた(≠利き尿。これはまた別の分野である。)。地面にほとばしっていたはずの清魔羅の尿は、いつの間にかもっと高い位置で、柔らかいものに当たっているような音を立てていた。

ジョボボボッボボボボッジョボジョボジョ!ビチャビチャビチャビチャ……ゴクッ!

すわ、清魔羅が一物を顧みるに、そこには一糸と纏わぬ僧形の男が大きく口を広げて泰然と結跏趺坐を組んでおるのである。彼の顔面は黄金色の飛沫にまみれており、やや間があって、清魔羅はようやく事態を把握した。しかしもう遅かった。清魔羅が一歩下がろうとしたその時、男のしとどに濡れた顔面の中で唯一閉じたままとなっていた両の眼が開き、彼を捕らえた。清魔羅は動けなかった。代わりに、彼の尿はやにわに勢いを失って、ついに何も出なくなってしまった。男の眼光は鋭く清魔羅を射抜いていた。その眦からは清魔羅の尿とも男の涙ともとれぬ滴が流れ落ち、顎の先でひときわ大きな滴を作った。一つまた一つと流れるうちに、ついに顎先から滴がこぼれる。

こぼれたその滴を、清魔羅は目で追うことができた。ただ彼はすぐこのように思うこととなる。見なければよかった、と。

太陽の光を受けた黄金色の滴が零れ落ちた先には、男の開かれたまたぐらがあり、そうしてそこから昇龍のごとく天を指す赤銅色の大黒魔羅が、大きくその鈴口を広げて待ち構えていた。清魔羅は二度思った。本当に見なければよかった。

清魔羅は確かに、男の魔羅が滴り落ちたものを音を立てて飲み込むのを見たのである。一瞬、二人の間に静寂が訪れる。だがそれは清魔羅が息を整える間もなく破られた。眼下に蠢く赤銅色の昇龍の口から、突如奔流がほとばしったのである。清魔羅はアッと大きな声を上げたが、次の瞬間にはもうなにもわからなくなっていた。わからない。なにもわからない。ただ残っているのは、その身に降り注いだ何とも言い得ぬ温かい感触だけである。

地面に倒れ込んだ清魔羅が目を開けると、男はもういなくなっていた。清魔羅のまたぐらからは己の一物がまろびでている。もしや白昼夢でも見たのかと思ったが、確かに自分の尿だけでは説明がつかない範囲で、衣服や周囲に水気と臭気が立ち込めていた。あれは夢ではなかったのだ。

衝撃の体験だった。あのような尿は見たことがない。ましてやこの身に受けることがあろうとは夢にも思わなかった。ともすれば、清魔羅はあれが鬼や邪というような魔の者ではないかと疑うた。しかし身に残されたこの充足と高揚はなんと心得ればよいのか。さてはあの男は、亀頭僧正を品定めせんとする己の邪心を戒めんがために僧正の法力が成し遣わした生霊ではないかと清魔羅は思うた。さらば己のなんと浅はかなことか。徒に齢を重ね心に悪鬼を住まわせていたのは己自身だ。体面を気にするばかりで適当に尿を散らすなど断じて僧正に顔向けできるものではない。尿をするとは何なのか、もう一度自分と向き合い見つめ直す必要があった。

かくして清魔羅は以後体面を気にせず傍若無人の放尿を尽くし己と尿の在り方を深めていくのだが、やがて本物の亀頭僧正が到着した際に目通りが叶い、事の顛末をありのまま話し、ありのままに放尿したところ、当の僧正からは「そんな恐ろしい尿は見たことがない、貴殿は何かに憑かれているのではないか、いずれにせよ、とても私の手に負えるものではない」、と言い渡されてしまい、ついに発狂した。彼はもう二度と都の表舞台には戻ってこなかった。しかしその放尿ぶりが噂を呼び余人も己の尿の次第を突き詰めていったとのことで、やがてある者がそれを尿の道と称し、家元を名乗るに至ったのではないか、というのが尿道新説の概要だ。

ともあれ清魔羅が行き会うたという男がなんだったのかは、現存する資料には何ら手がかりがないということである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?