見出し画像

マラカスを振り、振られ

マラカスを振る。振る。
振り方は人それぞれだ。
響く音色もまた違う。
そこに正解などなく、マラカスを振る本人が満足していればそれでいいのである。


ペットボトルに砂を入れる。振る。
砂の粒はそれぞれ違う。
大きさ。形。色。すべてが違うのであろう。
それが自然界では許されている。いや、それが「自然」なのである。



私は電車に乗る。振られる。
狭いところに人という粒が投入され。揺れ動き、車内でぶつかり合い「音」が鳴る。

「お前!アタシの……その……触っただろ!」
「電話やめてもらえませんか!!!」
「新聞広げんなよオッサン」
「カレと会えるからあげぽよ~テンアゲ~……はぁ……」

響き渡る音は様々だ。表現という音色が人という粒によって違う。


自然は自由だ。様々なものが存在し、絡み合う。それなのになぜ。私は。
少し周りと違う。様々な要素が違う。みんな。みんな違う。
だけれど、認められない。認めてはもらえない。認めてくれなんて思ってない。そう思っていた。
私だって認められたい。「普通」でありたい。もしかしたら。


同性の君に告白する。フラれる。
広い地球。その大地に、何も影響しないであろう粒が一滴と。また一滴と染みていく。
わかっていた。どの様な音が聴こえるのか。
私は、ただもう少し違う音色。明るい音色を期待していた。期待してしまっていた。

「友達ではいるからさ!何でも相談してよ!」

そんな音色は雑音でしかなかった。私にとっての心地よい音色は……


いつも。いつも。期待しないで生きていた。期待なんて意味がないと思ってた。
今すぐにでも君に相談してしまおうか。





「私は。私は、どうすれば世間一般の普通に」

気持ちとしてのお金は時に人の気持ちをより良くします