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鬱になる権利、鬱になる自由

鬱になることは一般的に'悪い'ことだとされている。出来れば鬱になどなりたくないし、鬱に苦しんでいる人がいれば救ってやりたいと思うだろう。

鬱病の原因は未だ解明されていないが、基本的に脳の病気である。脳内のシナプス間に存在する神経伝達物質の内、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンのいずれか、またはすべてが欠乏し、鬱症状を引き起こす。
うつ病の治療に使用される薬剤は、これらの物質を元に戻すように働き、症状を改善に導く。

そうなると、僕らは鬱になろうものなら、その感覚を打ち消すために、薬を服用するようになる。
今では、本人の気分や自覚症状に依っている部分も、時代が下れば、血中内に仕込まれたマイクロマシンのようなものによって、特定の神経伝達物質が不足すれば、自動的に分泌されるように働きかけることも可能になるだろう。
つまり、鬱になることすらままならない、許されない、剥奪されることになるのだ。

そうしてみると、僕ら過渡期の人間には
"鬱になる権利"、"鬱になる自由"が許されているように感じる。
適度なストレスが活動にもたらすメリットは、ヤーキーズ・ドットソンの法則などのジャーゴンを持ち出さずとも、感覚的に知っている。もっといえば、今まで人類が積み上げてきた創作や問題解決の数々は、そうした鬱々とした感情から生まれているものも数知れない。

人間は鬱とは切っても切り離せない存在なのだ。鬱と別れた人間がどのようになるかは、想像でしかないが、たぶん薬物乱用者とさして変わらないのだろう。

だからしばらくは
鬱と向き合おう
鬱を受け入れよう
鬱を愛してみよう。
なりたくともなれるようなものでないなら
その希少性を逆手に
鬱を楽しもうではないか。
なんて、他の鬱病の人にはなかなかどうして言えないな…

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