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不幸は癖になる

どーもこんにちはこんばんは

ぬるです。

経済的負担だけじゃなくて

最近は例のウイルスのせいで様々な側面で被害を受けている人が多いと思います。

私は幸運なことに日々働けているので、お金に今すぐ困るということはないのですが、少なくともコロナによる精神的疲労といいますか、そういったものに苦しめられている人は結構周りにもいまして。

これは何も経営者等コロナ不況の煽りを直で受ける人たちだけではないのかなと感じ始めているところです。

例えば身の回りの例で言えば、仕事のやり方の大きな変化、つまり自粛のおかげで今までのようなやり方が通用しなくなり、システムの再構築を迫られている人達とかがこれにあたるのかなぁと。

誰しもがこういった不況による強制的な変化にうまく順応できるわけではなくて、順応できなかった人は特に苦しんでいるところではないかなと思っています。

コロナがもたらした精神的疲労

ここからは割と精神的な話となります。

誰しもが日々生きて勉強したり仕事したり、生活しているとたくさんのストレスに晒されて、どうしようもなく不幸な気になったりしませんか?

現にSNSとかを見てみると、最近はコロナのせいでそういう行き場のない悶々とした不幸感を持っている人がたくさんいるなぁと思います。

自粛警察とかもそういったものの裏返しなんじゃないかなと思ったりするわけですが、こういった目にわかるように人に迷惑をかけるケースばかりじゃないんですよね。

上記で述べたような、精神的疲労に苛まれて、追い込まれて追い込まれて、不幸なのは自分だけだと感じるようになって、結果周りが見えなくなって、自分が迷惑をかけていることにすら気が付かない、そういう人たちもいます。

感染するストレス

私の同期にもそういう人がいまして。普段はとても愛想が良くて要領の良い子なんですが、最近は色々溜まったものが噴火してしまい、それに振り回されて周りがあたふたしているのを見ていると、あぁ、こういう風にイライラとかストレスって広がっているんだなぁと感じるわけです。

しかもこういった不幸って、態度に出してアピールをすれば、当然周りの人はフォローしたり慰めてくれたりします。こういったフォローは、自分を見ていてくれているんだという、手軽で安い幸福感をもたらします。

これがタイトルにもある通り、人が不幸から抜けられない理由なのかなと思います。冷静に考えれば、辛くてモヤモヤしている時こそ、周りの人達に素直に相談して協力を求めれば上手くいきそうなものなのに、それをせず、ゆがんだ形、周りの人たちに迷惑という形で自分の存在感をアピールしてしまうのです。

こういった人達の相手をするのは、とても難しいところがありますよね。

面倒くさいと切ってしまえばそれまでですが、仕事とかの人間関係上そういうわけにもいかないケースもたくさんあります。こうして周りの人達の頭を抱えさせていくんだなぁ。

終わりに

こういったものに直面する度にこうはなりたくないなぁ、自粛の中でもできる事を頑張ろ、そう思う所存であります。

もしよろしければスキ、フォローの程よろしくお願いします。

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