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(おはなし)Love The world



雨がバシャバシャ降る中、翌日のお昼ご飯の材料を買いに駅の中の地下街へ寄った。ようは伊勢丹のような風情で、フロアごとに色んな店がある。
そのどれもが、さゆきのような庶民には手の届かぬきらびやかな世界。

ネギをカバンから飛び出したまま、化粧品フロアを通り過ぎた時だった。
名だたる高級ブランドが軒を連ねる、ただの女子高生には縁のない華やかな世界。普段のさゆきは素通りする世界なのだが。
今回はほっそりしたふくらはぎを揃えてスタッ!と振り返る。………………彼だ。

遠くからでも相変わらず派手。シャネルのリップを物色しながら販売員に話しかけている。
さゆきはその姿をひと目確認したその瞬間スタープラチナもびっくりの勢いで壁に隠れた。
手にとっているのは、『キスしても落ちにくい』という謳い文句の商品らしい。……シャネルもやっとるわ。

さゆきが知っているキスなんて、ぜんぶスクリーンの中の出来事だ。
それもラブロマンス映画のキスならまだしも、さゆきの観た映画の中で1番印象に残っているキスは、マトリックスの2作目……ネオとパーセフォニーの…あの雑なキス。

彼女は気になることがある時や遠くを見る時に、室内でも右手をひさしにするという癖がある。
今回も壁から顔だけのぞかせ、ひさしを前髪に当てている女子高生は昭和の刑事ドラマよろしく。
……グロリアを見上げる販売員の目がハートなのが、さゆきからするとシュールである。
どうやら真っ赤なルージュと、ピンク?っぽいやつとで迷っている様子。
ぜんたいあいつ、こんなとこで何やってるっていうわけ。オシャレなこって。
と心の中でつぶやく。気づかれてはまずいのでそのまま壁にかくれてしばらく観察していた。たがさゆきちのことだ、好みでない男の顔などすぐに飽きてCDショップがあるフロアに駆け込もうと背をしゃんと伸ばす。

今日は大好きなベストアルバムを買いに来たのだ。ウォークマンに入れるのが楽しみで仕方ない。
その前に。
見つかりやすい中央の通りを横切らずに左手のエスカレーターを下りれば本屋がある。
毎月読んでいる天文雑誌をさきに買って行こう。


しばらくしてエスカレーターを1段飛ばしで上がり、ふたたびくだんのシャネルを通りかかった。もちろん背後に気をつけながら。
彼はまだそこにいて、結局真っ赤なルージュに決めていた。
その横顔には片思いする……夢みる乙女のごとき薔薇色がさしこんだ……ような気がした。
「あっちゃ〜〜〜…………」
さすがの彼女も苦笑いで呟く。主婦が不思議そうに一瞥して傘をさしていった。
すたこら背を向けてとっとと退散。おつぎはCDショップへGO…

しかしまあ中央の通りは気付かれずに通り過ぎたつもりが、存外にあっさり見つかる結末。


売り場を離れる直前、セーラー服を目ざとくみつけた声に、すかさず呼び止められたのだった。
「さゆき!」
背中がびくりと直立。
ぬるりと 振り返れば、金髪がさらさら揺れてさゆきにちっさく手を振りながら歩いてくるまぶしさ。
青いジャケットに深緑のスラックス、ギラつくアクセサリーという組み合わせが目に優しくない。それでも着こなしているものだから始末に負えない。

真夜中に道路を渡る途中ヘッドライトに照らされた猫のように立ちすくんでいると彼が歩けば伊勢丹の化粧品フロアがパリコレのランウェイになった。
ハレーションもハレーション。
スクリーンから飛び出してきたような容姿の現実感の無さに、さゆきはむっと口を尖らしていた。
存在自体が目に優しくない男。
ココ・シャネルも苦笑い。

女子高生も歩けば男に当たる。
「さゆき、いま帰りか?」
グロリアはもうすっかり慣れたかんじでさゆきの手をつかみ、嬉しそうにしている。
セーラー服の黒髪の女の子が彼の隣に立つと芋臭いのだろうなあと彼女自身はいつも思う。
何が嫌って、これも嫌なのだ。
この令和、「美人」には色んな種類があって。色んな種類があって然るべきなのに。
隣に並びたくないほどの「美笑」を持ってこられた日には。彼がスタスタ歩けば、髪をかきあげれば、あっという間に周りが色褪せる。キラキラとそれはそれは周りを押しのけてまぶしく輝く立ち姿。
圧倒的な存在感で、周囲のすべてを押しのける。

さゆきとまったく違うタイプの魔性、誰も叶わぬ男性らしさと色気が同居した美貌はまさにカリスマだ。
だから嫌いだ、ムカつくんだ。
一方のことさゆきもまた青年らしい若い可愛らしさがあるのだが。
それはひとたび微笑めば周りの人さえ華やかに染めることが出来そうに柔らかい。
古風でアンニュイな可愛らしさでもって昭和アイドルの雰囲気だ。
奥深いしとやかさを一挙一挙に纏っているのは少女由来か。セーラー服由来か。
いつも目の奥に何かを隠していて、遥かな海を想う煌めきを内包している。
つまりこの人の隣には…チグハグ。

「あんたは私に似て和風だけど、小股が切れ上がったっていうのかな。とにかく『卒業』を歌ってたときの斉藤由貴ちゃんに見える時があるよ。」

由貴ちゃんファンに怒られそうなほど若い時の由貴ちゃんに似てると母と妹に言われ続けたさゆきである。
その眩しさを目の当たりにすう、と目をそらせば翳りゆく初夏。
有無を言わさぬ海外ブランド的派手さには今まで可愛がられてきた容姿のプライドなんかガッシャーン。
日本の美人はワビサビがすぎる。
打ち砕かれた自身の容姿への愛に、灯油をぶちまけてチャッカマン、カチィッ!その炎でパーラメントにワンカートン火をつけたらば。胸中に充満してゆくボヤ騒ぎ。タバコの狼煙がニコチンと共にモヤモヤと立ち上れば喉元過ぎてもまだむせる。
最後には16歳が味わうべきでない、思春期の心の成長過程においてもっとも不適切な3文字がよぎる。

「みじめ」である。

ちょっと雰囲気があって可愛らしいだけの女の子が彼の隣に立つと「もっさりした芋」と自分を認知していく。
本来人間社会において清潔な身なりを心がけているなら芋臭いなんて誰も思われないはずで、実質さゆきのプリーツスカートは糸くずひとつないし肩下までの黒髪は濡れたカラスの羽。リボンはきち、きちと結ばれていて。
背筋だってしゃんと伸びている美脚なのだからそんな地味子にはなり得ない筈なのに嗚呼、比較対象が、条件が悪すぎる。

実際問題、思春期のルッキズムはナルシズムと紙一重で主観。
壁際に身を引っ込め、手を握られたまま固まっているあの日の由貴ちゃん。小さな黒猫のように警戒するさゆきに、不安定で妖艶な声が降ってくる。
「なぜそんなところに隠れる?」
「……隠れてるつもりはないですけど……」
のろのろ答えた。彼はさゆきのカバンから飛び出したネギをみて笑う。
「買い物か?なにを買うんだ?」
「………CD。」「なんだって?今なんと言った?」
「……CD買いにきたんです。」
彼は目を輝かせた。
それはもう、さっきまでみていたシャネルのリップよりも眩しく光った。
「では一緒に買いに行ってやろうか。」
さゆきはちょっとだけ後悔したが、ここで引いたら負けだと思い直してキッと睨みつけた。
この男は怖いけれど、勇気を出して言うことにした。
「閉店ガラガラ。手を離してくださいませんか。」
底冷えするようなトーンですっと睨むと、なかなか雰囲気がある。いくらグロリアが背が高くて真っ向からみおろそうが、確固たる落ち着いた雰囲気を醸した。
女子高生は出会って半年になるのに、グロリアに対してひとたび足りとも笑顔を向けたことは無い。

「おっと失礼。つい手が滑ってしまったようだ。許せ。ところでCDというのは何の?」
「……あなたには関係ないでしょう。」
「冷たいことを言うなよ、さゆき。この前占ったら相性は最高だったろ?いいから、一緒に買いに行こうではないか。」
「やだいっ!!アンタの言う運命だとか相性だとかは、後付けに過ぎないわ!」
駄々っ子みたいに体をこごめて、手を引っ張られたまま壁に身を引っ込めてさゆきはきっぱり断った。
「なぜだ。」
しかし怒られると思ったら案外冷静に詰め寄られ、トーン・ダウンしてしまう。
「……う。あの、その……。」
「うん。」
「………あんたの被害者にはなりたかないって、全くもうこれだけよ!」
ローファーを高らかに、すたっと歩き出した。後ろで彼が何か言っている気がするが、聞こえなかったことにする。
「おい待て。さゆきっっっ!!さゆきー!」
背に怒声を浴びつつ無視してずんずん歩くと、地下の食品売り場に降りた。
エスカレーターを降り切る前に、追いかけてきた男に肩を掴まれた。
「さゆき!」
さゆきは振り向いて、グロリアを見上げた。
すこしぼさついた眉毛が綺麗に直線で、ちょんと繊細な鼻筋が斜めに影を落とす。伏せられたまつ毛に隠された瞳の色は深い緑……。
この娘はまったく、顔とスタイルだけは悪くないのに。

「……ついてこないでくださいったら、たらこパスタ。しつこいってさ、人間のタイプにして最低でしょ。」
ばっっっっさり。グロリアはさゆきの言葉を聞いて、ぽかんとしている。
「……おまえ、いま、なんといった?」
「なーんも言ってません。なんも。電気グルーヴもビックリの『N.O.』です。」
さゆきはツンと顔をそらした。群青の襟が被さった肩からさらりとひと房、黒髪がこぼれ落ちた。
「じゃあ、もう2度とですから。」
再び女子高生に背を向けられる男。お情けのひとつも家電も花瓶も家庭も無い。
「さゆぅうきぃい~!!」
彼が叫ぶと伊勢丹全体が震えたような気がした。周りの主婦や家族連れがちらちらとこちらを見る。
女子高生は、はァと呆れ果ててなお、歩みを止めず。
プリーツスカートをフワつかせて風をきる。
馬鹿なヤングはとってもアクティブ。
愛の告白を切り捨て御免。
それを横目に舌打ちを投げて通り過ぎる中年男性。
自分の人生の1秒たりともこの人に費やすのは口惜しい、と言わぬばかりの「立つ鳥」。

それでも追いつかれ、肩を掴まれれば始まる何かがあって。
たぶん、グロリアがさゆきを「追いかける」という選択こそが立つ鳥を捕まえた。

「さゆき!さゆきィイ!!貴様という女はァア!!!」
しぶしぶ振り返ると、怒り狂った……外国人……。
「おれはお前と一緒に買い物がしたいだけなのだ。なのに、なぜ断る?」
「嫌だからですっ!」
「そんな理由があるかぁああ!!」
すると、女子高生はもう付き合っていられない……とばかりに深い、深いため息を交えて折れてくれた。
地の果てまで追いかけてきそうだという危機感に背骨を気圧され、結局は呆れに着地。
「……わかりました。じゃあついてきていいですよ」
「よし、そうこなくてはな。」ぱっとまた余裕のスマイルを取り戻す。
「でも、もう、ほんとうに、これで最後ですよ。」
彼女は釘を刺したが、グロリアはどこ吹く風。
「もちろんだとも。今日はこれが最後だ。」
そういうと、さゆきの手を取って歩き始めた。
「手は離してくださいね。」ばっと振り払いスカートでその手を拭った。
「なぜ?」
「恥ずかしいからに決まってます。恋人みたいで。」
このちいさな女子高生は、基本的に沸点は高い方だ。それは諦めとも俯瞰ともつかぬ呆れをもって付き合っている節があるためかもしれない。
怒れるのはまだエネルギッシュな者だけだ、さゆきはそのエネルギーも無い。

「違うのか?だって俺とおまえは運命に結び付けられた恋人同士だろう。恥ずかしがることはない。」
「運命は生まれで決まらないんだってば。映画のマトリックスによればね。
…………なんですかこの押し問答は。」

肩を抱く腕を払い払い、CDショップのあるフロアへ来た。今年の夏の話題曲やポップな音楽のポスターがたくさん貼られていて、店内でもUSENラジオが流れている。
「さゆきは何を買うのだ?わたしが買ってあげよう。」 クソ狭いCD棚の間を縫って歩く。
「いいえ、自分で買いますから。」
「遠慮することはないぞ。」
「大丈夫です。」
とは言ったものの。お目当てのコーナーの前にきてみればちょっと魔が差す。
元々欲しかったやつとは別の、出ている中で1番値段が高いのを手に取ると悪魔に肩を撫でられる。生意気な見返り美人が口を開く。
「これです。」
「なんだこれは?」
「CDです。」
「それは見ればわかるのだが……。」
さゆきが手に取ったのは、アルバムではなくて『P3』と書かれたDVD付きの方だった。アーティストは、ライブにこそ真髄を発揮するべきだと思っている。
「これが欲しいんです。」
本来は、旧作を1枚だけ買うつもりだったのだが。どーしても?買ってくれると言うんなら??仕方が無いから?
最新のライブ盤、いちばん高価なのを買ってもらってやってもいいけど??
それくらいの心持ちでなきゃこんな男とは渡りあえないんだと勝手に溜飲が下がった結果の態度。緩やかな憂いを込めてうつむくとさらに彼女を美しく魅せた。

グロリアが華美で派手なハリウッド映画から飛び出してきたような雰囲気ならさゆきは日本画に描かれ続けてきた女。
日本画の、美人画と呼ばれるジャンルが相応しい。
「ふむ……?」
グロリアにはピンと来なかったが、とりあえずレジに持っていくことにした。
店員さんは奇天烈な組み合わせの2人にちょっと驚いた顔をしていた。
「ありがとうございましたー!」


ショップを出て、駅から離れて、しばらく四条の商店街を抜けて新京極のカッフェに入った。
クロムメッキのエスプレッソメーカーがさゆきの頼んだクリームソーダを写して輝いた。目の前に並んだサイフォンには、コーヒーがぐつぐつ蒸留されている
マスターが神経質そうにしゃがみこみ、軽食が陳列されたガラスケースをゴシゴシやっているのがみえた。
カウンターに並んだ二人の背中は曲がりなりにも寄り添い、麗しの時をさざめかす。
彼女のしとやかな目線の先を想像しながら、グロリアが聞いた。
「それで、どういうものなのか説明してくれないか。わたしにも理解できるようにな。」
さゆきはパッケージを開いて、ディスクを取り出しながら説明する。「これをパソコンに入れて、再生すると音楽が流れてくるんですよ。」
「ほう……。」
CDさえ、もう一昔前の話だ。さゆきは令和27年の女子高生にしてはむしろレトロ趣味と言っても過言ではないくらいのポジションではなかろうか。

「それをみんなで観るわけですね。」
「なるほどな。で、なんの曲が入っているんだ?」
「これはベスト盤です。いろいろありますよ。『ポリリズム』『チョコレイト・ディスコ』とか。あ、あと、『Spending all my time』も入ってるっっ!」
歌詞カードを取り出してキャッキャと楽しげに語るさゆき。
全然聞いたことも無い系統だった。それに女の子の心をポップに繊細に表現した歌詞などいっちばん彼から遠いところだ。
逞しい腕を組んでテーブルに置き、横のさゆきをのぞき込む。
「よくわからんが、おまえが好きそうな感じだな。」後半はもう生返事。自分から連れてきておいて。

「好きですよ。聞いてみますか?イヤホン半分こっつーやつです。」
これはライブ映像なので家に帰らないとだめだが、
スマホを取り出してさゆきが1等お気に入りのを聴かせてみた。
4曲ほど、往年の傑作をさゆきセレクト。
「どうですか?こういうのが好きなんです。」
グロリアは深い眉間にさらに深くシワを寄せていた。
ウッスラ困惑した様子で、机についた腕を崩した。
「……なんだか、こう……頭が痛くなるな。」
とたん、
信じらんないっ!!この良さがわからないわけ?!と詰め寄りたそうに唇を尖らしてばっとその顔を凝視。
ここに来てまた抗議したげな様子の彼女に少し身を引く。
「…………怒るなよ。」
するとさゆきはゆっくり目をまた伏せて、さっきまでの豊かな感情はどこへやら黙ってまた無表情に戻る。
たくさんの言いたいことはあったろうに、グッと全てを押し込んで最終的に
「なんでですか。」と、低く突っ込んだ。
さゆきはいつも、この男に対して言いたいことは沢山あるものの全部飲み込んで押し込んでからひと言、普通の返答だけを零す。
その寂しさがグロリアにとってさゆきが「タイプ」にい続ける一因にもなっているのかもしれない。

「いや、なんか、こう……うるさいだろう?それに同じところを繰り返していて、歌詞も薄っぺらいし。」
「そりゃそうでしょう。そういうジャンルなんだもの。テクノポップの金字塔。」
「テクノ?」
「ええそうです。Perfumeはテクノ・エレクトロポップですけどね。あとまあ……ニューウェーブっぽい感じです。独自の世界があって。」

そうすると、突然彼がさゆきのiPhoneを奪い取りイヤホンをまたさゆきにつけ直した。
「なんすかなんすか。」びっくりして、iPhoneを持っていた手はそのまま空いている。
グロリアはわざといたずらっぽく、いかにも海外のドラマで見るように眉毛を上げ演技じみたふうにしゃんと体勢を直した。
「ライブとやらを一緒に観る。」
細かな、分かりづらいその茶目っ気はさゆきだけが引き出せる彼の1面だった。
「いや、別にそこまで観なくても……。」

女子高生は不覚にも、距離の近さに照れてしまった。大好きなものをいったん引っ込めてしまうほど照れた。
たぶん、男性用の香水を人生で初めて嗅いだせいだ。そう。香りのせい。
ツンと鼻をつくが重厚で、不思議な甘さ。
アメリカンコーヒーや喫茶店特有の香ばしさも混ざって古い図書館にいるようなクラシカルな香りだ。
それともキスがすぐ出来そうな状況だから?公衆の面前でそんなこと。
いやいや、パーセフォニーなら果敢にもネオにキスを欲求で来た。
さゆきもあのパーセフォニー、イタリアの宝石と呼ばれたモニカ・ベルッチならあるいは…………。耳まで、男を知らないからこそのコンプレックスと淡い期待の入り交じった葛藤が上がり、それは外部から見ても明らかだった。無表情で耳まで真っ赤になっているのに、彼は気づいているのかいないのか。
てれてれと肩をくねっていると
「ほら、一緒に聴くぞ。」となおも距離が狭まる。
「えぇ……?」
仕方ないので肩……というより腕全体をくっつけ、YouTube検索した。

スマートな演出の中、完璧に揃って踊る3人はどこかマネキンじみていて無機質だ。
「こんな感じなんです。いいでしょう?」

まあ、それでも内心グロリアにはサッパリだった。さゆきが、自分の知らない音楽に詳しくて、楽しそうに喋っていることだけがわかった。
さゆきから少し身を引く。
「おまえはいつもこんなに騒々しい音楽を好んでいるのか?」「まぁ、わりかし。」言いながら薄暗い照明を仰ぎ、座り直した。
ふわりと持ち上がる女子高生の尻をチラとみやり目をそらす男。
「信じられんな。」
「じゃあ、どんな曲が好みなんですか?」
「そうだな。」
骨ばった手を骨ばった顎に当て、少し考えたのち言った。
「『bohemian rhapsody』という曲は知っているぞ。………ぱひゅーむとはまったく違うが。」
「ああ、QUEENね。知ってます。なんとなく。」
「その曲が良い。」
「えー……マジすか?」
あれ、かなり古い曲じゃんかあ。さゆきちママが産まれる前に流行ったくらいのものなのに。さゆきからすれば、一度二度聴けばもう飽きるたぐい。
ないわ〜〜〜〜。
「そんなにいいもんじゃないと思いますけど……。」
「なぜだ。」
「だってもう、50年ぐらい前のヒット曲ですからね。わたしが生まれる前ですよ。」

ガタイの良い外国人グロリアを挟んで隣に腰掛けたお姉さんは、ホットサンドを1切れくわえると新聞の経済欄をにらめつけた。
プラスチックの箱みたいなビルの一角にある喫茶店では、二人の会話などは全くだれも気にもとめないのだった。
かつて世界を恐怖におとしめるかに思われた吸血鬼の野望も、2049年現代においては雨の中の涙。
極めつけは出会いだ。
令和に目覚めたスリーピングビューティが運の尽きだろう。
グロリアというスリーピングビューティに、愛に目を覚まさせたさゆきちは被害者なのか加害者なのか。
見初められたさゆきにしたって、この男のヒマラヤ山脈みたいなプライドの高さには12時を待たずして魔法も解ける。おまけに誰に日本語を習ったやら、時代遅れの言葉使いにも個性が光りすぎていて滝沢カレンだって苦笑いするだろう。

グリム兄弟だって匙を投げる、恋路の先が真っ暗。犬鳴トンネルさえチョコレイトディスコに思えるくらい真っ暗。かしこみかしこみ。


「なにを言うか。おまえはろくに聞いたこともあるまいに。」
「そ、それはそうだけど……。」15席ほどある結構広いカウンター席は賑やかに埋まって、常連がタバコをふかしだした。
紫煙が微かにけぶらしたテールランプ。
「とにかく良い曲なのだ。」
「はい……。」
さゆきは釈然としないながらも、クリームソーダを飲みその曲を検索してかけてみる。
「おお、この音だ。懐かしいな。」
彼は目を閉じて、その曲を聞いている。……のだが、その心地良さげな美しい顔が妙にムカッとくる。
これはまったく無意識下で本人すら気がついていないが、そもそものさゆきの気質はどちらかというとサディスティックだったりする。
「他にはこう……グロリアさん好きな曲とか、」1曲終わって尋ねるとまた顎に手を置いて考えてみる。
「最近のやつはなんかないんすか?YOASOBIとかは?」

「『my heart will go on』が好きだ。」
「いや意外と純愛ラブソングッッッ!!」

これもすげー前のやつじゃんか。全然YOASOBIじゃないじゃんかっっっっ!!!タイタニック?!?!?!
がたっと立ち上がりかけ、また座り直す。

「もっと今っぽいやつで、若い子が好きそうなのとか。ほら、最近だと……」
「うむ。『恋ダンス』とかか?」
「それもそうですけど、それも古い。てかなんでグロリアさん、恋ダンス知ってるんすかあのドラマみていたんですかグロリアさんは。ああもうツッコミが追いつかない…………。あのね、今は、ていうかちょっと前からはシティポップとかがリバイバル来てるんですよ。『ダンシングヒーロー』とかね。『プラスチック・ラブ』とかね。」
カウンターの奥に貼られたバブル期を残すポスターが微笑ましげにふたりを見守る。
「どれだ。お前の言った…プラスチックラブ……なんとやら。」
「あー……これです。」
カウンターは結構広いのにわざわざ大柄な男と147の女子高生が一緒になって首をこごめて、ひみつ話をするみたいにちっさい画面に一生懸命見入っている。
「ほう、これが。」
顔を寄せる。
ちいさな女子高生が距離の近さに恥ずかしくて横を向くと、何を思ったかいきなり手の甲で頬をさわ!と撫でられた。
ビクッとして離れる。
「ひゃわっ………!!!なんすか」
「煮たての餅みたいだと思ってな…つい触りたくなる。」
「あたしは雑煮じゃないやい!」
「いちいち騒ぐな。」
巻き込まれ型女子高生にはシンデレラも苦笑い。

まあいいさ。とまた、べつの再生リストをつけてみる。イントロの瞬間、ぐっと眉根に皺を寄せてばっと見られた。
「なんだこれは。」
「なにって、テクノの極地ですよ。」
「よくわからんが、おまえの趣味は不思議だな」
適当にまとめあげられたな。
さゆきはストローを唇に挟んで、目を伏せた。
「…今度のこの曲はまた、ぱひゅーむのか?」
「……ちがいますね。」
店内右手のガラス壁に目をやると、雨が打ち付け出したので眉をしかめる。
セピアのウォールステッカーは反転した装飾文字で
「喫茶 シャングリラ」。
不意に、フワッと振りかえって遠慮なく彼を見上げるさゆき。

ちいさく引き結ばれた唇が確信的に、オレンジの照明に輝いた。
何かを訴えるような、だが口では言わずただただ、投げかけられるミステリアスな目線。
ゾクッとするような蠱惑が照り返る。次の瞬間、幼児性の産毛が頬のまわりに煌めく。

それはこの子ならではの独特の目付きだった。 猫を飼っている人間なら分かるかもしれない、彼らが不意に透き通ったその目で、ガラス玉のような目で、じいっと見上げてくるあの感覚。まつ毛は切なげに煌めいて、漆器を植え付けたような。

2秒間ほど見つめられてグロリアは透き通る緑の視線に耐えかね、自分からぼそりとこぼす。
「…傘を忘れた。今朝は晴れていたしな。」
「あら。」
そのやり取りが合図みたいに、お互いに黙って腕を組み直し、お互いにもうまったく黙りこんで流れてくる曲に集中した。ボロついた頼りない純正イヤホンが2人をひとつなぎにしている。
どぎつい色のクリームソーダはすっかりドロドロに甘ったるく落ち着いていた。彼のコーヒーは冷めてしまって酸っぱいだろう。彼はさゆきにほぼ寄りかかって傾けていた体を起こして、ゆっくり、そぅっと、逃げられないように彼女を片腕の中に収めて捕獲した。

身の丈147のさゆきは、彼にとって大きい猫みたいなものだ。
パステル・グリーンに落っこちた真っ赤なサクランボは雨の夏、夢の夏の最後のひとしずく。
ガラス壁に打ちつたう雨粒たちはシンセサイザを可視化した如くきらめいていた。
女子高生と大人の男、隣合って密着した鼓動をあわせたBPMは早くて熱い。
キラキラテクノサウンドのはざまには、レトロでさびしいニュアンス。
斜め右下から呆れ切った女子高生のため息が聞こえた。

「……………折りたたみ傘しかありませんよ」

プラスチックのシャングリラにも雨が降り出した。

おわり



あとがき

恋は2人だけの言語だと、よくそう思います。では、大事なのは恋まではいかないけれど、よく分からないたかぶりのはざまを揺れ動く淡い感情は、2人だけの言語でしょうか。

2人だけの世界は、きっと雨の中にある。都会に降る雨は、わたしの中では特別な意味を持ってます。
雨は虚構。雨は春のイメージとセット。

そう忘れもしないあの日、リバイバル上映に無理やり親父に付き合わされて小劇場で「ブレードランナー」を観させられた日以来。
帰りの車中で、感情も言葉もぐっちゃぐちゃで、でもなんだか喉の奥が熱くて痛かったです。

・さゆきは書けば書くほど、私の中でのモナリザに、ファムファタールになってきています。
女性が抱くファムファタール像ってやっぱりもう1人の自分の分身的な意味合いも必然的に持ちますよね。もしくは女性の中の男性がまた持つアニマ。
入れ子構造ですね……。
さゆきのモデル斉藤由貴ちゃんは永遠のアイドルですが、あの頃の由貴ちゃんはまさにアジアン・キュートです。
ほかにも台湾女優のヴィヴィアン・チョウさんとか、そこらへんのイメージ。

・グロリア   という名前は、大好きな小説家フィリップKディックの名作「ヴァリス」から。
適当っちゃ適当ですけど、私の憧れる男性像も少し入ってしまった。
モデルはマッツ・ミケルセンさんです。ファンタビんの時の。映画の中の、あの影のある悪役マッツさんが純愛を学んだらどんな風になるかな〜ってお話から膨らんだンですよね。
でもワイのラブ理論では危ない方向には転ばないし・きっとずっとプラトニック・ラヴ。
あとは……そう、漫画のキャラクターになっちゃいますけどジョジョの3部のDIOさんとかね。参考にしたよ。
あの、DIOさんみたいなさ、悪い男ではあるしストロングでコンプレックスフリーなんだけど目の奥に母性の欠如由来の寂しさをいつまでも抱えてる幼児的男性像はカリスマ性とか関係なく女性を引きつける気もします。
歌舞伎町とかじゃないですけど、色々な関係をウォッチしていると、よくそう思い至ります。
病的なメンタリティの女性性は、きっと母性が自己破壊衝動に結びつくとああいう男性に引かれる気もする。

書いているうちいつの間にか自身の恋愛観が出てきていて。それは恋愛に対する、酷くネガティブなもので。
男も女も嫌いなんだけれど、最後に行くにつれ
いかんいかんと軌道修正して第2のポリシー「物語はハッピーエンドでなければ無価値」を思い出した。

そんなこんなで、誰にもわかって貰えないテクノ音楽への偏愛を散りばめてしまっていたよ。
古典文学ばかり参考にして小説を書いていると世にある小説の作法が分からないままになっている気がするし、めちゃくちゃこれでいいのか不安。

頭の中のイメージを文体に起こすととても歌詞チックというか、詩っぽくなるなあ。と書いてみて今回わかりました。
世の作家さんはすごいね。

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