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コスメは大好き、メイクは大嫌い

こんばんは🌛潤子です。

朝、ただでさえ寒すぎるのにもう胃が痛くて痛くてしんどいです。

それでも少ない金の中から買った、憧れのデカい女優ミラーは朝の化粧と外に出る気力を出してくれます。

メイクがトラウマに結びつく体質

「自分にはメイクなんか全部似合わない」と信じていた。
だってさ。
重いまぶたにド平面の顔。なんの起伏も可愛らしさもないこの顔を、一時だって愛せた試しは無いから。

母親や親戚がわりと美形がおおくて美意識も高い人達だったから、その中にいるワイの気分はもう卑屈にならざるをえなりかずき。
ずーーーーーーっと、自分なんかが化粧したところであの人たちみたいに、これっぽっちもマシになるわけないって信じ込んでた。
父親、だけじゃなくて周りからわりかしたくさん「ブス」「可愛くない」「こっちむくなキモイ」「なんの服もお前には似合わない」とか言われ続けて育ってきたから無理もないと思うんよ。

でも散々ブスと言う両親は身だしなみをしゃんとしろこのゴミ!と怒鳴るし。

高校生位の頃だったかな。初めてコスメを買った日。


たぶんニベアだかのBBクリームを自分で初めて買ったと思う。
いや、多分その前からアイプチは結構買ってた。二重になりたくて。
それはあとでかく。
なんせ自分の顔を構成する全てのパーツが嫌いで仕方なかった。肌も目も口も鼻もぜんぶ醜い、汚い、こんなんじゃ人として扱って貰えない、自分は人権がないとしんじこんでいたからベースから何とか出来ないかなと悩み抜いて少ない小遣いで買った。

薬局でちいさなそのクリームをひとつ買うのさえ恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。化粧品コーナーにいる自分が酷く醜く感じてさ。あの綺麗な、眩しい、清潔なイメージの空間。

あ〜トラウマがよみがえってきたのでここら辺で高校生の頃の話はやめだやめ。
過呼吸になりながら書くものじゃないんだよ、NOTEはよ

一重の私にとってメイクはそうとう体力のいる挑戦だった

初めうちは、どうしていいかわからずにメイク動画や資料を見漁るよね。
でもそのとおりにやっても同じにならない。そもそもが世の中のメイク動画はほとんど二重向け。
どんなに垢抜けない人からメイクでなんとかなる系の動画を見ても、そもそもみーんな二重。もうその時点で優勝だからね。
それならあたしからしたら、もう既に垢抜けとる。
どんなに髪ボサボサ&メガネ&汚いTシャツ1枚でも。
本当にいい加減にしろ
激重ド一重に生まれた時点でスタートがグーンと遅れている。一重にはメイク自体許されないってか。ふざけないでくれ
いや、一重でも可愛い系の人類はたしかにいる。
一重がその人の魅力に繋がってる美人さんも沢山いるのはわかる。
いるし、アイプチがちゃんと機能する系の一重の人もいるからこれは激重一重のあたしに限っての話。 最近分かった。とんでもなく美しいあの一重の、冨永愛さんをみて。
一重で美人な人って、切開ラインが美しい。目頭からシューーっと一筆に切れた切開ラインが、ミステリアスさにも繋がっとる。
かたやあたしはバチバチの蒙古膜で蓋をされていてなんもみえん。目頭にポケット?みたいなのができててゴミとかまつ毛とか死ぬほど溜まるし痒いしメイクはどうにもならんし本当に本当にうざいのよ。
何度か自分でハサミで目頭をブチブチ切ったことある。死ぬほど痛かった。泣きながら気合いで切りちぎってやったら皮膚の断片が洗面器に散らばった。
でも治りやがって、いまはもとのモンゴロイドアジアの悪いこと尽くしの目よ。キレ散らかして諦めそう。

中学の頃からありとあらゆるアイプチを試してた。アイプチにかけた金だけでイヴサンローランのアイシャドウなんこもかえると思う。(わかりづらいたとえ)

でもダメだった。どれもこれも上手くいかん。
なぜだか一時期だけ、それも奥二重の左目だけ上手くいく時があったりして。
でも、右目だけは頑として絶対に二重にならない。いまも。
あのねそんなん毎日やってられんのよ。
ああいまだに腹が立つ。鏡を見る度に一重の重さに辟易して腹が立ってる。
アイラインを引いても正面から見ると無いのよ。
マスカラはまぶたにぜったいつくし。アイシャドウも塗っても塗っても無いし。どんだけ重いんこの一重。
こんな重荷、背負って生きてく体力ないから。ただでさえ税金重いから。

正直これに関してはずーっと生涯キレてると思う。二重および二重イコール化粧映え&美人って世相の世の中に対しての嫉妬や怨念だけで死んでも死にきれない。
このまま二重礼賛社会ならおれはニューヨークの町であばれるマシュマロマンになるしかないど。
海を渡ってやる。んで東京なんかひとひねりや。
ゴーストバスターズも苦笑いやで。

もう整形手術するしかないなってとこまできてるし、さっさとこんなゴミみたいな一重なんかとおさらばしたい。
でも、勘違いさせたくないのが「理想の顔になりたい系」の、いわゆる美容ジャンキー的なノリで整形とか言ってるわけじゃなくて。

ただ、ただメイクがしやすくなればそれでいいんよ。メイクするために土台を整えたいだけなんよ。

なんかまえ整形についてのブログとか調べててみかけた「一重のわたしは最後だから、その私も可愛がって大事に写真で残しておく」という価値観にビックリしたし。
すごいなおまえどんだけ蝶よ花よ育てられたらそんなに自分を認められるん?んでなんで整形しようと思うん???

「両親」って娘の容姿をひたすら悪く言うために存在している生き物やないん??????

あ〜トラウマがよみがえってきた(以下略)

いや、自分を愛せるのは普通なんだろうとはどこかでわかってるんやで。

整形って言うけど何十万もかけて大変な痛みにも耐えてやっと人と同じ普通のラインに立てるなんて本当に苦しい。

コスメは幼少期の煌めきの一片を思い起こさせてくれるんだと思う

永遠に「コスメ パケ 可愛い」で検索かけている。あらかたリサーチしてわかったのは
プチプラよりデパコスの方が、やっぱり可愛い。テンションは上がる。プチプラはさ、薬局で財布とひたすら相談しながら買って帰ったらもうなんの躊躇もなくパッケージ剥いじゃう。
で、すぐ使う。
その点デパコスはというと綺麗〜にディスプレイされたコスメカウンターに迷い込めばきらめきに酔ってしまう。
財布は不安だけどひとつひとつのコスメたちがキラキラとかがやく星粒みたいに目に眩しいのでそちらのワクワク感で相殺。本当は全部欲しいけど、なにかしら自分へのご褒美を理由をつけて財布に言い訳して一欠片だけを掴み取って家路につく。
その日の思い出、季節、時期、辛かったことまでもその煌めきの一欠片に象徴させ一緒に紙袋に封じ込めて持って帰るのだ。
パッケージというか、ブランド分の広告費や入れ物に払ってるのは分かる。
要はさあたしはなによりコスメが欲しくなるのってパッケージなんよね。パッケージ基準でしか見てない部分ある。

だからキャンメイクの安っぽいパッケージやセザンヌのあまりにシンプルすぎるパッケージ
(イヴサンローランやゲランのデザインが大好きなあたしがあたしの感性でそう思うだけで!デザインうんぬん前に、キャンメイクもセザンヌも名品だらけのまじすごいメーカーですからね!めちゃくちゃお世話になってます!)
はね、テンションがこう……デパコスに比べるといかんせん…。
キャンメイクやセザンヌなんかはあたしからしたらとにかく機能が優勝なので機能だけでとるならって感じなんよ。
キャンメイクの凄さは、マシュマロフィニッシュパウダーのヘビーユーザーとして心から認める。
あれはパケも優勝してるし。
すぐ割れるけど、ゲランとかのパールパウダーよりはマシ(ごめん)(でもホントすぐこぼすしあれ)(持ち歩くな)だしさ。

何が言いたいねんって。
あのね、メイクのために整形してやるって思ってるって話。それもただ、自分の好きなメイクを。


だからメイクを好きになりたい、コスメがせっかくこんなにもかわいくて煌めいていてあたしの唯一の味方なのに。って。

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