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(こころ記録)自殺したいのはよりよく生きたいからなんだよな

こんにちわ、潤子です。ドンパフ💥💥

この頃わいの住む関西はだいぶ寒くなってきて、あたしの愛してやまない、晴れ上がった秋の素晴らしい陽気と夕暮れの郷愁の絶妙なニュアンスは
一瞬で過ぎ去りました。秋の夜長を優雅に楽しむ余裕なんかなくて、ただ寒さにかまけて寝床からでるというのが一日の最大ミッションです。

で、そんな、日々の一つ一つの暮らしにストレスフルなあたしが去年の今頃聞いたことのあるスピーチをいままたYouTubeで発見しました。

有名なTedスピーチなので  あなたはご存知かもしれませんが、再度聞いてみるとこれが涙が止まらない。

これは全人類に聞いて欲しいと心から思います。
絶対になにか感じることがあるはず。
本当にこんなに話の上手い方を、Tedのポッドキャストとサブスクまで登録してたのに見逃していたのはなんでだろうか。

泣きながらめちゃくちゃに走るしかなくなった感情のやり場、努力さえ全部だめになって苦しくて苦しくて息ができない夜道に最終的にとぼとぼと帰り着くやわらかい明かりのような、そんな言葉たちだと感じました。


夢を持つこと。

この1年でたくさんたくさん、辛いことがあって
もう長い付き合いの不眠やPTSDや発達障害のことなども、ずっと勉強してきた自分との付き合い方とかもぐるぐるぐるぐる
色々考えて考えて考え続けて、そんな時にまた聴き直したこのスピーチの内容を自分なりに一生けんめい咀嚼して飲み込もうとしてました。

この方は宇宙開発をやるのが夢だったそうで、今それを叶えて活動していらっしゃる。

ほかの公演も聞いてみたらば、職人気質、ものづくりをする側の考え方とバリバリ理系ならではの整然とした話の構成の仕方でやっぱりお話がうまい。
何度も聞き込んで、とてもとても励まされる思いです。今1番尊敬している人になりました。
ありがとう、植松努さん。

で、なんでここまで何度観ても涙が出て、励まされるのかを考えました。それは、自分が信じて努力していたことを言語化してくれたようなそんな感じがしたから、いくつかの好きな言葉があったから。

一失敗はだめじゃない。
一好きなことをやめてはいけない。
一勇気を出して頼ること。
一お金があっても、能力は増えない
一新しいことをやる。

でもそれ以上に

やりたいことを、諦めなくていいんだよ。

これをきっぱりと確実に言い切ってくれたのはこの方がほぼ初めてだったからかもしれません。



ずっと、今日こそ死のうかな、て思ってました。おかしい話なんですよ、20数年生きてきたけど体調もずーーっと悪いし。
なんとか最近、自分のことを整理して親子関係に人生の不調は起因してるってわかってきたけど。

母親を、殺そうとしたことが何度かあります。

これはあたしにとってべつに大した告白ではありません。だってカウンセラーさんや心療内科のお医者さんに何度も何度も言っては冷静になりなさいと諭されてきましたから。
殴られて育って、いまだに話の1ミリも通じない母親と毒にも薬にもならない父親。
やりたいことが強烈にあるのに、それはお前にできるわけが無い、そんなもん役に立たない、と耳にタコができるくらい言われ慣れました。もう、分かってるんです。あたしの夢はあたしに出来るわけがありません。でも現実が辛すぎて苦しすぎて涙が出ては行けない場面で勝手に出る時。夢見ずには、憧れずにはいられないんです。やりたいことの為に頑張るのはつらいけど、もはやひとときの鎮痛剤になってました。やりたいことを諦めて我慢してることが正しい、自分が愛するものは常に間違っていると信じ込まされていました。
だから殴られるんだと。
だから否定されるんだと。
だからこんなに死にたいんだと。

3歳の頃、木の座椅子で殴られた箇所はまだ足に残ってますし、高校の時、風呂で溺れさせられたから未だにシャワーしか浴びれない。
小学生の頃ノコギリでおもいきり左手の指を切り落とされかけドクドクと溢れ出る鮮やかな血はいまだにフラッシュバックする時がある。
ノコギリ、工具、木の工芸品とかは触るのもしんどいです。陶芸とかはだいじょぶやけど漆器とか木工とかの伝統工芸は一生関わりたくありませんし見たくもないです。左の指から血が溢れ出るイメージしか湧かないから。ウルシや木には血のイメージしかないから。

周りと少しズレた、あとから発達障害だったと分かる小さい私に母親はいつもいつもイライライライラしてました。とにかく頭をグーで殴る。ヒステリー起こして暴言を浴びせるだけ。

母親と会話するという概念が分からないんです。
向こうが一方的に怒鳴り、殴り、私が泣くのを必死に我慢する。
それが母親というものだと思ってました。

でも

植松さんの、虐待は子供の可能性を潰すこと、という言葉に出会って目の前が晴れた気がしました。
夢を邪魔する人からは逃げていいんだよ。

涙が出続けていました。なんか、もう、植松さんこそ、あたしの本当のお父さんな気がしてきた。
精神的な部分を育ててくれたカルチャーや、何かってあるじゃないですか。
あたしは人一倍そういうのを求め続けています。
あたしを育てたのが映画や漫画や音楽や美術なら、植松さんの言葉は母親に叩かれて歩けなくなった両足にはめるギプスでした。

あたしはべつに間違ってなんかない。憧れていいんだ。夢を追いかけても許される存在なんだ。
夢を持ってもいいんだ。

母親は、いまだにやりたいことを諦めようとしない私にあらゆる事をして諦めさせようとしてます。
大金をかけて、私が一言もしたいと言ったこともない、やりたいことと全く違う分野の大学にむりやり説得(という名のヒステリー)をして進ませてみたり。
実際今それで、やりたいこと出来なくて鬱になってるけど結局学校の誰にもいえずじまいなんですけどね。卒業しなきゃ、ほんとうに両足骨折させられるかもしれんから………。
あたしが誰にもなんにも言わず1人で全部耐える力だけが誰よりも強いから、母親はあたしになんでも出来ます。なにをいってもゆるされるんです。

ところで具体的なことは言えないのが、幼少期や青春時代の母親のことはなにも思い出すことが出来ないからです。何も記憶が無い。
わりと思い出せないけど傷だけはのこってて、ポツポツと強烈なショックだけがフラッシュバックとして今残ってるかんじ。

もしあの時の、何も分からないけど夢をがむしゃらに追いかけるために母親という癌を跳ね返し、縁を切ることくらいできていれば。それも出来ないほど無気力で、ただヒステリーがおさまるのを待つのだけが癖になってました。

時間がもったいなかったです。ほんとに。やりたいことがどれだけ高いレベルに行っていたのか想像もつきません。

もう遅いんです。
植松さんは虐待を無くしたいから活動してるって言ってました。私も無くしたいです。
病院で泣きながら、お前のせいで医療費がたくさんかかると怒られたあの時の少女が、まだあたしの中にいるんです。

で、
植松さんの言葉を聞いて切に思います。
23になってもまだ母親に殴られると涙を我慢することしか出来ずに言う事聞かされる、こんな弱いあたしを変えたいです。
ADHDでも不安でもフラッシュバックで失神しても母親の声を聞くだけで吃音気味になるダメ人間でも。
大好きなことを、夢を、やりたいことを諦めません。
絶対諦めない。
諦めずに、絶対大好きなことをやり続けてあの母親のことは忘れてやる。
絶対に許さないけど。左手の傷は一生ものだし。

生まれた時から父性も、母性も注がれなかった子供は両親が居ないのと一緒です。
あたしには両親は初めからいなかった。

代わりに、自分にとってプラスになる言葉たちだけを親として生きるしかないんだよ。

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