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指輪

指輪を失くした。二週間ほど前だったろうか。

正確には、冷蔵庫の下へ転がっていったのだが。
少し痩せた指からするりと落ちて転がる指輪を慌てて追って、床にはいつくばって覗き込んだり棒でつついてみたりしたけれど、出てこなかった。冷蔵庫を少しずらしてみたけれど、やはり見当たらず諦めることにした。

その指輪は5年ほど前に自分で買った、羽根モチーフのもの(フェザーリング)だ。

自分で買ったものだから失くしたところで罪悪感など無いのだけれど、いつも身につけていたものが無くなるのはやはり心もとない。後から知ったのは、人差し指の指輪には「能力の向上」や「導き」の意味があるそうだ。

何人かの男の人が、戯れに私の指輪を撫でて「誰にもらったの」と聞くので「自分で買ったの。本当だよ」と話した。

また別の男の人は、私の人差し指からそっと指輪を外して、左手の薬指にはめ直し「そろそろ、ここに指輪をはめてくれる人を見つけよう。君にはその価値があるのだから」と言うので、私は不快感を抑えながら笑った。

「ずっと一緒にいるよ」と、約束してもらえることにはどれだけの価値があるのだろう。

いつからか、男の人の「ご馳走するよ」という言葉には「ずっと一緒にはいてあげられないけれど」という意味も含まれているような気がした。

恋人同士ですらない人と、少しだけ親密になって駅に向かい別々の部屋に帰ることを、幾度となく繰り返した。

一人の人に「ずっと一緒にいるよ」と約束してもらうだけの愛を、沢山の人から少しずつもらったから、きっと今日までこれたのだけれど。

もうすぐ夏が来る。苦手だった夏を楽しみに思っていることに気づく。私はもう変わってしまったのだなあと思う。何の装飾もない指は、まだ心もとない。

いずれにせよ、この部屋を出る時には、また指輪をはめることになるだろう。
だとしたら、あの指輪でなければいいなと思った。

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