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真心を込めたつもりがマルハラと、言われてコマル、アラフォーおばさん。

 最近、よく話題になっていますね、マルハラ。
 皆様はご存知ですか? どう思いますコレ?


「マルハラ」についての初見

 私は、初見のときは、なんとなく共感できる気はしました。でも同時に心のどこかで、違和感のようなものを感じていました。テレビなどでマルハラが取り上げられる回数が増えるにつれ、違和感はどんどん大きくなり……。

 ついに正体を現しました。
 心の妖怪、その名も『マイキーもどき』。

真のマイキーはこちらです。

 たかだか小さな点とかマルに、日和ってる奴いる? いねぇよなぁ!!?(厳密には「日和ってんじゃねーよ!」と思っていた)
 ──そう、簡単に言うと、超苛立っていました(笑)。

 後述しますが、マルハラの言い分に納得できる部分もあるんです。でも、それを含めても、句読点を付けたくらいで怖がられるのって理不尽過ぎないかって思うし、正直に言うと面倒くさいのよ……。

 そんな風に、くさくさモヤモヤしていた私に対して、俵万智さんが詠んだ歌の、なんと穏やかで気遣いのある上品さよ。

 私なりに見倣って、穏やかさを込めて歌ったのが、本日のタイトルでございます。でもこのタイトルを読んで、短歌かもって思う方、いるのかな?

 この話題をどうにか冷静に、なるべく穏便に書きたいと思いつつ、苛立ちが文章に滲んでしまって2回書き直しています。今が3度目の正直です(笑)。

 念のため申しますが、マルハラを訴えている方に対して、攻撃や断罪をしたいのではありません。でき得る限り、言葉を慎重に選んだつもりですが、万が一に不快に思われた場合には仰ってください。謝罪します。


なぜ句読点にハラスメントを感じるのか?

 ここからは、自分なりにマルハラを考察分析しまくった持論を書きます。
 誹謗中傷は受け付けませんが、反論批評はじっくり受け止めます。賛成は大歓迎(笑)。以上をご理解できる方は、お好きにコメントお願いします。
 特にマルハラを感じる方には、率直な気持ちを伺いたく思います。

本記事の覚書きです。

 上司など、仕事などのLINEで、文末に句点が付けられると……、「やりとりを中断させられている気がする」「なんだか堅い気がする」「壁を感じる」「少し怒っているのかと、気になる」。それがマルハラ。
 ……全部「気になる」やん(笑)。
 でもまぁ、ここまでだったら、私でも理解できます。


原因①:見た目に戸惑う

 確かにLINEの句点は、少し堅く感じる。さらに言うと、古臭くも感じる。それはなぜって、シンプルに見た目のせいですね。

何日か前の22時26分に撮影~。

 LINEでのやりとりは、マンガでも使われる吹き出しで表示されますよね。吹き出しを、小説などで使われるカギカッコに置き換えると「○○○。」という表記になります。こういうのは今じゃ、昭和中期くらいまでの文豪の作品か、名探偵コナンなどなどサンデー系の漫画でしか見ませんよね?

 つまり、見慣れていないから戸惑うのです。
 私も人のことは言えませんが、マルハラを感じている人って、あまり本を読んでないか、コナン読まない人が多いんじゃないのかな? アニメ派?

 ともかく、見慣れてないものに戸惑い、不安を抱いてしまうのは、心情的に理解できると思います。


原因②:世間では句読点を排除したものが多い

 改めて考えてみると、意外に多いんですよね。
 マルハラは、Z世代ぐらいの若者だけが言っているイメージがありますが、そもそも句読点のない文章って、どの世代でもわりと目につく場所にいっぱいあるんですね。

  • LINE(※個人差がある)

  • テレビやYouTube動画のテロップ

  • 個人ブログ(※個人差がある)

  • 2チャンネル(※なぜか句読点をマウントしている)

  • 見出し(※文章のように長くても付けない場合アリ)

 2チャンネル、調べてみたら1999年からの運営でした。私はその頃、中学生……世紀末の中学生……言ってみただけ(笑)。

 これらの文章を若い世代が、それこそ物心ついた頃から、見て覚えたのだとしたら、なるほど句読点は違和感があるとの意見も納得できる……のか? あと、友達とか若い世代同士でのLINEしている書き方に慣れきって、上の世代が普通に使う句読点に違和感を感じているケースもあると思われます。

 だからぶっちゃけ、マルハラを感じる若者を作ったのは、ある意味では私ら上の世代のせいかもしれないって思います。そういうサブカルチャーが作られてきたもの。うん、そうかもしれない。そこは、なんかごめん。何も代表して謝罪できる資格はないけれど。

 句点を付けないことに慣れていて、付けられると戸惑うってのも、あるのでしょう。


原因③:あえて句点を付ける演出が実際にある

 これは主にテレビで観るようになった演出(YouTube動画でも観ますが)。前述したように、テレビのテロップは、基本的に句読点を抜いています。しかし、なぜか付いているときがありますよね。たとえば……。

  • 芸人さんが何か恥ずかしいことを暴露され、慌てて誤魔化そうとするも、決定的な証拠を見せられ、開き直って「ハイ。」

  • 俳優さんがトーク番組に出演、キワドイことを質問され、かなり困惑して、長い間の果ての「ハイ。」

 別に「ハイ。」でなくとも良いのですが、こんな感じ。テレビでは、圧倒的にバラエティー&コメディで使われているかと思います。

 端から見て不本意なことだと理解できる発言、あと分かりやすくドヤ顔しつつ何かきっぱりと言い切ったときや、逆にどこまでも一貫して淡々とマイペースに語り切ったたときの文末などに、句点が付けられているイメージがあります(この説明、分かりにくかったらスミマセン)。

 かつては、読みやすくするためだけに使っていた句読点。現代の、句読点のない文章が増えてきた背景で、演出としての存在意義が生まれたのです。


 ここまでで、既にお察しの方もいらっしゃるかと存じますが、マルハラをマルハラたらしめるのは、この3つの原因のせいだと私は考えています。

 詳しく言うと、①は上述した「相手が怒っている気がする」等のふんわりした訴えの部分で、「文末に句点が付いていると怖い!」みたいな程度の激しいのは、②と③の相乗効果でベクトルがでかくなっている気がします(我ながら理屈っぽい説明……笑)。


マルハラにどう向き合えばいいのか

 結局のところマルハラって、セクハラ・パワハラ・モラハラみたいな主流ハラスメントとは全くの別物だと思うんですよね。

 だって主流ハラは、明らかに相手を見下した言動が問題になるけれど、マルハラは基本的に、上司など上世代の文章の書き方が、若い世代に違和感があり、理解もされづらいっていう話ですから。
(もし性悪な上司がいて、あえて句点を演出使いしていれば、それはもはや新手のパワハラではないかと思います……立証難しそうだけれど)

 それと、マルハラは、主流ハラのように「句点怖い! ハラスメント反対!」と声を大にし過ぎてしまうと、逆にハラスメントしている側になるという怖さがあることも、今一度考えるべきだと思います。

 正直に言うと、私がマルハラを知った頃、既に話題になっていた「おばさん(おじさん)構文」とセットで紹介されることが多かったから、なおさら若い人が上世代の人の感覚をバカにしているようで不快でした(当時はなんとなくイラっとした感覚でしたが、今回改めて考えるとそうだと思う)。

 これって暗に、エイハラじゃない、ってね。

 連続絵文字の何がダメやねん🙁💢
 10年くらい前は、こうやって少しでもカラフルな文面にして、友達と遊びに行く予定とか立ててたのっ😉💖

 絵文字を組み合わせるのも、昔は楽しかったんですよ~。


マルハラ感じる人へのご提案

 どうしてもマルハラに悩んでしまうんだ、本当に気になってしまうんだという方へ、1つご提案します。
 あのね、本人に率直に尋ねるのが一番です(笑)。

 恐怖心って、不透明で先行きの見えない感覚のときに湧く不安だから。相手の形が見えてくるだけで薄らぐものです。

 たとえば「もしかして怒っていますか?」「心配なのでお訊きしたいのですが、何か良くない点がありますか?」と訊いてしまうんです。何気なく句点を付けている上司であれば、普通に応えてくれると思います。あるいは以後、句読点を控えてくれるかもしれない(無理強いはよしてあげてね)。

 こちらが尋ねて「なんでもないよ」と答えて、実はやはり怒っているのであれば、それは上司の問題だから何も気にしなくても良いはずですし。

 もしも質問しにくい方であれば、LINEでのやりとりを重ねるうちに文末がどうなのかを観察してもいい。常に句読点を使う人なら、そういう人なんだと捉えて安心できるかもしれない。

 今までの文化があるから、句読点が滅びることは100%ないでしょうが(笑)、少しでもマルハラショックが収まっていきますように。


マルハラと言われた人へのご提案

 ニュースなどで知って、私のようにイライラしたり、それじゃどうLINEしたら正解なんだと悩んでいる方にも、1つだけ私から意見があります。

 句読点、付けたきゃ付けりゃいいんじゃない?
(今度はまさかの俳句ができました)

 もちろんスッと句読点を抜ける方はいいけれど、抵抗があれば、無理して書き方を変える必要は全くないんじゃないでしょうか。どうしても気になるなら「自分はいつも付けるけど、気にしないで」と伝えておけば良いですし(そんなに露骨に言わなくても良い気もする)。

 自分らしい文章を書くのが一番。
 少なくとも私は、そうありたいです♪


要はウィンウィンでいられるのが最強

 はい、マルハラを通して考え尽くした私の結論がコレです。
 極論です(笑)。

 でもこのシンプル・イズ・ベストを極めた先に、マルハラのない世界があるんだと思う。マルハラを訴える側も、訴えられる側も、少しずつ歩み寄れば、たかだか小さな点とかマルなんて敵にはならないと、私の中のマイキーも申しております(笑)。


 あーだこーだ書きまくっていたら4000字越え……。
 こんだけの考え、私は頭に溜め込んでいたのですね。そりゃあ今……とてもスッキリした気分になるはずですわ(笑)。

 ここまで読んで頂いただけでも感謝御礼!
 ご意見あれば、遠慮なくコメントお願いします。


 最後にトップ画像の紹介というか、ハラスメントのない、マルい世界の作品を置いておきます(笑)。奇しくも去年の今頃のもの……。


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